2018年12月20日

ヤルタ協定の真実

「秘録 東京裁判」 清瀬 一郎 中公文庫 1986年

ヤルタ協定について(その1)

p133〜

 ヤルタ協定

 「東京裁判を正しく評価するためには、日本人は昭和二十年七月二十六日、ポツダム宣言を受け取った時にも、ソ連が満州へなだれ込んだ時にも、また八月十五日、ポツダム宣言を受諾を発表した時はもちろんのこと、東京裁判の開廷された二十一年五月においても、ヤルタ協定の日本に対する部分を、知らされていなかった一事である。
 こんな不正な秘密協定があったことがわかったのは、この裁判が相当進行した後であった。
 一九四五年(昭和二十年)の十二月に米国陸軍法務官プライスという人が、「ニューヨーク・タイムス」に、次のような論文を発表したことがある。
 『東京裁判は、日本が侵略戦争をやったことを懲罰する裁判だが、それは無意味に帰するから、やめたらよかろう。なぜならば、それを訴追する原告、アメリカが、明らかに責任があるからである。ソ連は日ソ不可侵条約を破って参戦したが、これはスターリンだけの責任でなく、戦後に千島、樺太を譲ることを条件として、日本攻撃を依頼し、これを共同謀議したもので、これはやはり侵略者であるから、日本を侵略者呼ばわりして懲罰しても、精神的効果はない』
 この論文の趣旨は当時、日本にも伝わった。この文章の作者は米国人で、しかもその法務官である。われわれは、当時その大胆さに驚いたが、今から考えてみれば、当時すでにヤルタ協定の対日部分は、米国内では部分的に知られていたものの様である。
 ヤルタ協定は一九四五年(昭和二十年)二月、ソ連のクリミア半島のヤルタで米、英、ソの三国が敵を最終的に撃破するため、三国の軍事計画に関し検討を加え、かつ決定を行ったもので、三国連合の軍事幕僚は会議の全期間中、連日会合を開き、二月十一日、コミュニケを発表した。
 このコミュニケは、(1)ドイツ軍の撃破、(2)ドイツの占領および管理、(3)ドイツによる賠償の三段にわかれているが、わが日本に関する部分は秘密とせられた。今日ではその全文を知ることができる。これを一読すれば、この協定と東京裁判との関係は説明せずとも読者に明らかになってくる。いわく……」
(次回に続く)

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国際法秩序を蹂躙したヤルタ協定



posted by Fukutake at 09:59| 日記