2018年11月28日

追い詰められる日本

「東京裁判 日本の弁明」
 却下未提出弁護側資料 抜粋  小堀圭一郎 編 
 講談社学術文庫 1995年
(その2−1)

日本包囲網

 清瀬一郎弁護人 冒頭陳述(内容一部朗読禁止、一部却下)法廷での陳述
(昭和二十二年二月二十四日)
p118〜
 「… 一九四〇年十二月には米国太平洋艦隊の主力をハワイに集中いたしました。すなわち対日示威が行われたのであります。英国は同年十一月十三日シンガポールに東亜軍司令部を新設しました。マライ、ビルマ、香港を其の総司令官の指揮下に置き、濠州及びニュージーランドとも緊密に連絡をいたし、東亜英領の綜合的軍備の大拡張の実施に着手したのであります。此の間米英蘭支の代表は引きつづいて急速に各所に於いて連絡をいたしております。
 殊に一九四一年四月マニラに於けるイギリス東亜軍司令官、アメリカの比島駐在高等弁務官、米アジア艦隊指令長官、和蘭外相との会談は我方の注意を引いたのであります。同年六月中旬にはシンガポールに於いて英・蒋軍事会議が行われたのであります。此等の詳細は証拠に依り之を証明下します。
 此等の急迫した諸表現に対処して、日本政府は緊急の災害を避ける為に各種の手段を採用しました。すなわち一九四一年春以来在米日本大使館は悲しむべき緊張が終了して、日米の関係を円滑にするため最善の努力をせよと要請させられたのであります。大統領と日本大使との会見及び国務長官と日本大使との交渉は数十回に及んでおります。東京政府はなんとか平和的妥協を見たいとあらゆる努力を集中いたしました。日本の総理大臣は米大統領に太平洋のどこかで直接会見してことを一挙に解決線としたのであります。此の目的の為に米国へ大使を増派したこともありました。又七月中旬にはアメリカとの交渉を遂げるためといふので内閣を変更したのであります。これは独立主権国として外交の必要上なし得べき最後の措置であります。しかし総ての努力は何等の効果もなかったのであります。
 一九四一年七月二十七日には米国政府は我国の在米資産の凍結を行ひました。此れは我国の仏印への平和派兵を誤解しての措置であります。英国及蘭印も直ちに之に倣いました。我国とイギリス及オランダとの間には通商航海条約が当時は現存いたして居りました。従って英及蘭の日本資産凍結令は此の条約に違反して為された違法なものであります。」
(次回に続く)

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追い詰められる日本。時間稼ぎする米国。

posted by Fukutake at 11:17| 日記