2018年11月26日

真実の東京裁判

「東京裁判 日本の弁明」
 却下未提出弁護側資料 抜粋  小堀圭一郎 編 
 講談社学術文庫 1995年

(その1)

弁護側資料提出への阻害

p47〜
 「中共の暗躍が国府軍をどの様に危険な方法に操作していくか、又第三国はそれに対してどう対応しつつあるか。といった情報については、在上海、漢口、広東の各総領事が外務大臣宛に秘密電報を以って詳しい情報を送ってゐた。それらは現在の眼から見ても極めて正確な見通しを示したものとして評価できる。斯斯(かくかく)の情報があったが故に、日本は然々(しかじか)の対応をしたのだ、という意味でこれは貴重にして正当な弁明の根拠である。だが、これ等は全て(「証拠」ではないと)却下された。
 盧溝橋事件は今になってこそ、中国共産党が自らの謀略によって日本軍と国府軍の双方を罠にはめ、自らは漁夫の利を占めようと図ったのだという陰謀の内幕を自ら認め、むしろ誇ってゐる様な形勢になっている。だが東京裁判当時はこの事件は歴史の謎の中の謎ともいふべき難題で、とにかく当事者の実体験を証言として再構成し、責任の所在を判定していくより他に黒白のつけ様がなかったものである。そのために証拠資料の却下率はそう高くない。その代わりにといふか、事件の不拡大に懸命に努力した日本政府の方針を立証すべき内閣、外務省、現地部隊の公式声明や見解表明の類は、例の自己弁護なりとの理由を以って多くが却下となった。
 第二次上海事件についても、その発端をなす大山海軍中尉惨殺事件、無差別後爆撃事件に関する弁護側の証拠がなぜ多く却下されたのか理解に苦しむ。これは通州に於ける、酸鼻を極めた日本人居留民大量虐殺事件に関しての日本側の証拠が7割方却下されてゐるのと同じ事例であって、連合軍側のそれを問題にしてゐるのではない、という裁判所の抑抑の発想に起因するものであったろう。殺し合ひを本質とする戦争である以上、「お互ひ様」といふこともあるのではないか、といった発想は封殺された。そうなると、もし仮に日本軍将兵の心理に、これまでに同胞が受けた残虐行為に対する復讐心の幾分かが混入して多としても、それは一切情状酌量の対象とはならず、連合国側の人道に対する罪は一切不問に付し、唯日本人にのみ、神か仏に対してでもなければありえないほどの人道主義的完璧性を求め、その尺度を以って裁いたのがこの裁判であった。」


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単に日本人捕虜を処刑するためだけの裁判だった。
posted by Fukutake at 12:08| 日記