2018年10月29日

責任者の決断

「共同研究 パル判決書(下)」 東京裁判研究会編 
  講談社学術文庫 1984年
(その6)

開戦の決定

p134〜
 「…同人(東条)の(開戦の)決心の基礎をなしたるところの結論、すなわち当時の日米韓の紛議をもって調整不可能であるとみなしたその結論が、はたして間違いのないものであったかどうかを調べてみる必要なないのである。あるいはその決断は正しかったかもしれない。この点について言及した弁護側の証拠は当時東条の到達した結論を十分に支持するものである。この証拠については後ほど論議する。現在においては、本官(パル判事)はこの証拠が一九四一年七月のはるか以前に、合衆国政府が日米問題の調整は不可能であるとの決定に到達していたことを明確に示すものであるといえば足りる。少なくとも一九四一年三月以来の同国政府の対日措置を考えてみれば、日米両国の政治家ならばだれしも右の米国の決定についてなんらの疑問を有する余地はあり得なかったのである。本官はふたたび繰り返し強調するものであるが、現在のところ、双方いずれかが右事態に関する責任を負うものであったかは、さして重要ではないのである。事態はまさに右のようなものであったのであり、かつ東条はそれをはっきり洞察していたのである。いずれにしても、同人は自身の結論に到達し、それにもとづいて決定をなしたのである。
 ここで問題になっているような非常時にさいしては、東条のような地位にあった人ならば、だれもがある決定に到達すべきであり、かつ勇気をもって自己の信念に確信を持つものが当然であると考えられる。その後に続いて起ったことは、事の成行として当然に起った事である。それらのでき事が、なんらかの意図をもってなされたものであるとは考えられない。東条は事態の進展にともない、求められれば全責任をその双肩に担う覚悟は十分有していたかもしれないが、権力を掌中に収めようなどとは決して意図していなかったのである。
 いまや証拠によって十分に示されているように、当時の日本は、ある人もしくは一群の人人にとって、権力が重要価値を有するものと考えられていたような時ではなかったのである。それはまさに日本の死活の時であったのである。東条をはじめすべての政治家が十分に承知していたように、それは国家としての日本の存在自体が深刻な危険にさらされていた時なのである。多少とも要職にあった政治家や外交官は、挙げて国家の名誉を傷つけずに滅亡から免れる方法を見出すのに頭を悩ましていた。このような重大時期においては、政治家は権力の把握に身をやつしてはいられないのである。かれらは重責を担いそして勇断をもって差し迫った危険に対処するという、厳粛な義務の履行を求められているのである。
 東条は急迫した危険を十分承知のうえで、登場してきたことは明白である。同人は政治家としてその全力を尽して外交上の処置を継続したが、結局米国との間において、名誉ある解決を見るにいたらなかったのである。右に関連してわれわれの前に提出された証拠中には、このでき事をもって政権を把握しようとしたものであると烙印づけるこころみを正当化しうるようなものは全然見出し得ないのである。」


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緊迫する事態に対処する東条の姿。
posted by Fukutake at 10:32| 日記