2018年10月18日

勝者の復讐

「共同研究 パル判決書(上)」 東京裁判研究会編 
  講談社学術文庫 1984年
(その3)

予備的法律問題 384p〜

 「現被告(極東軍事裁判所での日本人被告)のような地位にある者が、本件において訴追されているような行為にたいして、責任を追うべきものとして決定されないならば、パリ条約はなんの役にも立たない、ということがいわれている。はたしてそうであるかどうか、本官は、疑いをもっている。もちろん結局において、法はそれを具体的な事態に適用する機関が法とはこんなものであると、決定するところの法にしかならない。しかし、法の適用を求められた機関は、たとえ魅力にみちた重大意義を有する国際法の概念−すなわち「平和にたいする罪についての法の概念」−の発展に貢献すべき絶好の機会を逸する危険をあえて冒すとしても、無理に法を、本来の法とは違ったものにするようなことはしてはいけないのである。
 法の支配下にある一個の国際団体の形成、あるいは正確にいえば、国籍や人種の別の存在する余地のない、法の支配下にる世界共同社会の形成を、世界が必要としてることを本官は疑わない。このような機構の中においては、本件で訴追されているような行為を処罰することは、全体としての共同社会の利益及びその構成員の間に必要である安定かつ有効な法律関係を促進するのに貢献するところが確かに大きいであろう。しかしそのような共同社会が生まれるまでは右の処罰はなんらの役にたたないのである。特定の行為にともなう処罰にたいする恐怖心をが、法のあることによって生ずるのではなくて、たんに敗戦という事実にもとづいて存するにすぎない場合には、戦争の準備がすでに行われているときすでに存在している敗戦の危険は法の存在のゆえになんら増大するとは考えられない。すでにより大きな恐怖、すなわち戦勝国の勢力、威力、というものが存する。法を犯す者がまず効果的に法を犯すことに成功し、そしてのち威力あるいは勢力によって、圧服されるのではないかぎり法は機能を果たさないものであるとしたら、本官は法の存在すべき必要を見出しえない。もしも(いま)適用されつつあるものが真に法であるならば、戦勝諸国の国民でああっても、かような裁判に付されるべきであると思う。もしそれが法であったとするならば、戦勝国はいずれもなんらこの法を犯すことがなかった、かつかような人間の行為について彼らを詰問することを、だれも考え付かないほど、世界が堕落していると信ずることは、本官の拒否するところである。」

-----
勝者による敗者に向けられた審判であることの不条理性。

posted by Fukutake at 12:19| 日記