2018年10月09日

米国アジア政策の禍根

「アジア史概説」 宮崎 市定 著    中公文庫 1987年
(その4)

アメリカの日本占領 494p〜

 「アメリカの日本占領そのことは最初の段階においてはだいたい成功したと見てよいであろう。しかし一つの誤算は日本の復活を恐れるあまり、韓国に日本を監視する探題の役を与え、そこに排日教育を奨励した点にある。アメリカは先にソ連との取引により、三十八度線以北をソ連にゆだね、その南に大韓民国をつくって排日色のもっとも鮮明な李承晩を送りこんで大統領にしたのである。個人でも民族でも、和解を勧めることはきわめて難事であるが、憎悪を教えるのはこれほど容易なことはない。アメリカの韓国指導はその点で大いに成功したかに見えた。ところがそこへ起こったのが朝鮮戦争である。この戦争は東アジアで大戦の災禍を少しも蒙らなかった唯一の地域を惨憺たる荒廃に陥れた。アメリカは日本基地から兵力を輸送することによって、かろうじて韓国の劣勢を挽回し、やがて北朝鮮を北部国境まで追いつめた。ここでアメリカははじめて従前の韓国指導の方法が誤りであったことを悟ったのである。やがて李承晩が学生運動の総攻撃をあびた時、アメリカはこれを助けようとせず、ハワイへ連れもどして隠居させたのであった。
 朝鮮戦争におけるこの最後の場面で、アメリカ軍が北朝鮮を席巻した時、中国の人民義勇軍が不意に鴨緑江を渡ってアメリカに攻撃を加えて敗退させた。米軍司令官マッカーサーは満州の中国基地に爆撃を行うことを唱えたが、米政府はさすがにこれを承諾せず、かえってマッカーサーを解任した。やはりアメリカには軍部に対する文民統制が行われていると、世界各国を安堵させ、たのもしく思わせたのであったが、この戦争の跡始末のためとはいえ、将軍アイゼンハワーが大統領に選ばれたのは、なにかしら不吉な印象を世界に与えた。事実それをなんとも感じないアメリカ人の感覚が、この前後から狂い出したと思われるのである。インドシナにおいて、従来アメリカが資金を貢いで援助していたフランス軍がみじめな敗北を蒙ると、今度はかわってアメリカが表面に出てきた。そして一九五四年のジュネーブ協定によって十七度線を境としてインドシナを南北に分断すると、サイゴン政権を守りたて南ベトナム共和国を成立させ、ハノイの北ベトナムに対抗させた。こうなると大統領がかわっても、アメリカ軍部が存続する限り、その威信にかけても南ベトナムを擁護しなければならなくなる。北から南の解放戦線に対する物資援助ルートを遮断することができなくなると、一九六四年八月、アメリカ軍艦がトンキン湾においてきたベトナムから魚雷攻撃を受けたという名目で、北ベトナム領内にたいする空爆が開始された。以後十年間、宣戦なき戦争が継続するが、これは主としてベトナム人民同士のいわれなき流血によって戦われたのであった。一九七三年になってパリ会議による停戦協定が結ばれたが、この間におけるアメリカ側の有形無形の損害もはかり知れないものがあった。…」

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アメリカの対アジア政策の誤りの禍根はあまりに大きい。
posted by Fukutake at 11:24| 日記