2018年09月25日

デジャブ

「アジア史概説」 宮崎 市定 著    中公文庫 1987年
(その1)
アジア諸文化の成立とその推移

89p〜

 「…秦の皇帝は諸国の王を滅ぼしてその地を郡県とし、国内において対等者の存在を認めないばかりでなく、宇宙間のいかなる場所においても認めない。皇帝は宇宙に唯一人存在するもので、それは中国人民の主権者であるだけでなく、同時に世界人類の支配者出なければならなかった。
 このような皇帝政治の理想は、実際にはその実現がすこぶる困難であったが、単なる理想としては清朝末期まで存続した。この空想的理念が中国人心を支配したことは、中国人に理想と現実とを混同する習慣を与え、実際のいかんを問わず、理念上中国が世界の中心にあり、その中国皇帝が四海を統治しつつあるという形式だけでも維持しようと勤めさせるようになり、中国社会をいちじるしく閉鎖的排外的にする結果を招いた。こういう後世の中国的体制の最初の実行者である秦王が、戦国時代まで純粋の中国人から夷狄として敬遠されていた未開民族出身であったことは、まことに奇妙な現象といわざるをえない。
 始皇帝はこのような皇帝政治の理想を達成するため、無限に四方に向かって国境の拡張を試み、北は戦国時代以来蒙疆に崛起(くっき)する匈奴族を撃攘し、万里の長城を築いてその侵寇を防ぎ、南は五嶺を越え、南シナ海一帯を征服して新しく四郡を加えた。現在の中国の地と人とを呼ぶシナという語は、じつに秦の音を西方人が伝えて名詞としたものであり、「支那」なる文字はインド人の伝えた音が、後に仏教徒と共に東方へ逆輸入されて、中国人が再びこれを漢訳したものである。
 秦末の大乱
 秦の創始した皇帝政治は、滅ぼされた六国遺民の反感を招くことが大きかった。戦国時代、各国にはそれぞれ固有の文化が発達し、ことに言語の発音も文字の写し方も国によってそれぞれ特色を持っていた。秦の始皇帝はこれにたいして中央集権的統一策をとり、文字を一定し度量衡を定め、さらに思想上にも諸国の学問を圧迫して秦の官学、いわゆる法家の学をもって天下に広めようとした。これはいたるところで社会・経済・思想上の混乱を招き、たんに秦の武力がかろうじてこれを圧迫する状態に止まった。また秦の中央集権に伴い、遠隔地の人民は軍務に服するために遠路を往復する負担に苦しみ、秦の皇帝政治の追求する果てしない外征は、新しく加わった地域の人民をいっそう苦境に陥れた。」


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これはまさに現代の中国共産党政権ではないか!?
posted by Fukutake at 08:57| 日記