2018年09月10日

酒の功徳

「徒然草」第百七十五段 

(「イラスト古典全訳 徒然草」 橋本 武 訳著)

(同段 後半)
「…(酒というものは、前述したように)いとわしいと思うものではあるが、時と場所によっては捨てがたい折もあるはずである。秋には月の夜、冬には雪の朝、春には花の下などといった雰囲気の中で、心静かに物語をしているときに、杯を取り出して汲みかわしたのは、何かにつけて興を添えることである。手持ち無沙汰な日に思いがけなく友がやって来て、いっぱいやったのも心の慰むことである。高貴なお方の御簾の中から、御果物や御酒などを、まろび出るようなお声をかけて、さし出していただいたのは最高である。冬、狭い場所で火で何か煎ったりなどしながら、気の合った仲間がさし向かって大いに飲んだのはまことに愉快である。旅の仮屋だとか、野山などで、「酒の肴に、何かないかナ。」などと言って肴を都合して、芝の上で飲んだのは楽しい。ひどく迷惑そうにする人が、強いられて少しばかり飲んだのもなかなかよい。身分もあり教養もある立派なお方が、特別に「もう一つどうですか。まるで飲んでないじゃありませんか。」などとおっしゃってくださったのもうれしい。近づきになりたいと思っている人が上戸であって、酒のとりもちですっかりうちとけたのも、またうれしいものである。
 なんといっても、上戸は愛嬌もあり、罪の許されるものである。他人の家で酔いつぶされて朝寝をしているところを、その家の主人がひき開けたのにとまどいして、寝ぼけた顔のまま、細い髻(もとどり)をおっ立てて、着物を着る間もなく抱きかかえ、ひきずりながら逃げて行く、裾をつまみ上げた後ろ姿、毛の生えた細脛をむき出しにした様子など、いかにもご愛嬌もので、罪のない上戸にぴったりの情景といえよう。」

(原文)
 「…かくうとましと思ふものなれど、おのづから、捨て難き折もあるべし。月の夜、雪の朝(あした)、花の本(もと)にても、心長閑に物語して、盃出したる、万(よろず)の興を添ふるわざなり。つれづれなる日、思ひの外の友の入り来て、とり行ひたるも、心慰む。馴れ馴れしからぬあたりの御簾の中(うち)より、御果物(おんくだもの)・御酒(みき)など、よきようなる気はいしてさし出されたる、いとよし。冬、狭き所にて、火にて物煎りなどして、隔てなきどちさし向かひて、多く飲みたる、いとをかし。旅の仮屋、野山などにて、「御肴何がな」など言ひて、芝の上にて飲みたるも、をかし。いたう痛む人の、強ひられて少し飲みたるも、いとよし。よき人の、とり分きて、「今ひとつ。上少なし」などのたまはせたるも、うれし。近づかまほし人の、上戸にて、ひしひしと馴れぬる、またうれし。
 さは言えど、上戸は、をかしく、罪許さるる者なり。酔ひくたびれて朝寝したる所を、主人(あるじ)引き開けたるに、惑ひて、惚れたる顔ながら、細き
髻差し出し、物も着あへず抱き持ち、ひきしろいて逃ぐる、掻取姿の後手、毛生(お)ひたる細脛のほど、をかしく、つきづきし。」

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ちょっとは飲んでもいいよね。
posted by Fukutake at 09:47| 日記