2018年08月23日

死はどこ?

「生きる意味への問い V.E.フランクルをめぐって」 山田 邦男 著
 佼成出版社 1999年 (その1)

 人生の意味と価値 252p〜

 「イワン・イリッチは、官界における栄達という「力の意思」の充足をひたすら追求してきたが、あるとき些細な事故がもとで不治の病にかかり、長い間の肉体的苦痛と「力への意志」の挫折のために、恐ろしい苦悶と絶望に陥る。
 
 『以前まったく不可能に思われたことが、今ふと彼の心に浮かんだのである。
つまり、今まで送ってきた生活が掟にはずれた間違ったものだという疑念が、真実かもしれないのである。社会で最高の位置を占めている人々が善とみなしていることに、反対してみようとするきわめて微かな心の動き、彼がいつもすぐに自分で追いのけ追いのけしていた、あるかなきかの微かな心の動き、− これこそ本当の生活なので、そのほかのものはすべて間違いかもしれない、こうした考えが彼の心に浮かんだのである。… それは…死ぬ二時間前のことであった。ちょうどその時、イワン・イリッチは穴の中に落ち込んで、一点の光明を認めた。そして、自分の生活は間違っていたものの、しかし、まだ取り返しはつく、という思想が啓示されたのである。…その時、誰かが自分の手を接吻しているのを感じた。彼は眼を見開き、わが子のほうを見やった。彼は可哀そうになってきた。妻がかたわらへ寄った。彼は妻を見あげた。妻は…絶望したような表情を浮かべながら、じっと夫を見つめていた。彼は可哀そうになってきた。『そうだ。おれはこの人たちを苦しめている。』と彼は考えた。…すると、とつぜんはっきりわかったー今まで彼を悩まして、彼の体から出て行こうとしなかったものが、一時にすっかり出て行くのであった。…妻子が可哀そうだ。彼らを苦しめないようにしなければならない。彼らをこの苦痛から救って、自分ものがれなければならない。『なんていい気持ちだ、そして、なんと造作もないことだ』と彼は考えた。…『ところで死は?どこにいるのだ?』古くから馴染みになっている死の恐怖を探したが、見つからなかった。いったいどこにいるのだ?死とはなんだ?恐怖はまるでなかった。なぜなら、死がなかったからである。
 死の代わりに光があった。『ああ、そうだったのか!』彼は声をたてて言った。『なんという喜びだろう!』これらはすべて彼にとって、ほんの一瞬の出来事であったが、この一瞬の意味はもはや変わることがなかった。しかし、そばにいる人にとっては、彼の臨終の苦悶はなお二時間つづいた。…

(その2につづく)
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死はない。
posted by Fukutake at 12:04| 日記