2018年05月01日

論語的発想

「現代語訳 論語」宮崎市定 岩波現代文庫  2000年

学而 第一 七

 「易(とかげ)の色は賢々として周囲に応じて変わるもの、とういう古語がある。これは人間が、父母に仕える時には(孝子となって)その力の有る限りを尽くし、君に仕える時には(忠臣となって)その身命すらも捧げ、朋友と交わる時には(親友となって)言ったことには責任をもつことの譬えである。このような人は、もし学問したことがないと世間から見なされていても、私ならば、そういう実践こそが学問で、この古語の意味を真にわきまえた人だと断言して憚らない。」

「これは子夏の言であるが、世間の一般通念として学問をしたと言えない人でも、その行為が道に叶っていれば、それこそ学問したと言えるという、この発想は極めて論語的な発想である。まことにこれは孔子思想の最も鮮やかな特徴であって、論語の中で随処にそれが見られる。実はこのような伝統的な、何気ない言葉に新しい解釈を吹きこんで教え、同じように人生の目的、人間の生きかたにも、この新しい言葉の概念によって指標を示したところに儒教が誕生したのであった。」

---
宮崎論語解釈の発端。
posted by Fukutake at 09:14| 日記