2018年04月23日

人は裏切る

「君主論」 マキャベリ  池田 廉(訳) 中公文庫 昭和50年

 残忍さと憐れみぶかさについて
p92〜

 「(君主は)愛されるのと恐れられるのとはどちらがよいかということである。だれしも両方をかねそなえていることが望ましいと答えるであろう。だが、この二つを同時に具備することはむずかしい。したがって、かりにそのどちらかを捨てて考えなければならないとすれば、愛されるより恐れられるほうがはるかに安全である。というのは、人間については一般に次のことがいえるからである。そもそも人間は、恩知らずで、むら気で、偽善者で、厚かましく、身の危険は避けようとし。物欲には目のないものである、と。
 
 そこで、あなたが恩を施しているあいだは、みなあなたの意のままであり、血も、家財も、生命も、子息すらあなたに捧げてくれる。といっても、これは前に述べたとおり、そういう必要性がまだずっと先のばあいのことである。そして、必要性が迫ってくると、彼らは反抗する。したがって、彼らの口約束に全面的に頼ってしまっていた君主は、ほかの諸準備をまったくおろそかにするため、滅びてしまう。けだかい精神や偉大さではなく、報酬で買いとった友情は、それだけの値打ちのもので、いつまでも価値があるわけではなく、すわというときに役だてることはできないのである。

 また、人間は恐れている者より、愛情を示してくれる者を容赦なく傷つけるのである。この理由は、がんらい人は邪悪であるから、たんに恩義の絆でつながれている愛情などは、自分の利害がからむ機会が起きれば、すぐにでも断ち切ってしまうものだからである。だが、恐れている者に対しては、処刑の恐怖でしっかりと縛られているので、けっして見殺しにはできないのである。

 それにしても、君主は、たとえ愛されなくても、人から恨みを受けないようにして、恐れられる存在にならなければならない。つまり、恐れられることと、恨みを買わないこととは立派に両立しうるのである。これは、君主が自分の市民と領民の財産や、彼らの婦女子にさえ手を出さなければ、かならずできることである。また、流血の騒ぎをどうしても起こさなければならないときは、適当な口実としかるべき理由のもとでやるべきである。だが、人間は父親の殺されたのはじきに忘れてしまっても、自分の財産の損失はなかなか忘れないものであるから、特に他人の持ち物には手をださないようにしなくてはならない。…」


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人間の本性!
posted by Fukutake at 12:09| 日記