2018年03月12日

老害

徒然草
「イラスト古典全訳 徒然草」橋本 武 日栄社 1989年

第百六十八段

でしゃばるな

 「年老いた人が何か一つのことにすぐれた才能があって、「この人の亡くなった後には、このことについて誰に尋ねようか。」などど世間から言われるのは、老人にとっての味方であって、こういう老人は生きているのも無駄ではない。そうはいっても、そういう老人も衰えたところがないのは、一生このことだけで終わってしまったのだなァと、すさまじい感じがする。年をとったら「今はもうすっかり忘れてしまったなァ。」といっておくのがよい。
 一般的に言っても、いくら知っているからといって、自分の専門についてやたらに放言するのは、大した才能ではなさそうだと感じられるし、十に一つは誤りもあるに違いない。だから、いくら知っていても、「はっきりしたことはわかってないのですよ。」などと言っているのは、なんといってもやはり、まことのこの道の権威者なのだと感じられるに違いない。ましてや、知らないことを得意そうに、年長者でもあり、その人に対しては反対の意思表示ができそうにない人が言い聞かせるのを、「そうでもない」と思いながら聞いているのは、まったくやりきれないものである。」

(原文)
 「年老いたる人の、一事すぐれたる才(ざえ)ありて、「この人の後には、誰(たれ)にか問はん」など言わるるは、老(おい)の方人(かたうど)にて、生けるも徒(いたづ)らならず。さはあれど、それも廃れたる所のなきは、一生、この事にて暮れにけりと、拙(つたな)く見ゆ。「今は忘れにけり」と言ひてありなん。
 大方は、知りたりとも、すずろに(注)言い散らすは、さばかりの才(ざえ)にはあらぬにや聞え、おのづから誤りもありぬべし。「さだかにも辨(わきま
)へ知らず」など言ひたるは、菜穂、まことに、道の主(あるじ)と覚えぬべし。まして、知らぬ事、したり顔に、おとなしく、もどきぬべくもあらぬ人(注)の言ひ聞かするを、「さもあらず」と思ひながら聞きゐたる、いとわびし。」

(注)すずろに:むやみやたらに
   もどきぬべくもあらぬ人:反論もできないような人

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アホの坂田になろう。


posted by Fukutake at 07:41| 日記