2017年09月19日

夜は異界だった

「絵巻物に見る 日本庶民生活誌」 宮本 常一 著  
中公新書 1981年

中世の庶民の世界

210p〜
 百鬼夜行の世界
 「われわれが妖怪変化についていろいろの連想をたくましくした日は久しい。白昼の明るい光の中で異変を見ることは少なかったが、日が落ちて暗くなると、周囲はまったく物を見分けることがむずかしくなる。すると、いろいろの変化や妖怪がその闇の中を右往左往しはじめると考えた。私の子供のころまでは、日が落ちて薄暗くなり、相手の顔の見分けにくくなる時刻を逢魔が時といい、『逢魔が時に外を歩いてだれかに行き合ったとき、必ず挨拶をするものだ。もし、相手が返事をしないときは怪しいものだと思ってよい』と教えられたものである。朝晩のほんのわずか光があるときは、とくに注意が必要だったもので、夜明けの、まだ夜の闇のあるときのをカワタレというのは『彼は誰』の意味であり、夕方の光のわずかに残っているときをタソガレというのは『誰ぞ彼』からきた言葉だといわれた。そして、もし夜の闇を歩くときは、必ず火をかざしてゆかねばならないとされた。隣近所へゆくのならともかくとして、少し離れたところへ行くのなら、火は必ずかざすものとしており、無燈火は厳しく戒められたものであった。

 もともと日本では、この世にあるすべてのものに魂があり、夜半闇の中で耳を澄ますと、万象の話している声が聞こえるものだと古老たちから聞かされた。そしてそのような考え方は古くからのものであり、画家たちはそれをまた絵にした。『是害房絵詞』『土蜘蛛草子』を初め、『十二類絵巻』『百鬼夜行絵巻』『化物草子』などはその範疇に属するものであり、そのような絵はとくに室町時代、すなわち十五世紀に入ってから多く描かれるようになった。その理由の一つには、そのころからお伽草子の発達が見られる。これは平安時代の説話文学とはやや趣を異にするものだが、民間に行われた物語風の話を筆録したものであり、中には奈良絵とよばれる挿絵をともなったものもあった。『福富草子』もお伽草子の一つであり、お伽草子のなかには、『天狗の内裏』『酒呑童子』『藤袋草子』『魚鳥平家』『鴉鷺(あろ)合戦物語』『弥兵衛鼠』『をこぜ』など異類の物語が少なくない。そういう物語や、そういう物語によるイメージの絵画化されたものが異類の絵巻になったのであろう。』

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posted by Fukutake at 09:11| 日記