2017年04月24日

社会参加儀式の必要性

「河合 隼雄  生と死の接点−心理療法コレクションV」
岩波現代文庫 2009年

境界例とリミナリティ(*) 258p〜

 「現代社会は、本来的な意味でのイニシエーション儀式を棄て去ってしまった。社会の構造は複雑になってはいるが、その構造は明確に意識的に把握され、その構造内での移動は本人の意識的努力によって可能であると一応考えられている。入学、就職、結婚、などのことや、地位が上がってゆくことなどは、特別に、人格の実存的変革などを体験せずとも、意識的努力によって成しとげられると考えられているし、ある程度、その通りである。しかし、実はその背後において、「自然発生的コムニタスの無数の瞬間」の存在が必要で利、それがうまく機能しない人が心理療法を受けに来る、と言うこともできる。
(中略)
 ターナー(*)はザンビアのンデンブ族の首長の任命式儀礼のリミナリティについて述べ、そこで首長に選ばれる者が徹底的にののしられることを示している。その儀式のときに、首長になるものは敷物の上に手荒に坐らされ、「静かにせよ!あなたはさもしい利己的な愚か者であり、気難しい人間である。あなたは自分の仲間を愛さずに、ただ怒ってばかりいる!さもしさと盗みとがあなたのすべてである!」と言う調子で頭を長々と完璧に罵倒される。このとき「首長に選ばれた者はこのあいだずっと、黙って頭を垂れて坐っていなければならない。この姿勢が“すべてを耐え忍ぶ形”であり、慎しみを表わす形であるということになる。クライアントに徹底的に罵倒されたことのある治療者は、それが自分が心理療法家として一人前になる、あるいは治療空間の首長になるための通過儀礼のひとつと思ってみることも意味があるのではなかろうか。
 治療者は境界例の人が課してくる困難な要求に、どう応えるかとか、それをどう抑えこむかとか直接的に反応するよりも、それがこれまで述べてきたような偉大なリミナリティへの希求の表現であると考え、その意味をいかにして把握し、共にリミナーズとして生きていくのかを真剣にまさぐる努力を払うべきである。」

(*)リミナリティ 【liminality】:人類学者ターナーの用語。日常生活の規範から逸脱し,境界状態にある人間の不確定な状況をさす言葉。道化・トリックスター・シャーマン・修行者などの位置・状況をさすのに用いる。(Weblioより)

(*)ターナー:V.W.Turner

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posted by Fukutake at 08:46| 日記