2023年06月05日

変わらない日本人

「日本はなぜ外交で負けるのか」ー日米中露韓の国境と海境 山本七平 さくら社 2014年

憲法の教義化 p96〜

 「今次の敗戦も決して「内的規範と外的規範の峻別」という考え方を生まなかった。 併行主義(パラレリズム)が逆方向に作用したにすぎないのである。 それが民主制(デモクラシー)を民主主義と受け取り、「国民全部が民主主義者にならねばならぬ」となり、新憲法はいつしか「教義」となって、まるでこれが各自の内的規範であらねばならぬような行き方になった。 「新憲法の精神」という言葉がよくこれを表している

 天皇が「内外併行の絶対的規範」の授与者として現人神になったように、憲法そのものが、佐藤誠三郎氏(注:政治学者。中曽根内閣のブレーン)の指摘されるように「物神化」した。 それは「世俗法」の基本を定めたものの枠を越えており、そこで「創価学会の教義は憲法に違反する」などという、民主制の下では考えられぬ批評さえ生んだ。

 これは憲法を教義としない限りあり得ない言葉だが、教義には常に「解釈権」という問題がある。 この解釈権を誰が持つかは、その宗団の基本にかかわる問題である。 では、「物神化した新憲法の精神」という教義(ドグマ)の解釈権は誰が持ってきたのか、 少なくとも現在までは、それをまるで新聞が持っているかのような状態であった。 否、少なくとも新聞人はそう信じて疑わず、国民の内的規範は新聞の「新憲法教義解釈」通りであらねばならず、それに違反したと見た者を「思想犯」として糾弾した。

 このことは渡部昇一氏の「”検閲機関”としての朝日新聞」(「文藝春秋」一九八一年七月号)に如実に表れている。 比喩的に言えば一種の「新聞本仏論」であり、「新聞=正法」で「渡部=邪教」であろう。 だがこの状態への「大衆の叛逆」もまた起こっている。

 それをある程度率直に口にしているの今津弘朝日新聞論説副主幹であろう(「「朝日ジャーナル」一九八一年六月五日号の座談会記事)。 次に引用させていただこう。

 「国民感情についていえばいまのところ、反応は大衆運動という形ではなく、われわれもまたこの問題について、一体一般の人はどう考えているのだろうかという疑問に常につきまとわれている。 確かに、世論調査を見れば、やはり核は持つべきでないという答えが圧倒的に多い、 しかし…」
 確かに「しかし」なのであり、 その「しかし」は、結局「『承認』と『黙認』の違いにすぎない」という前述の分析が示す状態であろう。

 しかし一方、朝日の社説には「核の寄港を認めれば、次はこうなる、次はこうなる、次はこうなる」という、「なるなる論」の主張が出てくる。これは戦前の軍人と変わりはない。 戦前の軍人は「なるなる論者」であり、したがって「一歩も退くな、退くとずるずるだめになる。絶対に妥協するな」であった。」

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posted by Fukutake at 07:33| 日記

変わらない日本人

「日本はなぜ外交で負けるのか」ー日米中露韓の国境と海境 山本七平 さくら社 2014年

憲法の教義化 p96〜

 「今次の敗戦も決して「内的規範と外的規範の峻別」という考え方を生まなかった。 併行主義(パラレリズム)が逆方向に作用したにすぎないのである。 それが民主制(デモクラシー)を民主主義と受け取り、「国民全部が民主主義者にならねばならぬ」となり、新憲法はいつしか「教義」となって、まるでこれが各自の内的規範であらねばならぬような行き方になった。 「新憲法の精神」という言葉がよくこれを表している

 天皇が「内外併行の絶対的規範」の授与者として現人神になったように、憲法そのものが、佐藤誠三郎氏(注:政治学者。中曽根内閣のブレーン)の指摘されるように「物神化」した。 それは「世俗法」の基本を定めたものの枠を越えており、そこで「創価学会の教義は憲法に違反する」などという、民主制の下では考えられぬ批評さえ生んだ。

 これは憲法を教義としない限りあり得ない言葉だが、教義には常に「解釈権」という問題がある。 この解釈権を誰が持つかは、その宗団の基本にかかわる問題である。 では、「物神化した新憲法の精神」という教義(ドグマ)の解釈権は誰が持ってきたのか、 少なくとも現在までは、それをまるで新聞が持っているかのような状態であった。 否、少なくとも新聞人はそう信じて疑わず、国民の内的規範は新聞の「新憲法教義解釈」通りであらねばならず、それに違反したと見た者を「思想犯」として糾弾した。

 このことは渡部昇一氏の「”検閲機関”としての朝日新聞」(「文藝春秋」一九八一年七月号)に如実に表れている。 比喩的に言えば一種の「新聞本仏論」であり、「新聞=正法」で「渡部=邪教」であろう。 だがこの状態への「大衆の叛逆」もまた起こっている。

 それをある程度率直に口にしているの今津弘朝日新聞論説副主幹であろう(「「朝日ジャーナル」一九八一年六月五日号の座談会記事)。 次に引用させていただこう。

 「国民感情についていえばいまのところ、反応は大衆運動という形ではなく、われわれもまたこの問題について、一体一般の人はどう考えているのだろうかという疑問に常につきまとわれている。 確かに、世論調査を見れば、やはり核は持つべきでないという答えが圧倒的に多い、 しかし…」
 確かに「しかし」なのであり、 その「しかし」は、結局「『承認』と『黙認』の違いにすぎない」という前述の分析が示す状態であろう。

 しかし一方、朝日の社説には「核の寄港を認めれば、次はこうなる、次はこうなる、次はこうなる」という、「なるなる論」の主張が出てくる。これは戦前の軍人と変わりはない。 戦前の軍人は「なるなる論者」であり、したがって「一歩も退くな、退くとずるずるだめになる。絶対に妥協するな」であった。」

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posted by Fukutake at 07:31| 日記

日本の医療

「冷暖房ナシ」 山本夏彦 文春文庫 1987年

医療者たち p166〜

 「ついこの間まで手術をしてもらうとき患者は一札とられた。 生死にかかわる場合だからろくに中身も見ないで私はめくら判を捺したが、再三の手術なのであるときざっと目を通したら、万一死んでも文句は言わないというほどのことが書いてあったので、ははあこれでは訴える人がいないわけだとさとった。
 明治以来百年近くこういう一札をとっていたのか、それなら今はどうか。 この十年医者もしきりに訴えられるようになったからまさかこんなことはあるまいと思ったら、やっぱり似たものをとっていた。 「手術承諾書」という。 「頭書の疾患により貴院に手術をお任せいたします。 手術に当たっては貴院に万全の処置を希望し信頼するとともに、手術の結果につきましては本人は勿論、家族におきましても異議を申したてません」
 さて私はある雑誌の対談で次のようなことを述べた。

 たいていの病院は、病気でない人が行っても病気になるようなあんばいに出来ている。 何より待たせる。 一時間でも半日でも一ヶ月でも診察を待たせて薬で待たせる。 せめて薬くらいは事務的にしてもらいたい。 毎日待たせること何十年に及びながら待合室を広くしない。
 あれが患者が五人か十人のときの広さである。 その設計を改めない。 大病院はせまくない。 今度は広すぎて公園のベンチみたいな腰かけにかけさせる。 からっ風が吹くようなひろさである。 待合室の冷暖房はたいていききすぎている。 健康な人でも冷暖房は毒である。 タキシーの運転手は夏も股引きをはいているという。 病人の体によかろうはずがない。 治りかけたリウマチの患者が、大病院で半日待たされて再発した例がある。 病院は冷暖房について無神経にすぎはないか。 もっともこれ病院にかぎらない。 電車も汽車もそうである。

 それに食べもの、並の人なら食べられないものを出す。 半ば以上の患者が箸をつけないのを見て医師が何十年も平気なのはけげんである。 本来温かいものを温かく出てきたためしがない。その上食器のふちは必ず欠けている。 もとは白かったのが灰色になっている。 夕食を四時半に持ってくる。 なけなしの食欲を撲滅せずんばやまぬ勢いで、あれは自分たちが定時に帰るためという。 それ以後になると残業になって、その手当が莫大になるからだろうが、それならボランティアに頼ればいい。

 アメリカの病院は多くボランティアに頼っているのでこのことがないと、わが子をアメリカの大病院で手術させた友に聞いた。 看護婦の経験があって今は家庭にあったり、何不自由ない婦人が奉仕していると聞いた。 待合室で手術の終わるのを待っていると、すでに夜ふけなのにボランティアの婦人が熱いスープと夜食をワゴンで持参して、食欲がないと断ると、お子さんのためだ食べなければいけないとと励ましたという。

 わが国の婦人が薄情だと思われない。 この世の中のことは多く習慣で、大病院のボランティア活動に参加するのが習慣になっていれば、そしてそれが上流の証拠ならわが国でも参加する婦人はいるに違いない。

 私は日本の医療が一流であることを仄聞している。 それを疑うものではない。 けれども一流なのは医療機器とそれを操作する技術だけなのではないかと疑っている。」

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posted by Fukutake at 07:28| 日記