2023年03月31日

松江の朝

「新編 日本の面影」 ラフカディオ・ハーン 池田雅之=訳 角川ソフィア文庫 平成十二年

神々の国の首都 p73〜

 「松江の一日は、寝ている私の耳の下から、ゆっくりと大きく脈打つ脈拍のように、ズシンズシンと響いてくる大きな振動で始まる。 柔らかく、鈍い、何かを打ちつけるような大きな響きだ。 その間の規則正しさといい、包みこんだような音の深さといい、音が聞こえるというよりも、枕を通して振動が感じられるといった方がふさわしい。 その響きの伝わり方は、まるで心臓の鼓動を聴いているかのようである。 それは米を搗く、重い杵の音であった。

 杵とは巨大な木槌(きづち)のことで、四メートル半ほどの柄(つか)が、軸に水平にバランスよくついている。 その柄の端を裸の男が思いっきり踏むと、杵は押し上げられ、男が足を放すと、杵が自らの重みで臼の中へ落ちるのだ。 一定のリズムで杵が臼を打ちつけるその鈍い音は、日本の暮らしの中で、最も哀感を誘う音ではないだろうか。 この音こそ、まさにこの国の鼓動そのものといってよい。

 それから、禅宗の洞光寺(とうこうじ)の大きな梵鐘の音が、ゴーンと町中に響きわたる。 すると今度は、わが家に近い材木町にある地蔵堂から、朝の勤行を知らせるのも悲しい太鼓の響きが聞こえてくる。 そしていちばん後に、朝早い物売りの掛け声が始まる。 「大根やい、蕪や蕪」と、大根などはほかに見慣れない野菜を売り歩く声とか、炭に火をおこすための細い薪の束を売る「もやや、もや」という、女の哀調を帯びた声などが聞こえてくるのである。

こうした町の暮らしの始まりを告げる早朝の物音に起こされて、私は障子の窓を開け放つ。 そしてまず、川沿いの庭に芽吹き始めた柔らかな新緑の茂みの向こうに、朝の様子を眺めわたすのである。 眼下に流れる大橋川の幅広い鏡のような水面が、すべてをうつろに映し出し、きらきらと光っている。 その水面は穴道湖へと注ぎこみ、灰色に霞む山々の緑まで、右手方向に大きく広がっている。 川向こうでは、尖った青い屋根の家々がどこも戸を締め切っていて、まるでふたを閉じた箱のように見える。 夜は明けたが、まだ日は昇っていない。

 ああ、なんと心惹かれる眺めであろうか。 眠りそのもののような靄(もや)を染めている、朝一番の淡く艶やかな色合いが、今、目にしてる霞の中へ溶けこんでゆく。 はるか湖の縁まで長く伸びている。 ほんのり色づいた雲のような長い霞の帯。 それはまるで、日本の古い絵巻物から抜け出てきたかのようである。 この実物を見たことがかければ、あの絵巻物の風景は、画家が気まぐれで描いただけだと思うにちがいない。」

(一八九〇年八月〜十月 松江 於富田屋旅館にて)

薄霞の松江




posted by Fukutake at 07:47| 日記

何でも、面白く!

「マリファナも銃もバカもOKの国」ー言霊USA2015ー 町山智浩 文藝春秋 2015年

ShondaLand*  p154〜

 「「結末はまるで考えてなかった」
 90年代の TVドラマ『ツイン・ピークス』のクリエイターであるデビッド・リンチの自宅を訪ねた時、カルト映画の巨匠でもある彼はにっこり笑ってそう言った。 『ツイン・ピークス』は田舎町で女子高生の死体が発見され、FBIが犯人探しをするミステリーだが、シリーズを創造したリンチ自身は「真犯人は誰か決まってなかった」と言う。

 「ドラマでは複数の脚本家がリレーのようにアイデアを出していく。 どういう展開になるか誰も予想できない。 それが映画と違うTVドラマの面白さだよ」
 アメリカのTVドラマは基本的に、いつ終わるのか決められていない。 視聴率が良ければいつまでも続くし、悪ければ放送3回目でもいきなり打ち切られる。 また、視聴者の反応によって内容も変わっていく。 人気のあるキャラクターはどんどん活躍が増える。 最初の主人公に代わって、人気のある脇役が主役をかっさらうことすらある。

 人気のないキャラにはテコ入れがある。 「いい人と思ったのが実は悪党」とか「いちばんの色男が実はゲイ」とか。 それでも人気が出ないとストーリーのなかで殺されてしまう。 でも、視聴者の要望が多ければ「実は死んでませんでした」と平気で蘇る。 何でもアリ。 行き先の決まっていないジェットコースターみたいものだ。

 この手のドラマで今いちばんの達人がションダ・ライムズである。 アフリカ系で44歳の彼女は大学を出た後、精神障害者やホームレスに職業を訓練する施設で働きながら、脚本を書き続けた。 2005年、低視聴率で打ち切られたドラマのピンチヒッターを請負ったションダは『グレイズ・アナトミー 恋の解剖学』を企画した。 『ER 緊急救命室』のような病院ドラマかと思ったら、医師と看護師たちがくっついたり離れたりを急展開で繰り広げる乱行状態ギリギリの恋愛ドラマで、視聴率的に大成功した。

 続いてションダは2012年に政治ドラマ『スキャンダル 託された秘密』をスタート。 ヒロインのオリヴィア(ケリー・ワシントン)は「政治スキャンダル潰しのプロ。 モデルはブッシュ父政権の危機管理顧問だったジュディ・スミスというアフリカ系の女性で、大統領が手をつけた研修生の口封じから始まる。 「大統領ったら私のことベイビーって呼ぶの。
 オリヴァーはガーン。 なぜなら大統領が自分を愛する時も「ベイビー」と呼ぶから… って、あんたがいちばんのスキャンダルじゃん!」

ションダランド* ジェットコースター・ドラマの制作会社

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何でもあり。面白ければOK
posted by Fukutake at 07:45| 日記