2023年03月27日

暴政への道

「戦争論ー暴力と道徳のあいだー」 西部邁 ハルキ文庫 2002年

グローバリズムの悲劇 p56〜

 「いまやるべきことは半世紀前から明らかである。 憲法を改正して自衛隊を国防軍としてはっきり認め、海外派兵であれ前線活動であれ政治的かつ軍事的に必要ならばそれを認め、国家機密法を制定して国際対立に備えるために情報活動を体系化し、海外の大使館・領事館には武官なり情報探索員なりを配置すればよいのだ。 さらに、現状に即していえば、せめて国防費は五割増もしくは十割増しとし、国民一般への徴兵が無理だというのなら、せめて国家公務員は自衛隊で一年間ぐらいの訓練をすます、といったくらいのことを実施しなければならない。

 対内的な危機管理にしても、日本がテロルの標的に選ばれるということは大いにありうることである。 相手がアメリカであれどこであれ、どこかのくにと「同盟」を結ぶということはそういうことなのだ。 日本の警察官の数は、対人口比でいって、先進国のなかで少ないほうだと聞いている。 それなのに、検挙率が二〇パーセントを切っても、国内の治安についての論議は少しも活発になっていない。 外国人の犯罪率は0.八パーセントにすぎないといって不法滞在外国人をかばうものが後を絶たないが、そのとき、それらの外国人の検挙率が平均をはるかに下回っているであろうという合理的推測のことは脇におかれている。

 こうしたごく当たり前のことが等閑視されているのは、畢竟するに、「私と個」の感情や意識を半世紀にわたって膨らませすぎたせいである。 そして、日本人の「集」団性の容れ物であった日本的経営方式は、アメリカのサポーディネイト(家来)かといいたくなるようなエコノミスト連の掛け声の下、今や石もて追われている。 また、「公」人性もしくは公共心をおのれの内部に確認せずに、公と官とを等置し、おまけにおのれの(所属組織における)「官」僚的な性格のことを失念してきたのが日本人の半世紀であった。 そうならば、「公と集」は新世紀日本人にあって風前の灯といわざるをえない。

 はっきりいわせてもらうが、「聖域なき構造改革」は「日本なき構造改革」にほかならない。 「日本」なき日本人なんぞに、世界秩序をめぐるきなくさい問題にかかわる資格は露ほどもありはしない。 敗戦日本の半世紀をこんな姿にしたのはアメリカである、いやアメリカを尊しと思った日本人自身である。 「外部への適応を専らにするのは、その国の文明の命取りとなる」という格言通りに、我らの国民精神はすでに息絶えだえである。 この半世紀間を生きてきた日本人は、それでも長生きできてよかった、と居直るしかあるまいが、可哀想なのは、その子、その孫、その曽孫である。 この新世紀には、虚無の肥大に由来する原理の探究と、その探究の断念に由来する暴力の行使とが吹き荒れる。 そこはスポイルド・チルドレン(甘やかされた坊ちゃん)の住う場所ではない。 いや、日本人のみならず文明のなかにいる人類すべてが、「アフガニスタンのカブールは、ユーラシア大陸の各民族がそこを襲い、哀れな落とし子だけを残して去らなければならなかった場所なのだ」、ということに少しは思いを致すべきであろう。」

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今のままでは、恐怖だけが支配する世界が顕現する
posted by Fukutake at 07:54| 日記

忠臣だが罪人

「現人神の創作者たち」 山本七平 文藝春秋 昭和五十八年

赤穂浪士論 p402〜

 「赤穂浪士は簡単にいえば一種の確信犯である。 従ってたとえ処刑されても罪の意識など毛頭なくて不思議ではなく、そのことは大石良雄の辞世にも現れている。 だが、幕府すなわち政府は林信篤の言葉にもあるように、その確信犯の行動は罰してもその「思想」は認め、逆にこれを称揚しているのである。 佐藤直方のいうように、これはとんでもないことなのだが、幕府自体がその重要性に気づいていない。

 というのは、確信犯の思想と動機をそのまま政府が認めたらどういうことになるのか。 今もし、ソビエトに、「ソビエトは真に解放された自由な国になるべきだ」と信じた一団が私的結社をつくり、尊敬する同志を処刑に陥れた秘密警察の長官を襲撃して殺したとする。 そのときプラウダが「彼らの行為は法にもとるから処刑されて当然だが、その思想と動機は正しい」などと言ったらどうなるか。 それはソビエト政府の自殺行為のはずである。 そこで確信犯の処刑は、その思想を徹底的に本人に否定させ、そのうえで処刑しなければならぬ。 ソビエトの粛清裁判は、残酷なまでにこの原則を貫いている。 そうしなければ、マルクス・レーニン主義の正統(オーソドキシイ)を正統(レジテイマシイ)とするソビエト政府は存続して行けなくなる。 ところが林信篤は「二者(法と義)同じからずと雖も、並び行われて相悖らず。 上に君賢臣ありて、以て法を明らかにし令を下す。 下に忠臣義士ありて、以て憤(いきどおり)を攄(の)べて志を遂ぐ。 法のために誅に伏するは、彼の心においてあに悔あらんや」などと暢気なことを言っている。 確信犯に「悔あらんや」はあたりまえだが、それを認めることは「幕府の法は義に反する」と認めているに等しく、これは自己の正統性を自ら否定するに等しい言葉である。

 本当に幕府の側に立っているのはむしろ佐藤直方なのだが、幕府自身がこれを理解していない。 この状態は、否この状態だけでなく、光圀も義直もそうだが、フランス革命前にまず貴族階級が奇妙に革命思想にかぶれていたのに似ている。 さらに危険なことに、彼らは、林信篤も含めて、天皇家は幕藩体制の下では、浅野家と同じような山城の国の一領主であることを、自ら定めておきながら気づいていない。 天皇家は、家康が定めた「禁中及公家諸法度」という基本法に律しられている一諸侯で、他の諸侯と違う点といえば、他は「武家諸法度」に律しられているという点だけである。 いずれにせよ、それは家康が制定した法であり、儀礼的にはともかく、法的には幕府の支配下にある。 御水尾天皇の紫衣事件が起こる。 これは天皇家による「禁中及公家諸法度」違反だが、この「法」もまた「義に反する」のであろうか。ではこの法を無視して「忠臣義士ありて、以て憤を攄べて志を遂ぐ」という状態になったら、幕府はどうする気なのか。 俊敏な絅斎はおそらくこの点を見抜いていた。 一諸侯である天皇家を絶対視して私的盟約を結び、亡君の遺志なる確認不可能な志を自己の志として行動に移し、「憤を攄べて志を遂ぐ」人間の出現を彼は待っていたのであろう。 林信篤はまことに良いことを言ってくれたのである。 その通りのことを言い、『靖献遺言』を読めと言ったところで、幕府は彼を罰するわけにはいかないからである。」

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posted by Fukutake at 07:50| 日記