「日本人的発想と政治文化」 山本七平 日本書籍 昭和五八年
報道の放棄 p76〜
「戦後のある時期まで、「戦前は神話を事実として教えた」という批判があったが、戦後の一時期は「新聞が『神話を事実として教えた』一時期」といえるであろう。 「報道とは何か」を検討しなおすべきだと記してから、すでに一年近い。 以上につき短い結論を出すならば、「神話を事実として報道すれば、それは報道ではない」ということであろう。
神話の伝達とはいずれの時代であれ「権威のお取りつぎ」であり、それをしていれば最終的には、みずからが事実を報道しているという意識さえ失ってしまうはずである。 最近あるミニ・コミ紙におもしろい批判が出ていた。 それは、新聞が中国について「いままで報道されていなかった」と記したことについて、その表現はおかしい「今まで新聞が報道しなかった」」と記すべきだという批判である。 確かに新聞は「報道するもの」であっても「報道されるもの」ではないはずである。
だが同じような表現は終戦直後にも出てくる。 「国民は何も知らされず…」と新聞は平然と記したが、これには「新聞は国民に何も知らせず…」のはずである。 新聞がみずからを「報道機関」と考えず「報道される機関」と考えるなら、それはみずからを神話伝達者すなわち「何らかの権威の発表を読者に取次ぐ機関」を規定し、読者を代表して自分もまた「報道されている」と考えても不思議はない。
だが、そうなればそれは本章の最初に記した編集権の放棄となり、みずからの生命を絶つことになってしまう。 そしてそれが読者にとっては「どうなっているんですか、さっぱりわかりませんなあ」となるわけである。 「報道とは何かの問題」は結局は、冒頭で記したことに戻るであろう。
だがここに問題がある。 それは思想性なき者が編集権を行使しうるかという問題である。 というのは、報道機関とは一種の思想の表現であり、この場合がそれがまず毛沢東主義であり、次がそれが崩壊した後の状態なのである。 しかし記者は、前者を毛沢東主義に基づく見方とは意識せず、そのため「意識された図式化」という自覚がない。 と同時に後者にもその自覚がないから、常に「報道される機関」となっているからである。」
----
2023年03月25日
報道されていると思っている報道機関
posted by Fukutake at 08:15| 日記
自分の死を死ね
「文学的人生論」 三島由紀夫 知恵の森文庫 2004年
死の分量 p36〜
「刀剣や槍や弓矢は人間を個別的に殺すにすぎない。 ホメロスの叙事詩には、煩をいとわず、戦場や私闘における人間の個別的な死が列挙されている。 神話時代のギリシャ人は馬さえ知らなかった。 異国人の戦士が馬に乗って来るのに怖れおののいて、ケンタウロスという怪物のイメージを創造したくらいである。
ポリス的結合が生ずると、ギリシャ人の世界はポリスがその全部だった。 さらに植民地が開拓され、植民地がかれらの世界に加わった。 しかしポリスが滅びることは、かれらの世界が滅亡することだった。
ローマ時代にいたって、世界は大いに拡大され、イギリスからスペイン、アフリカから小アジア以東にまで、大羅馬帝国の版図がひろがる。 これはヨーロッパ人が発見した最大の世界であったと思われる。 なぜなら奴隷をのぞいてローマ人たちは皆個別的な死を死ぬことができたが、かれらの死は毫もローマの永生を疑わず、ローマを滅ぼすに足るほどの破壊力は、まだ発明されていなかったからである。
中世における世界像の縮小とコロンブスのアメリカ発見による再拡大、近世における植民地の争奪による終局的拡大、…こういうものを通じて、前大戦後の失敗に終わった国際連盟あたりから、世界国家の理想が登場してくる。 第二次大戦後にもこの理想は、国際連合の形で生き延びている。
そこで問題は、原子爆弾と国際連合との宿命的なつながりに帰着する。
われわれはもう個人の死というものを信じていないし、われわれの死には、自然死にもあれ戦死にもあれ、個性的なところはひとつもない。 しかし死は厳密に個人的な事柄で、誰も自分以外の死をわが身に引受けることはできないのだ。 死がこんな風に個性を失ったのには、近代生活の画一化された生活様式の世界的普及による世界像の単一化が原因している。
ところで原子爆弾は数十万人の人間を一瞬のうちに屠るが、この事実から来る終末感、世界滅亡の感覚は、おそらく大砲が発明された時代に、大砲によって数百の人間が滅ぼされたという新鮮な事実のもたらした感覚と同等のものなのだ。 小さな封建国家の滅亡は、世界の滅亡と同様の感覚的事実であった。 われわれの原子爆弾に対する恐怖には、われわれの世界像の拡大と単一化が、あずかって力あるのだ。 原爆の国連管理がやかましくいわれているが、国連を生んだ思想は、同時に原子爆弾を生まざるを得ず、世界国家の理想と原爆に対する恐怖とは、互いに力を貸し合っているのである。
決してわれわれは他人の死を死ぬのではない。原爆で死んでも、脳溢血で死んでも、個々人の死の分量は同じなのである。 原爆から新たなケンタウロスの神話を創造するような錯覚に狂奔せずに、自分の死の分量を明確に見極めた人が、これからの世界で本当に勇気を持った人間になるだろう。 まず個人が復活しなければならないのだ。」
(一九五三年九月二五日)
----
死の分量 p36〜
「刀剣や槍や弓矢は人間を個別的に殺すにすぎない。 ホメロスの叙事詩には、煩をいとわず、戦場や私闘における人間の個別的な死が列挙されている。 神話時代のギリシャ人は馬さえ知らなかった。 異国人の戦士が馬に乗って来るのに怖れおののいて、ケンタウロスという怪物のイメージを創造したくらいである。
ポリス的結合が生ずると、ギリシャ人の世界はポリスがその全部だった。 さらに植民地が開拓され、植民地がかれらの世界に加わった。 しかしポリスが滅びることは、かれらの世界が滅亡することだった。
ローマ時代にいたって、世界は大いに拡大され、イギリスからスペイン、アフリカから小アジア以東にまで、大羅馬帝国の版図がひろがる。 これはヨーロッパ人が発見した最大の世界であったと思われる。 なぜなら奴隷をのぞいてローマ人たちは皆個別的な死を死ぬことができたが、かれらの死は毫もローマの永生を疑わず、ローマを滅ぼすに足るほどの破壊力は、まだ発明されていなかったからである。
中世における世界像の縮小とコロンブスのアメリカ発見による再拡大、近世における植民地の争奪による終局的拡大、…こういうものを通じて、前大戦後の失敗に終わった国際連盟あたりから、世界国家の理想が登場してくる。 第二次大戦後にもこの理想は、国際連合の形で生き延びている。
そこで問題は、原子爆弾と国際連合との宿命的なつながりに帰着する。
われわれはもう個人の死というものを信じていないし、われわれの死には、自然死にもあれ戦死にもあれ、個性的なところはひとつもない。 しかし死は厳密に個人的な事柄で、誰も自分以外の死をわが身に引受けることはできないのだ。 死がこんな風に個性を失ったのには、近代生活の画一化された生活様式の世界的普及による世界像の単一化が原因している。
ところで原子爆弾は数十万人の人間を一瞬のうちに屠るが、この事実から来る終末感、世界滅亡の感覚は、おそらく大砲が発明された時代に、大砲によって数百の人間が滅ぼされたという新鮮な事実のもたらした感覚と同等のものなのだ。 小さな封建国家の滅亡は、世界の滅亡と同様の感覚的事実であった。 われわれの原子爆弾に対する恐怖には、われわれの世界像の拡大と単一化が、あずかって力あるのだ。 原爆の国連管理がやかましくいわれているが、国連を生んだ思想は、同時に原子爆弾を生まざるを得ず、世界国家の理想と原爆に対する恐怖とは、互いに力を貸し合っているのである。
決してわれわれは他人の死を死ぬのではない。原爆で死んでも、脳溢血で死んでも、個々人の死の分量は同じなのである。 原爆から新たなケンタウロスの神話を創造するような錯覚に狂奔せずに、自分の死の分量を明確に見極めた人が、これからの世界で本当に勇気を持った人間になるだろう。 まず個人が復活しなければならないのだ。」
(一九五三年九月二五日)
----
posted by Fukutake at 08:11| 日記