「努力論」 幸田露伴 著 岩波文庫
努力の堆積 p87〜
「人間の所為を種々に分類すれば、随分多数に分類し得る。そしてその所為の価値に幾干(いくばく)とない階級もあろうが、努力ということは確かにその高貴なる部分に属するものである。頃者(このごろ)世に行われて居る言葉に奮闘という言葉があって、努力とやや近似の意味を表して居るが、これは仮想の敵があるような場合に適当なもので、努力は我が敵の有無にかかわらず、自己の最良を尽くして而してある事に勉励する意味で、奮闘という言葉が有する感情意義よりは高大で、中正で、明白で、人間の真面目な意義をはっきして居る。元来一切の文明は、この努力の二字に根ざして其処から芽を発し、枝をつけ、葉を生じ、花を開くのであるといわねばならぬ。
しかし努力に比して丁度その相手の如く見ゆるものがある。それは好んで為すことである。好んで為すという事である。努力は厭な事を忍んで為し、苦しい思いにも堪えて、而して労に服し事に当たるという意味である。が、嗜好という場合には苦しい事も打ち忘れ、厭うという感情もなくて、即ち意志と感情とが並行線的、もしくは同一線的に働いて居る場合をいうのである。努力はそれとやや違った意味を有し、意志と感情とが相忤(あいご)し戻って居る場合でも、意識の火を燃え立たせて感情の水に負けぬように為し。そして熱して熱して已まぬのをいうのである。
ある人がある事に従事し、而してその人が我知らず自己の全力を其処に没して事に当たるという場合、それは努力というよりは好んで為すといった方が適当である。其処で、世界の文明は努力から生じて居る歟(か)、好んでこれを為す処から生じて居る歟といえば、努力から生じて居る如く見える場合も、嗜好から生じて居るが如く見える場合もある。例えば文明の恩人、即ち各時代の俊秀なる人物がある事業のために働いて、その徳沢を後世に遺した場合を考えて見るに、努力の結果の如く見ゆる場合もあり、また好んで為した結果の如く見ゆる場合もある。これは人々の観察、解釈、批評の仕方によって何方にも取れる。が、正当にこれを解釈して見たならば、好んで為す場合にも、努力が伴わぬ時はその進行は廃絶せざるを得ない。然らずとするもその結果の偉大を期する事は出来ない。
パリッシーの陶器製造におけるも、コロンブスの新地発見におけるも皆そうである。如何に好んで為すといっても、例えば有福の人が園芸に従事する場合についても、ある時は確かにそれは苦痛を感ぜしめよう。即ち酷寒酷暑における従事、あるいは虫害その他についての繁雑なる手数、緻密なる観察、時間的不規則な労働に服するなどの種々の場合に、努力によらなければ中途にして歇(や)むの状態に立ち至る事もままある道理で、換言すれば好んで為すといっても、その間に好まざる事情が生ずるのは人生にありがちな事実である。その好ましならぬ場合が生じた時に、自己の感情に打ち克ち、その目的の遂行を専らにするのが即ち努力である。」
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好んで之を行う。
逆ギレに逆ギレする
「ソクラテスの口説き方」 土屋賢二 文春文庫
人類の不幸 p20〜
「いくら教えても、若者には分からないことがある。たとえば、ものの価値をいくら教えても、若者には理解できない。中でも、年長者の価値が分からない。たぶん知性が未発達だからだろう。年長者の価値は、年長者になってみないと理解できないものだ。
学生に苦言を呈した。
「最近の若者のマナーはなっていない。電車の中だけ見ても、老人に席をゆずらない、足を投げ出す、床に座り込む、女は満員の電車で化粧する。そこまでやるならなぜ電車の中で着替えをしない。服装も乱れている。夏になると若い女はカシミールだかキャセロールだが、着てるだろう」
「キャミソールですか」
「それだ。下着同然の恰好だろう。なぜ冬も着ないんだ。こういった声が上がっている」
「ああいうのがお好きなんですか。今おっしゃったのは若者の一割ぐらいでしょう」
「一割いれば十分だ。これでは人類の進歩は期待できない」
「でも、わたしたちの間では、みんな、大人が悪いといってますよ。とくに中年のオヤジ連中が悪いといっています」
「大人のせいにしているのか。嘆かわしいことだ。それじゃ、われわれが若いときにした言い訳と同じだろう。昔からちっとも進歩してないじゃないか。そんなことでいいのか。大人は見苦しい言い訳はしない。われわれ大人がいつ、自分たち大人のせいにした。こういういさぎよさを見習いなさい。ところで、念のため聞くが、オヤジの中にわたしも入るのか」
「先生は典型的なオヤジです」
「それなら断固反論するが、オヤジはそんなにひどくない。少なくとも、われわれは若いころより元気がなくなった分、昔よりマシになっているはずだ」
「でもゴミやタバコを平気で投げ捨てるのはほとんどオヤジだし、オヤジの酔っ払いは最悪です。それにオヤジはどうしてあんなに酒くさくなるんですか。同じ人間とは思えません。電車でも女の前でヌード写真の載った新聞を平気で広げるし、ボックス席に座ると、靴を脱いで向かいの座席に短い足をのせてお酒を飲むでしょう。非常に不快です。それから…」
「もういい。そこまでマナーの悪い者なら、若者に違いない。老けて見える若者もいる」
「先生が悪いとおっしゃっている若者も、実は若く見えるオヤジかもしれません」
「オヤジがスカートを吐いて化粧するか。かりに君が非難しているのが全員オヤジだとしても、マナーが悪いのは、一部のオヤジだ。オヤジ全体の九割程度だろう。
「一割でも十分じゃなかったんですか。だいたいマナーの悪さを注意すると、若者は謝ることもありますが、オヤジはまず確実に逆ギレします」
「注意されて逆ギレするやつは最低だ。実は妻がそうなんだ。…」
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人類の不幸 p20〜
「いくら教えても、若者には分からないことがある。たとえば、ものの価値をいくら教えても、若者には理解できない。中でも、年長者の価値が分からない。たぶん知性が未発達だからだろう。年長者の価値は、年長者になってみないと理解できないものだ。
学生に苦言を呈した。
「最近の若者のマナーはなっていない。電車の中だけ見ても、老人に席をゆずらない、足を投げ出す、床に座り込む、女は満員の電車で化粧する。そこまでやるならなぜ電車の中で着替えをしない。服装も乱れている。夏になると若い女はカシミールだかキャセロールだが、着てるだろう」
「キャミソールですか」
「それだ。下着同然の恰好だろう。なぜ冬も着ないんだ。こういった声が上がっている」
「ああいうのがお好きなんですか。今おっしゃったのは若者の一割ぐらいでしょう」
「一割いれば十分だ。これでは人類の進歩は期待できない」
「でも、わたしたちの間では、みんな、大人が悪いといってますよ。とくに中年のオヤジ連中が悪いといっています」
「大人のせいにしているのか。嘆かわしいことだ。それじゃ、われわれが若いときにした言い訳と同じだろう。昔からちっとも進歩してないじゃないか。そんなことでいいのか。大人は見苦しい言い訳はしない。われわれ大人がいつ、自分たち大人のせいにした。こういういさぎよさを見習いなさい。ところで、念のため聞くが、オヤジの中にわたしも入るのか」
「先生は典型的なオヤジです」
「それなら断固反論するが、オヤジはそんなにひどくない。少なくとも、われわれは若いころより元気がなくなった分、昔よりマシになっているはずだ」
「でもゴミやタバコを平気で投げ捨てるのはほとんどオヤジだし、オヤジの酔っ払いは最悪です。それにオヤジはどうしてあんなに酒くさくなるんですか。同じ人間とは思えません。電車でも女の前でヌード写真の載った新聞を平気で広げるし、ボックス席に座ると、靴を脱いで向かいの座席に短い足をのせてお酒を飲むでしょう。非常に不快です。それから…」
「もういい。そこまでマナーの悪い者なら、若者に違いない。老けて見える若者もいる」
「先生が悪いとおっしゃっている若者も、実は若く見えるオヤジかもしれません」
「オヤジがスカートを吐いて化粧するか。かりに君が非難しているのが全員オヤジだとしても、マナーが悪いのは、一部のオヤジだ。オヤジ全体の九割程度だろう。
「一割でも十分じゃなかったんですか。だいたいマナーの悪さを注意すると、若者は謝ることもありますが、オヤジはまず確実に逆ギレします」
「注意されて逆ギレするやつは最低だ。実は妻がそうなんだ。…」
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posted by Fukutake at 07:25| 日記