2023年03月11日

一人にしておいて

「怪談入門」 江戸川乱歩小品集 平凡社ライブラリー 2016年

ロビンソン・クルーソー p300〜

 「イギリスのアーサー・マッケンの自伝小説に「ヒル・オヴ・ドリームス」というものがある。 それは一年ほどの間ロンドンの下宿屋で、ロビンソン・クルーソーの生活をした記録であって、それゆえにその小説の中には、人間的な交渉は皆無で、会話もほとんどなく、ただ夢と幻想の物語なのだが、私にとって、これほどあとに残った小説は近頃珍しいことであった。

 この「都会のロビンソン・クルーソー」は、下宿の一室で読書と、瞑想と、それから毎日の物云わぬ散歩とで、一年の長い月日を啞(おし)のように暮らしたのである。 友人はむろんなく、下宿のお神さんともほとんど口をきかず、その一年の間にたった一度、行きずりの淫売婦から声をかけられ、短い返事をしたのが、他人との交渉の唯一のものであった。

 私はかつて下宿のお神さんと口をきくのがいやさに、用事という用事は小さな紙切れに認めて、それを襖の隙間からソッと廊下に出しておくという妙な男の話を聞いたことがある。 マッケンの小説の主人公もおそらくそのような人物であったに違いない。 これは厭人病の嵩じたものと云うこともできよう。 だが、厭人病こそはロビンソン・クルーソーへの不可思議な憧れではないだろうか。

 私の知っている画家の奥さんは、夫の陰口をきくときに口癖のように、あの人は半日でも一日でも、内のものと口をきかないで、そうかと云って何の仕事をするでもなく、よく飽きないと思うほど、壁と睨めっこをしていますのよ。 まるで達磨さんですわね。 と云い云いしたものである。 この画家はおそらく家庭のロビンソン・クルーソーであったのであろう。

 「ジーキルーハイド型」という形容詞で人間の心の奥底のある恐ろしい潜在願望を云い現すと同じように、「ロビンソン型」の潜在願望というものがあるのではないかしら。 そういう潜在願望があればこそ、「ロビンソン・クルーソー」の物語はこのように広く、このように永く、人類に愛読されるのではないかしら。 われわれがこの物語を思い出すごとに、何とも形容のできない深い懐かしさを感じるのは、それに初めて接した少年時代への郷愁ばかりでないような気がする。 人間は群棲動物であるからこそ、その潜在願望では、深くも孤独にあこがれるということではないのかしら。

 考えてみると、世に犯罪者ほどこの潜在願望のむき出しになっているものはない。 密林の中で木の実、草の根を食って生きていた「鬼熊*」だけがロビンソン・クルーソーなのではない。 犯罪者という犯罪者は、電車の中でも縁日の人通りでも、群集の中のロビンソン・クルーソーである。 もし人に犯罪への潜在願望があるものとすれば、「ロビンソン願望」もその一つの要素をなしているのかもしれない。」

鬼熊* 一九二六年 本名岩渕熊治郎が殺人事件を起こし山中に潜んだが、最後に自殺した。

初出 (「中央公論」昭和十年十月号)
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posted by Fukutake at 08:51| 日記

反秩序攻撃=テロ

「まともな人」 養老孟司 中公文庫 2003年

自作自演のテロ p83〜

 「結論はなにか。 今度のテロ(911)は、アメリカ文明の自作自演だということである。 それを強く表現するなら、日本人としての私、アジア人としての私、時代遅れの私には、まさに「関係ない」ということである。
 この「関係がない」が「いえない」世界、それを私は原理主義世界という。 関係ないというと、多くの人が怒る。 でもなぜ関係を押し付けるのか、それが私にはわからない。 だってそもそも世界貿易センターとイスラムの正義は「関係ない」じゃないか。 もちろん「どこかで関係がある」と思うからテロなのであろう。 だから私は、右のように考えてみただけのことである。 右のように考えれば、世界貿易センターは関係なくはない。 それはアメリカ文明そのものだからである。

 テロに論理なんてない。 そう怒鳴る人もある。 考えるのが面倒になると、そうなる。 その気持ちもわからないではない。 そもそもなぜ私が、テロリストが「なにを考えているか」、それを考えなけりゃならんのだ。 論理なんかない。 そうわめいているほうが、人生楽に決まっている。
 新聞報道によれば、世界中の政府がテロ反対といっているらしい。 中国はもちろん「反対」である。 だからただちに新疆ウイグル自治区の民族活動家の逮捕に踏み切った。
 ロシアもむろん反対である。 旧ソ連が十年戦争をやって、負けて帰ったアフガンに英米が兵を出すというのなら、それにもロシアは大賛成であろう。 なにも損はない。 英米が勝つなら、十年やった戦争に実質的にケリがつく。 旧ソ連が負けたように、英米が負けて帰れば、ざまあ見ろ、それはそれでいい。 それならロシアはテロ反対に決まっている、

 そもそも政治の本質は、マキャベリズムである。 それは原理主義とは折り合わない。 政治家は原理主義者ではない。 原理主義者では困る。 だから政治家の本音はテロ反対に決まっている。 そもそも政治家ぐらい、テロの対象になりやすい人種はない。 個人的に考えたって、テロは困るはずである。 しかしそれは、政治家がテロに裏から金を出すことを否定するものでもない。 だから世界の世論はテロ反対などという新聞記事を私は信じない。 ヒトラー暗殺計画は悪いテロか。

 あらゆるテロには、秩序原理主義に反対するという意味が多少とも含まれている。 秩序原理主義者は、これを敏感に感じて、テロは秩序を破壊するものだという。 その秩序とは、今回はアメリカ文明という秩序だった。 日本がこの秩序に組み込まれていったのは、ペリー提督の黒船来航以来である。 特攻まで含めて、それに対して「テロった」のは、わずか半世紀前のことである。」

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posted by Fukutake at 08:46| 日記