「エンデの遺言」 ー根源からお金を問うことー 河邑厚徳+グループ現代 NHK出版
見えないお金 p224〜
「世界には実に多くの種類の文化があるのに、ほぼどこでもよく似たお金の仕組みをもっています。 きっと、どの国でも「カネが仇の世の中」と思い、お金が不足していることに不満をいい、お金を稼ぐことにあくせくしている人がいるに違いありません。
もし、火星人がいるとして、地球旅行記を書くとします。 彼らは当然、自分たちの間で情報やエネルギーを交換する別のシステムをもっているでしょうから、地球人が泣き、笑い、怒り、熱意をかき立てたり、自暴自棄になったりといった様相を見せるとき、そこにお金というものが介在していると知らされても、不思議な顔をするでしょう。
なぜなら、確かに目の前にある千円札はお金です。 でも、これがお金というものだといわれても、彼らには、それは紙にインクの染みのついたものに見えるでしょう。 彼らが、お金って何だろうと思って、それをよくよく見ても、お金の真の姿は見えません。 紙とインクだからです。 これをどろどろに溶かして電子顕微鏡で見てみるかもしれません。 でもお金の姿は見えません。
火星人はどうやら地球人をとりこにしているお金というものは、見て見えるものだが、見て見えぬものでもあると地球旅行記に書き記すかもしれません。 この惑星上で人間だけがお金を使います。 お金という社会の仕組みは私たちの脳に染み込んでいるようです。 おそらく火星人は地球人の謎を解かなければ、地球人を動かすお金の秘密を知ることができないと考えるでしょう。
もともと、お金は便利な道具としてつくりだされたはずです。 それがいつの間にか、人はお金に使われています。 いまやお金は主人であるかのように振る舞っています。 何かをしようにも、結局最後はお金の話になるのですから。 お金がない。 予算が足りないと。 どうしてそうなってしまったのでしょうか。 ちょっと、お金について振り返る必要がありそうです。 お金についてあきれかえるほど話をしながら、実はお金そのものについてはあまり考えてこなかったのが実状ですから。 ビンズヴァンガー*もこういっています。
「99%の人々がお金の問題を見ようとしない。 科学もこれを見ようとしない。 経済理論もそうだし、『存在しないもの』として定義しようとさえする。 われわれが貨幣経済を問題としないかぎり、われわれの社会の、いかなるエコロジカルな転換の見通しも存在はしないのだ」」
ビンズヴァンガー* 1881年4月13日 - 1966年2月5日)は、スイスの医学者、精神科医。 現存在分析学派を創始した。
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お金と物がつり合わない
「資本主義の方程式 ー経済停滞と格差拡大の謎を解く」 小野善康 著 中公新書 2022年
本文より
(p5〜)カネ自体への欲望
「貨幣のもつ一つの特徴は、時間が経っても減りも腐りもせず、保存するための費用もかからない、というものである。そのため、好きなときに好きなモノと交換できるという流動性と相まって、時間を越えた購買力の保蔵手段として最適である。さらに、価値の保蔵手段という側面だけ考えれば、貨幣でない債券(国債や社債)や株式など、他の金融資産でもよい。そのため、購買力の保蔵手段としてのカネの範囲は、貨幣を含む金融資産一般へ広がってくる。
カネが持つこれらの便利さは、経済が拡大しモノの取引が増えていくにつれて、ますます増幅していく。その結果、直接には何の役にも立たないカネの魅力がどんどん膨れあがり、もともとモノに付随していたカネへの欲望がモノから独立して、人々は、何を買うかという具体的な目的を持たなくても、カネの保有そのものに魅力を感じるようになった。これを資産選好と呼ぼう。」
(p16〜)成熟経済下の生産、消費、投資
「(’60年代のような成長経済とは違い)現下の成熟経済では大きな生産能力を備えて大量消費を実現しているため、人々の消費意欲が低下して資産選好が相対的に強まり、貯蓄の目的が将来の消費ではなく、具体的な使い道のない単なるカネの保蔵になっている。貯蓄が将来の需要増加に結びつかなければ、企業にとっては設備投資をする意味がない。そのため、貯蓄意欲が高まっても設備投資は増えず、カネの倹約がそのまま消費の減少だけをもたらし、総需要不足となって働きたくても働けない非自発的な失業が生まれ、労働力が無駄になって経済は不況に陥る。さらに、消費意欲が減退しているから、物価下落が起こってカネの実質量が増えても、また、金融緩和によって直接貨幣の供給量を増やしても、消費は刺激されず、総需要不足が続いて不況は長期化する。」
(p54〜)モノとカネが連動しない事態
「実質金融資産が小さい(’60〜70年代)頃は、実質金融資産の増大に伴って消費も比例的に増えていったが、実質金融資産が多くなると、消費の伸びは徐々に減っていき、90年代半ば以降は、実質金融資産がいくら増えても消費がほとんど増えなくなってくる。すなわち、デフレが続いて金融資産の実質量が拡大しても、異次元金融緩和によって貨幣を大幅に増発し、それとともに株価が大きく膨張しても、消費はほとんど影響は受けていない。
消費と実質金融資産が連動しない傾向は、実質金融資産が増える局面だけでなく、減る局面においても同様に成り立っており、リーマン・ショックや東日本大震災の後でも、消費は一時的に下がったもののすぐに回復し、その後は以前の水準を維持している。このように日本経済は1990年代初頭を境に、モノとカネが密接に連動する成長経済から、モノとカネが連動しない成熟経済に突入してしまったのである。」
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総需要が生産能力に追いつかない
本文より
(p5〜)カネ自体への欲望
「貨幣のもつ一つの特徴は、時間が経っても減りも腐りもせず、保存するための費用もかからない、というものである。そのため、好きなときに好きなモノと交換できるという流動性と相まって、時間を越えた購買力の保蔵手段として最適である。さらに、価値の保蔵手段という側面だけ考えれば、貨幣でない債券(国債や社債)や株式など、他の金融資産でもよい。そのため、購買力の保蔵手段としてのカネの範囲は、貨幣を含む金融資産一般へ広がってくる。
カネが持つこれらの便利さは、経済が拡大しモノの取引が増えていくにつれて、ますます増幅していく。その結果、直接には何の役にも立たないカネの魅力がどんどん膨れあがり、もともとモノに付随していたカネへの欲望がモノから独立して、人々は、何を買うかという具体的な目的を持たなくても、カネの保有そのものに魅力を感じるようになった。これを資産選好と呼ぼう。」
(p16〜)成熟経済下の生産、消費、投資
「(’60年代のような成長経済とは違い)現下の成熟経済では大きな生産能力を備えて大量消費を実現しているため、人々の消費意欲が低下して資産選好が相対的に強まり、貯蓄の目的が将来の消費ではなく、具体的な使い道のない単なるカネの保蔵になっている。貯蓄が将来の需要増加に結びつかなければ、企業にとっては設備投資をする意味がない。そのため、貯蓄意欲が高まっても設備投資は増えず、カネの倹約がそのまま消費の減少だけをもたらし、総需要不足となって働きたくても働けない非自発的な失業が生まれ、労働力が無駄になって経済は不況に陥る。さらに、消費意欲が減退しているから、物価下落が起こってカネの実質量が増えても、また、金融緩和によって直接貨幣の供給量を増やしても、消費は刺激されず、総需要不足が続いて不況は長期化する。」
(p54〜)モノとカネが連動しない事態
「実質金融資産が小さい(’60〜70年代)頃は、実質金融資産の増大に伴って消費も比例的に増えていったが、実質金融資産が多くなると、消費の伸びは徐々に減っていき、90年代半ば以降は、実質金融資産がいくら増えても消費がほとんど増えなくなってくる。すなわち、デフレが続いて金融資産の実質量が拡大しても、異次元金融緩和によって貨幣を大幅に増発し、それとともに株価が大きく膨張しても、消費はほとんど影響は受けていない。
消費と実質金融資産が連動しない傾向は、実質金融資産が増える局面だけでなく、減る局面においても同様に成り立っており、リーマン・ショックや東日本大震災の後でも、消費は一時的に下がったもののすぐに回復し、その後は以前の水準を維持している。このように日本経済は1990年代初頭を境に、モノとカネが密接に連動する成長経済から、モノとカネが連動しない成熟経済に突入してしまったのである。」
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総需要が生産能力に追いつかない
posted by Fukutake at 10:35| 日記