2023年03月06日

不思議の国、西域

「妖怪・怪物」ー東洋文庫ふしぎの国ー 荒俣宏=編 平凡社 1989年

『東方見聞録』より p96〜

 「パスマン王国
 ファーレック王国を去ってパスマン王国に入る。これは独立した王国で、独自の言語を有している。住民は野獣とまではゆかなくとも、とにかく掟を知らぬ者たちである。彼等はカーンの臣下だと称しているが、カーンの軍隊も到達しえられない遠隔地に住んでいるので、別段に正規の貢物を献上することもなしていない。それにもかかわらず彼等は皆カーンの隷臣だと自称し、この地を通過する旅行者に託して時たま美麗珍奇な品物、特にこの地の特産たる蒼鷹を贈答品としてカーンに届けることがある。

 この地方には野生の象や、象よりはやや小型の一角獣が多数に棲息している。この一角獣は、毛が水牛に類し足が象に似ており、額の中央に非常に大きな黒い角を持つ動物であるが、この角では他を傷つけないで、舌と膝とで危害を加える。それというのも、この舌にはとても長い鋭いとげがはえていて、怒りたけると相手を打倒して膝下に押さえつけ、この舌で傷つけるのである。その頭は野猪と同じく、常に伏し目になって大地に向かっている。泥沼を好み、その中にすんでいる。見るからに恐ろしげなる動物であって、ヨーロッパなどで空想されたり物語られたりしているような、あの乙女の膝に自ら身を投じて捕捉される一角獣などとは、およそ似て似つかぬものである。繰り返して断言するが、それはヨーロッパ人が伝えているようなものとは全く正反対の動物なのである。

 この地には猿がとても多いが、その種類はさまざまで、とくに珍しい種も少なくない。また鳥のようにまっ黒な大鷹がいるが、これは鷹狩り用としてかっこうである。
 なおもう一つ皆さんに知っておいていただきたいことは、ある旅行者たちが侏儒(こびと)を連れ帰って、これは自分がインドから直接連れて来たものだと主張するが、それは全くのでたらめ事だということである。それというのは、彼等が人間だと称するこれらの侏儒は、実はこの小ジャヴァ島で次のようにして製作されたものにすぎないからである。すなわちこの島には人間によく似た顔つきをした一種の小型の猿が棲息するのを、彼等旅行者が捕獲し、ある種の膏薬を用いて、生殖器の部分以外の体毛をすべて落とし去り、さらにこの猿の顎に長い髪を植えつけ、乾かして顎鬚に似せるのである。皮膚が乾くと毛を植えたあなが収縮するから、まるで自然にはえた鬚そっくりに見える。なおその上で、手足や五体の様子がまた十分に人間らしくないから、これを引き伸ばしたり型にはめたりして人間の四肢五体に似せしめる。

 この工程が終わると、今度はこの猿を日にさらし、樟脳などを塗抹して何とか人間に見まがうまでに工作するのである。いわゆる侏儒と称せられるものは、右に述べたようにして人工的に作製されたものにほかならないから、全く信用のできぬごまかしである。それに元来そんな小さな体躯をした矮人なんかは、インドはおろか、それ以外のどんな未開国に行っても、いまだかつてお目にかかったことがないからである。」

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posted by Fukutake at 07:29| 日記

トロ

「ダメの人」 山本夏彦 文春文庫 1985年

 トロの値段 p12〜

 「私は寿司の値段はでたらめではないかと疑って、以前以下のように書いたことがある。

  「三年ほど前、六本木の寿司屋で、三島さんと会った。深夜に近い時刻で、三島さんも一人、私も一人だった。私はひどく酔っていたー と山口瞳さんは書いていた。三島さんというのは、死んだ三島由紀夫さんのことである。
 山口さんは三島さんと同時時代人である。ただし、親しい仲ではないという。その山口さんが見ると、三島さんはまぐろばかり食べている。職人がこんどは何を召上がりますと問うと、トロと答える。いつまでたってもほかのものは食べない。
 寿司屋では、車えびのような特に高いものはべつとして、あとはみな値段は同じなのである。したがって、仕入れの高いものばかり食べられると、寿司屋は損をする。まぐろは仕入れの高い目玉商品である。そしてまぐろが品切れになると、その日は店をしまわなければならない。まぐろのない桶なんて寿司ではない。
 だから職人は、わずかに困ったような表情をした。まぐろばかりだといって、高くとるわけにはいかない。それを三島さんは知らない。この人は寿司を食べる初歩的なマナーを知らない。
 私(山口さん)なら寿司屋の立場を考えて、気がねしてまぐろばかりは食べない。ほかのものをつまんで、まぐろに返って、またほかのものをつまむ。

 これは寿司屋にかぎらない。宿屋へとまれば、番頭や女中の立場を考えて、気がねしないわけにいかない。タクシーに乗れば運転手に気がねしないわけにいかない。私の女房はこの気がねが大嫌いで、一緒に行ってもちっとも楽しくないという。それに一理あるとは思うけど、世間の人は世の中に気がねしながら生きているー

 右は三島さんの死の直後に書かれた文章である。三島さんは昭和四十五年に死んだから、ずいぶん前に書かれた文章である。私は山口さんの愛読者で、不思議な魅力のある文章を書く人だとかねがね敬服している。文字通りユニックである。この三島さんの追悼文にも、いかにも三島さんらしい人が出てきて、さもありそうである。再び三たびトロと答えるくだりでは、私は山口さんと共にあっけにとられた。

 それはさておきこの小文には、私の知らないことがたくさん書いてある。車えびのたぐいは別として、寿司はたいてい同じ値段だとは知らなかった。赤貝はこはだ、穴子としゃこは一々値段が違うものだと、なが年私は思っていた。したがって、まぐろばかり食べられると寿司屋は損するというのも初耳だった。それを知らないのはおかしいとあったので、実は私も知らなかったから大げさにいうとまあ愕然とした。

 山口さんの書くものはいつもたいてい腑に落ちるが、これは腑に落ちない。寿司を食べるにもマナーがあるという。そりゃあるだろう。けれどもこれがマナーだとは、私ばかりでなく世間の人は思わないのではあるまいか。」

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値段はネタによって当然違うだろう!?

posted by Fukutake at 07:25| 日記