「ミレニアムからの警告」ー愛国心が日本を亡すー B.A.シロニー著 山本七平監修 光文社 1989年
日本人の宗教 p120〜
「西洋社会では、人を評価する場合、その人が持つ信念や確信といったものに重きを置く。 その人がクリスチャンなのか、イスラム教徒なのか、それともユダヤ教徒なのか、また、共産主義者なのか、自由主義者なのか、またはファシストなのか、保守派なのか、それとも急進派か、時代遅れなのか、それとも近代的なのか。 こういったことを人々は知りたがるのである。
西洋社会では、信念というものはきわめて重要な意味を持ち、戦争の多くは、イデオロギーが原因で起きたのである。
過去数十年間に、世界中で、信念のちがいの原因で、多くの衝突が起きている。 プロテスタント対カトリック、ユダヤ教対イスラム教、毛沢東派対スターリン派、といったこれらのものは、その代表的な例である。
こういった戦争の裏に潜んでいるのは、真理はたった一つしか存在せず、したがって別の真理を唱える者たちは悪であって、そういう人々は抑圧し、抹消しなければならないという考え方である。
過去二千年間にわたり、西洋文化を特徴づけてきた、信念に固執する西洋人の態度が、日本人にはほとんどない。
日本にもたびたび戦争や衝突は起こった。 しかし、それらのなかには、どれ一つとして宗教やイデオロギーが原因となって起きたものはない。
日本には、宗教的正統性というものが存在したことがなく、そのため、常にさまざまな信条や信念が互いに共存しあってきた。
土着の神道は数々の習慣や儀式や信念と同様、八百万(やおよろず)の神と呼ばれるほどの実にさまざまの神々を認めている。 また、その土地土地に見られる多くの習慣や信条は、ほとんどが神道か仏教から派生したものであり、それらが互いに食いちがっても、気にする者は誰もいないのである。
七世紀に仏教が日本に伝えられたとき、神道にとって代られることはなかった。
そのうえ、仏教は、日本では教理の統一された宗教とはなりえなかった。 常に多くの宗派が存在し、これら各宗派間の相違点は、時としてユダヤ教とキリスト教よりも多いこともあった。
ところが、これらすべての宗派や、その下の分派、分家といったものが、互いに相手を一掃することもなく、平和的に共存してきたのである。
十六世紀に来日したイエズス会士、フランシスコ・ザビエルは、彼の日本人の友人の一人で高尚な仏僧が「魂は不滅であるかどうか、それとも魂は肉体と共に滅んでしまうのかどうかわからない」と言ったことを、驚きの心をもって書いている。 たぶん、その”気の毒な”友は、両方の説とも信じたのだろう。」
-----
日本に国教はなかった。
理想の生活
「またたび読書録」 群ようこ 新潮文庫 平成十三年
「波止場日記」エリック・ホッファーより 晴耕雨読 p85〜
「「波止場日記」は一九五八年六月から一九五九年五月までの日記を収録したものである。 仕事の時間は四時半から十時間まで、そのときどきで違う。 荷物も車、材木、肉、りんご、鮭の缶詰などさまざまである。 一緒に仕事をするパートナーもそのときで違う。 各国の船の乗組員とも出会う。 それをエリックは楽しんでいるのだ。
「この船のイギリス人乗組員はすてきな印象。 平均的アメリカ人に比べ、これらのイギリス人船員にはすがすがしさと個性がある。 この人たちは駆け足人生を送っておらず、また生活に追いまわされてもいない。 われわれが走るのを止めたらアメリカは生き残れるのだろうか。」
「一日陽気な気分で、周囲の人々との一体感があった。 読み書きのほとんどできない人々と人生を過ごしたからといって、失ったものはたいしてない。 自分の抱いている観念を考え抜くためには、知的孤立が必要である。 私は本の世界と世界という本の両方から刺激を得る。 教育があって自分の考えを表現できる人々、議論の達者な人々とすごしていたとしても、どれだけ考えを発展させるのに役立っていたのかわからない。」
両親との縁が薄く、人との関係も希薄だったエリックは、港湾労働者仲間の家に食事に呼ばれ、その家の妻と意気投合した。 そして妊娠している彼女にむかって、生まれるのは男の子であるといい、その通り男児が生まれ、エリックは赤ん坊に自分と同じ名前をつけてやった。 彼は友人の妻とそのリトル・エリックを何度も日記に登場させ、愛おしんでいる。 これ以上は望めないという仕事、愛情をそそげる女性と子供。 彼らは自分の妻でもないし子供でもないから、エリックが彼らの人生を背負っているわけではない。 逃げようと思えばいつでも逃げられる状態にある。 こそには彼の望んでいるものが、すべて揃っていたのだ。
彼のような気負わない淡々とした生活は理想である。 私は現場に行って肉体労働を本気でやろうとは思ってもいないし、できるわけもない。 しかし「晴耕雨読」にはとても憧れる。 これこそ人間の基本である。 自分にできっこないから、憧れが強いのかもしれない。 友だちのなかには、年とったら田舎に引っ込んで、そういう生活をしたいという人もいるが、都会好きの私にはむつかしい。 となると軟弱者の私は、都会での「晴耕雨読」を目指すすかない。 「雨読」はともかく「晴耕」をどうするか。 それがこれからの私の重要な課題である。」
ホッファーは「沖仲仕ほど自由と運動と閑暇と収入が適度に調和した仕事はなかった」と述懐している。(ウィキペディア)
----
「波止場日記」エリック・ホッファーより 晴耕雨読 p85〜
「「波止場日記」は一九五八年六月から一九五九年五月までの日記を収録したものである。 仕事の時間は四時半から十時間まで、そのときどきで違う。 荷物も車、材木、肉、りんご、鮭の缶詰などさまざまである。 一緒に仕事をするパートナーもそのときで違う。 各国の船の乗組員とも出会う。 それをエリックは楽しんでいるのだ。
「この船のイギリス人乗組員はすてきな印象。 平均的アメリカ人に比べ、これらのイギリス人船員にはすがすがしさと個性がある。 この人たちは駆け足人生を送っておらず、また生活に追いまわされてもいない。 われわれが走るのを止めたらアメリカは生き残れるのだろうか。」
「一日陽気な気分で、周囲の人々との一体感があった。 読み書きのほとんどできない人々と人生を過ごしたからといって、失ったものはたいしてない。 自分の抱いている観念を考え抜くためには、知的孤立が必要である。 私は本の世界と世界という本の両方から刺激を得る。 教育があって自分の考えを表現できる人々、議論の達者な人々とすごしていたとしても、どれだけ考えを発展させるのに役立っていたのかわからない。」
両親との縁が薄く、人との関係も希薄だったエリックは、港湾労働者仲間の家に食事に呼ばれ、その家の妻と意気投合した。 そして妊娠している彼女にむかって、生まれるのは男の子であるといい、その通り男児が生まれ、エリックは赤ん坊に自分と同じ名前をつけてやった。 彼は友人の妻とそのリトル・エリックを何度も日記に登場させ、愛おしんでいる。 これ以上は望めないという仕事、愛情をそそげる女性と子供。 彼らは自分の妻でもないし子供でもないから、エリックが彼らの人生を背負っているわけではない。 逃げようと思えばいつでも逃げられる状態にある。 こそには彼の望んでいるものが、すべて揃っていたのだ。
彼のような気負わない淡々とした生活は理想である。 私は現場に行って肉体労働を本気でやろうとは思ってもいないし、できるわけもない。 しかし「晴耕雨読」にはとても憧れる。 これこそ人間の基本である。 自分にできっこないから、憧れが強いのかもしれない。 友だちのなかには、年とったら田舎に引っ込んで、そういう生活をしたいという人もいるが、都会好きの私にはむつかしい。 となると軟弱者の私は、都会での「晴耕雨読」を目指すすかない。 「雨読」はともかく「晴耕」をどうするか。 それがこれからの私の重要な課題である。」
ホッファーは「沖仲仕ほど自由と運動と閑暇と収入が適度に調和した仕事はなかった」と述懐している。(ウィキペディア)
----
posted by Fukutake at 07:52| 日記