2023年01月20日

反論の難しさ

「韓非子」第一冊 金谷 治 訳注   岩波文庫

説難(ぜいなん)* より 第十 P236〜

 「およそ君主に説くうえで心がけるべきことは、説得しようとする相手が誇りとしていることを飾りたて、恥ずかしいお思っていることをもみけしてやるのを、わきまえることである。相手に私的な強い欲望があれば、必ず公けの正義にかなっているとしてその実行を勧めるのがよい。相手が心のなかで卑下しながら、それをやめられないと言う場合には、説く者はそのまま美点を飾りたて、それをやめたところで別に大したことではないとすることだ。相手が心のなかであこがれながら、実際にはそれを行えないでいるという場合には、説く者はそのためにその欠点をあげてだめなことを明らかにし、それを行わないのを誉めあげることだ。相手が(事を起こして)自分の知能を自慢したいと思っている場合には、そのために別の類似した事をとりあげてじゅうぶんな下地を作ってやり、こちらの説を採らせながら、知らぬふりをして相手の知識を助けてやることだ。

 説く者が外国との共存の意見を進めたいと思うときは、必ず立派な大義名分をかかげて説明したうえで、それが君主自身の個人的な利益にもかなっていることを、それとなく示すのがよい。また国家に危害が及ぶ事件を陳述したいと思うときは、それが当然の非難を受けることを明らかにしたうえで、また君主自身の個人的な害にもなることを、それとなく示すのがよい。(君主の行動を誉めたいときは、)君主と同じ行動をした別人を誉めることだ。(君主の事業を正したいときは、)君主と同じ計画の別の事業を正すことだ。

 君主と同じ欠点を持つものがいたなら、必ずそれが別に害にはならないということを大いに飾りたててやることだ。君主と同じ失敗をしたものがいたなら、必ずそれが別に落ち度にはならないということをはっきりと飾りたててやることだ。説得しようとする相手が自分の力を自慢にしているときはその困難なことろを取りあげて水をさしたりしてはならない。自分の決断を自分で勇敢だと思っているときは、その過失を言いたてて怒らせたりしてはならない。自分の計画を自分で賢明だと思っているときは、その欠点をあげて窮地に追いこんだりしてはならない。説くことの大意を相手の君主の意向に逆らうところがなく、説く者の言葉づかいも相手の心に抵抗するところがなくなって、そうして始めて知恵と弁舌を思いのままにふるうのだ。これこそ、君主と親しい関係になってもはや疑われることがなく、言いたいことを存分に言えるための方法である。」

説難(ぜいなん)* 権力者に進言するその説き方の難しさ

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相手の心の襞に入り込め。

posted by Fukutake at 08:33| 日記

絵画と音楽

「小林秀雄全集 第七巻」− 歴史と文学・無常といふ事− 新潮社版 平成十三年

梅原龍三郎 p451〜 

 「僕は、梅原氏の畫からよく音樂を聯想する。これは必ずしも僕が音楽好きだからではない様で、氏の畫には、音感を刺激する或る運動感覺がいつも現れてゐる様に思はれる。この畫集に見返しに、「古赤繪美人圖」といふのがあるが、繪模様といふ實體を缺いたモデルの御蔭で、畫才は殆ど樂才に變じてゐるとさへ感ずる。まるでキイでも叩く様に、赤や膽礬*(たんぱん)が塗られてゐる。尤も、効果は、肉聲の和聲であるが。この前の「梅原龍三郎近畫集」といふのの見返しの繪も好きな畫である。モデルは空だが、色感の赴くがままに繪筆のバランスをとつてゐる様な繪は、まるで空が鳴つてゐる様だ。この繪は、友人のところにあるので、よく見るのだが、見る毎に管樂器のかなり限定された旋律さえ聯想し、若しかしたら、かういふものが、この畫家の極樂といふものかも知れぬなどと思ふ。無論かういふ種類の畫は、梅原氏の餘技であらうが、餘技のうちに、氏のどの繪にも僕が感じる音樂性の極限が現れてゐるのを面白い事だと思つてゐる。めいめい感じ方といふものは違ふであらうが、僕はさう感ずる。そんな風に言ふより仕方がない、殊に梅原氏の様な畫家の純血種に就いて言ふ時には。だが、畫家の唯一の方法は、色だといふ單純な眞實の深さに、いつも立還り自問自答してゐるこの純血種にあつては、色調といふ言葉は、どうも尋常な意味を拔いてゐる様に思はれてならないのである。

 梅原氏の繪は、文句なく極く普通な意味でも美しい。それが梅原氏の一般の人氣の出どころでもあるし、又、思はせぶりな繪の好きな人が、何か物足らなぬ様な口を聞き度がる所以である。幼稚かも知れぬが、人氣の方が恐らく正しい見方をしてゐる、というのが僕の考へ方だ。…

 風景畫をとつてみても、江の浦でも櫻島でも、この畫集の北京風景でも、また最近の富士山でも、皆畫家を待たずとも名勝繪葉書として成功するものだ。こんなに名勝ばかりを、倦まず弛まず扱つてゐる人はない。自然は、この畫家から狙はれてゐる、さういふ風に狙はれるより他はない様な自然が、いつもこの畫家に現前してゐる。…」

膽礬* (たんばん) 銅の硫酸塩鉱物でる青い半透明の結晶体で、深く渋い青緑色のこと。

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posted by Fukutake at 08:27| 日記