2023年01月08日

もっと倫理性を!

「産業社会の病理」 村上泰亮 著 中央公論 昭和50年

 近代経済学の可能性と限界 p304〜

 「経済学の基礎的(primitive)理論的語句である「財」、「価格」、「生産」、「消費」等について考えてみよう。 これらの言葉は、われわれの日常経験にしばしば登場し、われわれの誰もが自分なりの理解をもっている。 したがってわれわれはこれらの語句を理解したように感ずるのだが、しかし実は、これらの語句は経験の一般化を媒介して解釈されるのであり、その結果各個人の体験とはかけはなれた内容をもっていることが少なくない。 例えば人々は「財」を、自分が日常売買しているものとして理解するだろうが、しかしときに「財」は。消防、警察、道路、港湾などの「公共財」を含むものとして解釈される必要がある。 その場合、考えてみれば、「私的財」のみを市場交換しつつある経済と、「公共財」と「私的財」との両方を市場交換を通うじた形で(公共財については受益者負担)需要し供給しつつなる経済とは、その経済で生きている人々に全く違った意味をもっているかもしれない。 しかしその違いは、形式理論の上では全く現れず「財」という概念の解釈規則の中に隠されてしまう。

 近代経済学に対する批判として、制度的要因の考慮が不十分であるとか、「人と物」の関係を分析して「人と人」との関係を無視しているとかよく言われる。 この批判には多分二つの側面が含まれている。 一つは、制度の変化に関する理論や、「人と人」の関係に関する理論を、経済理論内へ取り込めという議論である。 しかしいわゆる「人と人」の関係についての理論は、検証のより困難な命題から構成されるものであり、社会科学の検証の困難を一層増大させる。 少なくともそのような高次の理論と、経済理論とは一応区別しておくのが適切である。

 しかしこの批判が、近代経済学の解釈規則に関する無神経さを非難しているのであれば、それは正しい。 これまでの近代経済学は、解釈規則を実質的に変化させ、背景にある制度や、「人と人」との関係について、変化は実に想定しながら、表面では全く同一の語句を使って、精密な演繹体系を肥大させてきた。 このようにして例えば、市場機構の効率性の主張は現実においてついに反証されることがない。 かくてマクルーゼのいう魔術化、儀礼化が完成する。 近代経済学におけるこの意味での制度的要因の無視は、明らかに批判されるに価する。 近代経済学者は、自分の使っている理論的語句の現実との対応をもっとはっきりさせるべきであり、その点の努力が欠けるとき、近代経済学者は単なる演繹計算の技術者に他ならないものとなる。 もちろん演繹計算の優れた技術者は貴重な存在である。 しかし私がひそかにおそれるのは、彼があいまいな解釈規則の霧の中にかくれて、単なる演繹体系を、検証の経た真の科学体系のように装わせることなのである。 それを避けるためには、近代経済学者が単なる演繹論理の技術者ではなく、ある程度まで社会学者であり、あるいは哲学者でさえあることが必要になるこのと思われる。」

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ここで西部邁へとつながる

 

posted by Fukutake at 08:31| 日記

枕草子 新解釈

「『枕草子』研究の現在」 土方洋一 學士會報 2023−1(No.958)より

 「「枕草子」という書名を聞いて、人はどのようなイメージを持つだろうか。 平安時代に清少納言という女性が書いた随筆である、多くの人がそう答えるだろう。 高校の古典の教科書にそう書いてあるし、清少納言を日本で最初のエッセイストとして描いている一般書もたくさんある。

 しかし、平安文学を研究する私たちの間では、それは常識ではない。 平安時代には「随筆」という概念も用語も存在しない。 少なくとも、清少納言(が書いたということは認めるにして)が、「随筆」のつもりでこれらの文章を書いたはずはない。 当時「随筆」という概念がなかったにせよ。今日の目から見てそう呼ぶのにふさわしい内容形式であれば「随筆」と呼んでもいいのではないかという考え方もありうる。 しかしながら、『枕草子』を『随筆』と呼ぶことで「個人としての発信」というイメージが定着するとすれば、それは実態とはかけ離れていることになる。

 『枕草子』は何を目的として書かれたのか? 清少納言は、一条天皇の中宮定子に仕えている女房だった。 『枕草子』はおそらく、中宮定子の後宮で醸成されつつある斬新な文化や美意識を宮廷世界全体へ発信することが目的で書かれたものと考えられる。

 中宮定子からの発信に際しては、教養のある貴族をも感服させるような新た強い美意識を盛り込むことが求められた。 凡庸なものを不可とし、人の意表を衝くような斬新さを盛り込むことが、定子後宮らしい発信の基本方針であった。 「私たちは、こう提案します」というニューモードとしての発信である。

 『枕草子』の冒頭に置かれている「春はあけぼの」の段は、『枕草子』を代表する章段として有名だが、そこでは春夏秋冬の四季折々のもっとも季節観が身にしみる時刻が列挙されている。 ただし、そこで揚げられている「美しい刻(とき)」はみな、貴族社会の中での伝統的な季節観から外れている。

 たとえば、前述の「春はあけぼの」。 漢詩文以来の伝統としては、春を象徴する時刻は「宵」である(「春宵一刻値千金」蘇轍)。 春の「あけぼの」の美しさを述べたものは、『枕草子』以前の漢詩や和歌の中にはほとんどない(平安後期以降の和歌に「春のあけぼの」を詠んだ歌が増えてくるのは、明らかに『枕草子』の影響である)。 『春はーあけぼの」という提言をはじめて目にした時、当時の貴族たちは意外な驚きを感じたはずだ。 それが、「やうやうしろくなりゆく山ぎは、すこしあかりて」云々という説明が続くと、「あけぼの」と言われるほんの一刻のうつろいゆく空の色合いの微妙な変化の中に、春という季節にしかない繊細な味わいがあると感得されてくる。 それは、それまで彼らが気づいていなかった新しい美の発見であったはずである。」


新しい美の基準の創造


posted by Fukutake at 08:27| 日記