2023年01月05日

春のみやこは花盛り

「花間集*」花崎采琰(はなざき さいえん)著  桜楓社 昭和四十六年

韋荘  p40〜

 「浣溪沙*(三)
 あわれ夢見のして月傾けば                            惆脹夢餘山月斜
壁に照る孤燈(ともしび)、窗小暗く                   孤燈照壁背窗紗
小樓(にかい)の閣(うてな)は謝娘(あのこ)の家 小樓高閣謝娘家

しのぶ玉容(おもかげ)はいづこか                   暗想玉容何所事
春の雪に凍る梅花の一枚                             一枝春雪凍梅花
身にしむ香は朝霞こめるさまよ                      満身香霧簇朝霞」

浣溪沙(五)
 「夜々の相思(こい)                                 夜々相思更漏殘
心いたみて月の欄干(てすり)にもたれ       傷心明月凭欄干
君しもび我が身思へば                            相君思我
さぶき錦衾(ふすま)                                錦衾寒

海底に似た晝堂(へや)のわびしさ            咫尺晝堂深似海
思いつめて舊い戀文とりいで看れば         憶来唯把舊書看
「いつの日か手を携(ひ)いて                   幾時擕手
長安に歸ろうよ」と                                 入長安」

菩薩蠻*(五)
 「春の洛陽(みやこ)は花ざかり                洛陽城裏春光好
洛陽の才子は他郷(いなか)に老いた        洛陽才子他郷老
柳の暗い魏王堤で                                  柳暗魏王堤
此の時心は迷いにくれた                          此時心轉迷

桃の花ちる春の流れきよらかに                 桃花流水
川には鴛鴦(おし)のゆあみするのを          水上鴛鴦浴
じつとみつめて夕陽まで                          凝恨對殘暉
君をしのぶとも君は知るまい                     憶君君不知」

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花間集* : 中國の唐宋時代の歌謡集。五代西蜀に現れた名流詞人十八人の選集。
浣溪沙*:詞牌の一。詞の形式名。双調 四十二字。
菩薩蠻*:双調。 四十四字。換韻。全ての句が押韻する。

posted by Fukutake at 11:10| 日記

生身の人間と戦争

「小林秀雄全作品10」中原中也 新潮社 平成十五年

「軍人の話」 p195〜

 「大分前のことだが、蘭州を爆撃した或る飛行将校の話、敵機を撃墜した時の幸福感は、無上のもの、至福とでもいうべきものでこれなら死んでも構わぬと思った。という話を新聞で読み、片言のうちに感情が溢れていると思い手帖に書き取って置いた事がある。

 支那に行って、軍人たちに会い、戦の話を聞き、戦というものを最も沈着に健康に人間らしく理解しているものはぎりぎりの処戦を体験している軍人である、軍人だけである、と痛感した。戦という異常時を平静に生きている軍人たちの顔は、皆例外なく人間らしい。

 戦を日常茶飯事としている一種の人種もあるよといった顔をしている銀座街灯の文化人ともよ。僕には君等の顔の方がよっぽど化物染みて気味が悪い。
 本紙(「東京朝日新聞」)に連載されていた「盧溝橋一周年回顧座談会」は実に面白く読んだ。他の座談会には決して見られぬ心が躍っている。何と言うか、歴史を見舞った驚くべき悲劇に平気で堪えている心が躍っている。
 軍人も最近は、ジャアナリズムに登場する機会が多い。不得手な議論などでシャッチコばらずに、率直に喋る様に書いて欲しいと思う。」

 火野葦平「麦と兵隊」 p197〜
 「火野葦平「麦と兵隊」(「改造」)を読み、感動を覚えた。人の肺腑を突くものがあるのである。
 特に、死を覚悟した孫扞での一日の日記は力強い名文である。見るも無慙な記録であるが敢えて名文と言いたいのだ。これを書いているものは、正しく作家火野葦平であることを読みながらしかと感ずるがためである。

 迫撃砲弾が雨下する中で、全力を挙げて勇敢なる兵隊たらんとする自分を、全力を挙げて冷静に観察せんとするもう一つの自分がある。その緊迫した有様は異様な美しさを以って読者に迫る。戦争の体験が人間をどの様に鍛錬するかが手にとる様に分かる。彼は違ってしまった。「糞尿譚」にみられた弱さも甘さも曖昧さも、最早ここにはみられないのである。
 事変以来、幾多の従軍記者が現れたが、この従軍記者が一つずば抜けていると僕には思われる。何がそう思わせるのであろう。一と口では言えない、又、言えば誤解を招く恐れがある。だが恐らくはそれは何か極めて謙遜なある心持ちだ、兵隊としての、人間としての。

 この作品(敢えて作品とよぶ)の魅力は、立場だとか思想だとかに一切頼らず、掛け代えのない自分の生命だけで、事変と対決している者の驚くほど素朴な強靭な、そして僕に言わせれば謙遜な心持ちからやって来る。活字面ばかり御大層な近頃のジャアナリズムでは、こういう文章は親友に会った様な気持ちのものだ。」

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posted by Fukutake at 11:02| 日記