2023年01月03日

不幸は自分がまねく

「死ぬことが怖くなくなる たったひとつの方法 ー「あの世」をめぐる対話」 矢作直樹 x 坂本政道 徳間書房 2012年

自分がつくる自分の人生(矢作) p211〜

 「そう言えば「自己責任」という言葉が、いつの間にか定着してきましたよね。 
 アセンション*していくということは、さまざまな束縛や信念から自由になっていくことを意味しますが、それは、同時に、自分が自分の人生をつくっていくことを認識していくことでもあるのです。
 自分の体験することはすべて自分がつくっているということは、すべては自己責任だということです。 これまで、やれ社会のせいだ、会社のせいだ、親のせいだ、あいつのせいだと他者のせいにすることもあったのですが、そうではない、自分が自分の体験することをつくっているのだ、すべては自己責任だという事実に気づくのです。 ある意味、自分が創造主だったと認識することなのです。

 普通はそういう認識はありませんよね。 自分の思い通りに行かないことばかりで、願いはなかなか叶ってくれません。 思い通りに行かないのが人生というのが一般通念です。
 でも高次の存在たちは異口同音に「そうじゃないんだ、人は皆自分の思い描いた通りに生きているんだ」と言います。 なんでそんな違いがあるのかというと、「自分の思い」というときに、高次の存在たちは我々の潜在意識までを含めるからです。 そして、顕在意識と潜在意識の両者からできている自分の思いがそのまま具現化されているのが自分の人生なのです。

 自分の意識のうちに顕在意識は一割で、残りの九割は潜在意識と言われています。 潜在意識には不安や恐れ、怒りなど抑圧された感情が隠れています。 そのため潜在意識で思っていることと顕在意識で思っていることに大きな違いが出てきます。 顕在意識ではこうしたいと思っても、潜在意識ではまったく逆のことを思っていることもあります。
 でも、潜在意識も自分の意識には変わりはありません。 ですから、自分が自分の人生をつくっているというのは本当なのです。

 これは、自分の内面が投影されたものが自分の体験する世界だという言い方もできます。 あるいは、同じことですが、いくつもある世界の中で自分の振動数に一致する世界を体験しているという言い方もできます。
 いずれにせよ、自己責任だと認識することはアセンションしていく上で重要なのです。 これは何も冷たく切り捨てているのではありません。 自分の幸福も不幸も自分が招いているということ、引き寄せているという宇宙の真理を言っているのです。 アセンションするとは、それがわかるということでもあるのです。
 それがわかってくると潜在意識を浄化することの重要性もわかってきます。」

アセンション* (元の意味)天国に向かう

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posted by Fukutake at 08:20| 日記

シラミ

「銭湯の笊」 井伏鱒二 (「井伏鱒二全集 第十巻」)筑摩書房 1997年

 p533〜

 「この間の新聞にシラミの被害に関する記事が載ってゐた。 シラミはくはれて発疹チブスに罹つたら日本人はその死亡率が三人に二人の割合といふのである。 そこで私はシラミも案外あなどられないと驚いて、それ以来は銭湯へ行つても脱衣場の笊を警戒するやうになつた。 このごろシラミがうつるのは「銭湯の笊から」というふのが定評になつているからである。 それにしてもなぜシラミは或る一人のシヤツから他の人のシヤツに移らうとするのだろう。 同じ一人の人に丹念にたかつてゐてもいいだらうと思はれるのに、一見あの怠け者のやうな生態を見せてゐるにもかかはらず、いつの間にかすばやいところ宿がへをする。

 或る日のこと銭湯で、番台のおかみさんにきこえよがしにいつてゐる人があつた。 脱衣場の笊を電灯の光りに近づけて、大きな声でいふのである。
「ほうら、ここにも、ここにもゐる。 ほら、こんなでつかいやつ。 こいつなんか、発疹チブスの元凶だ。」

 しかし日本人の体質はなぜ発疹チブスに対して抵抗力が弱いのだらう。 あるひは日本のシラミは活気が強いのでチブス菌をどつさり注入するやうに人間の皮膚を深くかじるのかもわからない。 かつて私がマライ作戦に従軍した時の経験では、マライのシラミは日本のシラミほど痒く噛まないやうであった。 ノミや南京虫もマライで見たものは態度が悠暢で、それにくはれてもあまり痒いとは思はなかつた。 ノミでも日本のノミは高く跳ぶが、マライのノミはそんなに高く遠くは跳ばないやうであつた。 気魄がないのだらう。 日本のノミが若しも人間の大きさなら、その比率で計算すれば東京から横浜までの距離を一気に跳躍するさうである。 マライのシラミに至つてはセンブリの汁で煮た千人針の腹巻に全く寄りつかなかつた。 やはり気魄がないのだらう。 いづれ私はシヤツをセンブリの汁で煮ようかとも考経てゐルガ、それよりも銭湯の笊を、何とかして消毒する方法はないものだらうかと考へてゐる。」

(一九四四年(昭和十九年)六月二十五日発行 毎日新聞)

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posted by Fukutake at 08:17| 日記