2023年01月23日

人間万事タイトル

「冷暖房ナシ」 山本夏彦 文春文庫 1987年

理科系の論文 p68〜

 「理科系の論文は、読者がそれを読むべきか否かをすぐ判断できるように、論文の前に「著者抄録」をつけることになっている。 抄録は著者がその論文の梗概を書いたもので、その最も極端なものは「題」である。 題が論文全体を表現して読者に読ませる力があればこれが最もいい。 次いで副題、さらに梗概の順でそれさえ読めばテキストの最も重要なポイントが分かるようにすべきである。 そのためにはなくてもいい言葉は一つ残らず削る。 また「重要な」「興味ある」というたぐいの形容詞はいっさい書いてはいけない。 興味あることか重要かは読者が判断することで著者がおしつけることではない。

 以下アトランダムに著者*の言葉をあげてみたい。 これによって木下氏の言っていることの半ばが分かると思う。 いわく。

 世間がいそがしくなったので論文の重心は後より前に移った。 著者は最短距離で本論へ導く。 著者が迷い歩いた跡など書くに及ばない。 この文は正確には何を意味するかと自ら問うて自ら答えられないときは省いたほうがいい。 何をさすか分からない英文の it はない。 理解できるように書くだけでなく、誤解できないように書かなければならない。 読者がそれをどういう意味にとるだろうかと、あらゆる可能性を検討する。

 主語は一貫していなければならない。 途中で主語が変わったのに気づかないで書いている人がある。 あとで他人の目で読みなおせば分かるはずだが、自分で自分を校正することは困難である。 著者はそれを書いた当人だから、つい読んでしまって校正者としては不適当である。 そのときは机のなかにおいて、忘れたころ出して読むと他人に近くなるが、全き他人にはなれないから、本当の他人に読んでもらうといい。 その他人は内容をだいたい理解できる人、しかも詳しく知らない人、文章に関心のある人ならなおいい。 ただし一緒に仕事をしている人はいけない。 同じ研究室の人の予備知識には自分と同じ偏りがある。

 こうして添削を加えた文章は心情的要素を犠牲にしても分かることを第一にする。 

 以上ごらんの通り皆みなおぼえておいていいことである。 理科系だろうと文化系だろうと、こうなると同じ注意である。 題がすべてだなんて同感である。 人間万事タイトルだと私は戯れに言ったことがある。 会議に出た同僚は他人ではない。 当事者ではないまでも少し内容を知っているから補って読むから全き他人ではない。 したがって同僚の理解は真の理解ではない。 何も知らないアルバイトの学生に示して釈然としなければその題は分からない題なのである。」

著者*  「「理科系の作文技術」の著者 木下是雄」

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posted by Fukutake at 09:11| 日記

2023年01月22日

国民の統一

「ぼちぼち結論」 養老孟司 中公新書 2007年

幸せの社会システム p185〜

 「実力より地位が高いことを、相撲の世界では「家賃が高い」というらしい。 社会的にいうなら、これがいちばん不幸のもとであろう。 幸福になるためには、分不相応の地位にいてはいけない。 ところが日本全体が豊かになったということは、人によって、自分はなにもしていないのに、地位が上がってしまったという可能性がある。 機嫌が悪くなって当然であろう。

 ラオスに住んでいる知人がいう。 日本人の寄付で学校が建った。 そこに日本の子どもたちが、国際交流と称して来ることがある。 子どもは正直だから、現地の人をすでにバカにしている。 態度にそれが見える。 あれがない、これがない。 こんなところで、よく暮らしているな。 勉強するにしてもパソコンもないじゃないか。

 そういう話を聞くだけで、こちらはいたたまれなくなる。 親は善意で子どもを大切にしている。 社会の物質的な水準が上がってしまえば、子どもの生活水準は高くなる。
 その高くなった水準は、お前のせいじゃないよ。 それを子どもに教えるのは、至難のわざであろう。 いまの若者の好きなことわざは「棚から牡丹餅」だという。 なんともつじつまが合っている。

 子どもたちをラオスやブータンに留学させたらいい。 私はそう思っている。 そう思うのは、私が育った時代の日本は、まさにラオスやブータンだったからである。 ラオスは私が育った頃の日本によく似ている。 そう私が言ったら、ラオスの当時の副首相から訊かれたことがある。 ラオスの農民は本当によく働く。 しかし国は貧乏である。 なぜ同じように貧乏だった日本人が経済的に成功したのか。
 
 社会システムの問題に私が関心を持つようになったのは、それ以来である。
ラオスは四十七の言語があるといわれるほど、少数民族が多い。 こういう国で社会システムの構築は困難なはずである。 日本は島国で、江戸時代には全国がほぼ統一され、中央集権化していた。 ラオスはまだそれもできていない。

 統一された社会を、日本人は社会を世間と呼んだ。 日本各地で言葉や習慣は違っても、世間の常識があった。 世間というシステムがあるために、その後もうまくいった。
 ただ、その日本型システムが、意識的によく理解されないうちに、壊れようとしている。 自然環境と同じである。 それが人々の不機嫌に表れている。 そう私は見ている。 日本自体はよくできた社会だったと私は思う。 問題があるとすれば、よくできていない社会とも、付き合わなければならなくなったことである。」

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posted by Fukutake at 08:44| 日記

じゃ、どうすれば

「日本的革命の哲学」 山本七平 PHP 昭和五十七年

人身売買 p289〜

 「『式目』に曰く、「およそ人倫の事、禁制のことに重し。 しかれども飢饉の年ばかりは、免許せらるるか。…」

 「(北条)泰時は人身売買を認めた」と非難するのは簡単である。 だがこの時代の飢饉の記録を読み、それに類するものすごい状態を現代に求めるとすれば、終戦時における満洲からの一般邦人の引揚げ記録であろう。 いわば、このままでは全員が餓死する、そのとき子供の一人を中国人に売り、それによって「口を減らして同時に食を得て」やっと生きのびて日本にたどりついたといった状態を髣髴とさせるものがある。 この場合は、「人身売買はあくまでも行うべきでない」として一家がすべて餓死するか、一人を売ることによって、売られた者も生き、売った者も生きるという道を選ぶべきかという問題である。 ここには「生きる」をどう考えるか、その問題に直面したときに人間の倫理は固定倫理であるべきか、情況倫理であるべきか、という問題があるであろう。 その場合の日本人の考え方は今でも情況倫理的であり、同時に「生存権絶対」とでもいうべき考え方である。

 この考え方の前に法が無力であることを藤原弘達氏は「闇屋の論理」といわれる。 簡単にいえば「だって、食えないんだからしょうがないでしょう」であり、ある程度は法を破って生きても、法を絶対化して餓死することはしない。 と同時に政府もある程度はこれを黙認する。 しかしそこには「暗黙の合意」のようなものがあって、これを機会にあくどく儲けようとするものがいれば取締りの対象になる。 これが私が体験した終戦直後の生活だが、『式目』の人身売買対策はこれと似た面がある。 すなわち「人商人」は盗賊同様に取締るが、「食えない」場合は致し方がないとする。 この発想はきわめて「戦後的・現代的」だが、それがさらに「闇」でなく法的に公認されているのは、『式目』は原則的に「守れない法を制定しない」であり、と同時に、それが基本としている「道理」はあくまでも自然的秩序(ナチュラル・オーダー)だからであろう。 この自然的秩序の基本が「天変地異」によって崩れれば、崩れたことをそのまま認めて、「闇屋の論理」を極力制限しても、「生存権擁護」のため、認めざるを得ない面は認めようというわけである。 明恵ー泰時的発想からすればこういう考えであって不思議ではない。 もちろんこれは、天変地異が終わって自然的秩序が常態に復すれば法ももとへもどるということである。

 泰時の講じた非常処置はこれだけでなく、その対策は領主の所有権を一時的に制限する指令もあった。 ただしこれは正嘉三年(一二五九年)だが、領主が自己の所領内の山野江海からの産出物を独占して他の採取を禁ずることを一時的に停止し、「難民救済」的にこれを開放することを命じている。

 だがこれが幕府の能力の限度であり、これより先は、一時的に人身売買を認めても、人が生きて行ける道をあけておくことは「合法」としなければならない、というのが泰時の考え方であったろう。」

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自然のなり様
posted by Fukutake at 08:37| 日記