「失語の国のオペラ指揮者」ー精神科医が明かす脳の不思議な働きー ハロルド・クローアンズ 吉田利子訳 早川書房 2001年
書字システム p110〜
「言語中枢はつねに左半球にあるとは限らない。 とくに左利きの場合は右にあるかもしれない。 だが、左利きでも同じ視覚野で読む。 したがって、左利きの者が英語を読む場合、左視覚野から右半球の言語野へと交叉させることを覚えなければならないはずだ、 ヘブライ語ならその必要はない。 こうしたことはすべて、無意識のうちに行われている(もちろん、視神経はいつも同じ働きをしている。半交叉によって右半分の像を左視覚野へ、左半分の像を右視覚野へ送る。 そのつぎの仕事を覚えるのは脳の役目である。
脳は自然なことをする。 ただし、何が自然かは言語によって、書字システムによって異なる。 さらに同じ脳にとってさえ、言語が違えば違う。 英語を読む者の大半は、左視覚野で始まって左半球へと伝わる回路を見つけなければならない。 だが、ヘブライ語を読む場合には反対側で始まるし、もし右半球優位なものであれば、出発点も最終目的地も違ってくる。
日本語となるとまた、微妙だが現実的な解剖学的相違が現れてくる。 日本語は上から下へと、視野の下半分で読む。 識字のためのスパンドレルはいっそう複雑な様相を呈する。 それぞれの視覚野の半分(左半球の半分は外界の右側を見ている)は溝と呼ばれる深い裂け目で分かれている。 この裂け目は「鳥距溝」とわざわざ名づけられているほど重要なものだ。 外界の上半分の像はこの溝の下に、下半分は溝の上にはいってくる。 英語を読むときには、ふつうはこの水平線の下側を使っている。 ヘブライ語でも同じだ。 だから、二重焦点メガネの読書用の部分は下側に設定されている。 水平方向に読む言語の文字はすべて、島距溝の上に伝わる。 日本語のような垂直方向に読む言語だけがべつである。
では、ヘブライ語と英語の両方が読めるユダヤ人の子どもはどうか? この二つの言語は右から左、左から右と方向が違う。 どちらのシステムを覚えるのか? 両方だ。 それも自動的に身につける。 スパンドレルの力を侮ってはいけない。
脳はどうやってこの仕組みや回路をつくりあげるのか? 仕組むのでも、つくりあげるのでもない。 選択する。 字を覚える幼い子どもには、文字や言葉が視覚野の四つの象限すべてから流れ込んでくる(もっと正確に言えば、視覚野のどの象限からでも入ってくる)が、すぐに細いひとつの回路に伝わるわけではない。 脳の左半球の言語野にも。右半球の同じ位置にある不活発な領野にも伝えられる。 そして、繰り返し使われて強化された回路だけが優勢になる。 サンマルコ大聖堂のスパンドレルのように、もともとは建造物を支える構造であったものが、やがて全体のデザインの一部になる。
どの回路が選ばれるかも淘汰の一例で、青年期が終わる以前の子どものころに最も効率の良いものに決まる。 この時期なら回路は容易に変更がきく。 この時期であれば、後天性失語症の患者の言語中枢は交叉が可能で、優位な言語野が変化する。 この段階なら、像や文字の最終到達場所を変更することも容易だ。」
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墓まで持っていける財産
「まともバカ」 養老孟司 だいわ文庫 2006年
身についたものだけが財産 p244〜
「いまの若い人はよくお金のことをいいますが、そうではない。 自分の身についたものだけが財産なのだという知識は、極端な状態を通らないとなかなか覚えないことです。 墓に持っていけるものが自分の財産なのです。
私は大学に長いこといましたから、率直に申しあげますが、たとえ大学で中堅どころ、二〇代、三〇代の人が何を考えてるかというと、いかにして自分のポジション、社会的な位置を確保するかということです。 そんなことをいつも考えています。 私は気の毒だなと思っていました。
私の頃は、そんなことは考えませんでした。 医学部を出て解剖なんかやったら食えないよというのが世間の通り相場で、食えないところでなんとか生き延びているんだから、それでだけでありがたいと思っていました。 おかげで、それ以上どうのこうのということを考えないですんでいました。
私は、ハリス幼稚園に通わされていましたが、別に行きたくて行っていたわけではない。 当時、男の子はだいたい半ズボンに決まっていました。 はくものは運動靴。 戦争中だったから、穴があいている。 小学校に入ってから、ときに母親が新しい靴なんか買ってきても、学校から帰りには裸足でした。 新しい靴は誰かがはいていってしまい、すぐなくなった。 靴下なんかない。 当然素足。 あったってすぐ穴があいてしまう。 半ズボンで素足だから、冬は寒い。 それが当たり前だと思って暮らしていました。
食べるものといえば、サツマイモとカボチャ。 私の世代は、たいていの人がサツマイモとカボチャはもう食わないといっています。 一生食う分、もう食ったと。 懐石料理にたいていサツマイモとカボチャが入っていますが、それだけは残すというのがわれわれの世代です。
少なくとも私どもの世代は、自分が育った育ち方をよしとしない。 はっきりいえば、カボチャとサツマイモと、半ズボン。 あれはまずかった。 だから子どもには、冷蔵庫を開ければいつでも食べ物が出てくるようにして育ててきました。 こうして自分の過去を否定してしまった人は、他人にどうしろといえなくなる。 それに気がつきます。
自分自身の育ちを肯定するのか、しないのか。 まずそれがあるわけなのです。 それをうっかりしてというか、ある意味で否定してきたのが現代です。 そういうことをすると、多少わけがわからなくなって当然だなと思います。」
(初出 「こどもと自然」子どもの健康のための講座(一九九六年十二月七日)、育児センター会報)
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身についたものだけが財産 p244〜
「いまの若い人はよくお金のことをいいますが、そうではない。 自分の身についたものだけが財産なのだという知識は、極端な状態を通らないとなかなか覚えないことです。 墓に持っていけるものが自分の財産なのです。
私は大学に長いこといましたから、率直に申しあげますが、たとえ大学で中堅どころ、二〇代、三〇代の人が何を考えてるかというと、いかにして自分のポジション、社会的な位置を確保するかということです。 そんなことをいつも考えています。 私は気の毒だなと思っていました。
私の頃は、そんなことは考えませんでした。 医学部を出て解剖なんかやったら食えないよというのが世間の通り相場で、食えないところでなんとか生き延びているんだから、それでだけでありがたいと思っていました。 おかげで、それ以上どうのこうのということを考えないですんでいました。
私は、ハリス幼稚園に通わされていましたが、別に行きたくて行っていたわけではない。 当時、男の子はだいたい半ズボンに決まっていました。 はくものは運動靴。 戦争中だったから、穴があいている。 小学校に入ってから、ときに母親が新しい靴なんか買ってきても、学校から帰りには裸足でした。 新しい靴は誰かがはいていってしまい、すぐなくなった。 靴下なんかない。 当然素足。 あったってすぐ穴があいてしまう。 半ズボンで素足だから、冬は寒い。 それが当たり前だと思って暮らしていました。
食べるものといえば、サツマイモとカボチャ。 私の世代は、たいていの人がサツマイモとカボチャはもう食わないといっています。 一生食う分、もう食ったと。 懐石料理にたいていサツマイモとカボチャが入っていますが、それだけは残すというのがわれわれの世代です。
少なくとも私どもの世代は、自分が育った育ち方をよしとしない。 はっきりいえば、カボチャとサツマイモと、半ズボン。 あれはまずかった。 だから子どもには、冷蔵庫を開ければいつでも食べ物が出てくるようにして育ててきました。 こうして自分の過去を否定してしまった人は、他人にどうしろといえなくなる。 それに気がつきます。
自分自身の育ちを肯定するのか、しないのか。 まずそれがあるわけなのです。 それをうっかりしてというか、ある意味で否定してきたのが現代です。 そういうことをすると、多少わけがわからなくなって当然だなと思います。」
(初出 「こどもと自然」子どもの健康のための講座(一九九六年十二月七日)、育児センター会報)
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posted by Fukutake at 08:08| 日記