「赤毛」(短編集1) モーム 中野好夫 訳 新潮文庫
(冒頭部分) p110〜
「「チェッ、こんな海の上で一晩明かすなんて」船長は言った。
機関士は答えなかった。 そして二人とも黙々と夕食をすませた。 船室は薄暗い石油ランプが点っていた。 一番のお仕舞いの杏の缶詰を食べてしまうと、例の中国人が茶を持って来た。 船長は葉巻に火をつけると、上甲板に出た。 島は夜空にただ一際黒い塊になって横たわっていた。 星がひどく美しかった。 聞こえるものといっては絶間なく砕ける浪の音だけだ。 船長はぐったり甲板椅子(デッキチェアー)にもたれたまま、ぼんやり葉巻をくゆらしていた。 やがて水夫たちも三人四人上がって来て一緒に腰を下ろした。 一人がバンジョーを持ち、今一人は手風琴(コンチェルテナ)を手にしている。 彼らが弾きはじめると、一人が歌いだした。 こうした楽器を併せて聞くと、土地の歌は妙に異国的に響いた。 やがて歌に合わせて二人の男が踊りはじめた。 目まぐるしいように手足を動かしたり、身体をくねらせたり、原始的でどう猛な踊りだった。 ひどく肉感的な、むしろ性欲的だといってもいい、しかもそれは情熱を伴わない性感なのだ。 何かじかに動物的なものを思わせるものであり、神秘感を伴わない不気味さ。 早くいえば、ほとんど小児のようなといってもよい直情自然さなのだ。 とうとう彼らも疲れてしまって、甲板に長くなると、そのまま寝てしまって、四辺(あたり)はすっかり静かになった。 船長は持て余したように椅子から起き上がると、昇降梯子(コンパニオン)を降りた。 船室へ入ると、服を脱いで、寝床へ上がって横になった。 夜の暑さに苦しそうな息づかいをしていた。」
(原文)
「"Hell, having to spend the night outside," said the skipper.
The engineer did not answer, and they ate their supper in silence. The cabin was lit by a dim oil-lamp. When they had eaten the canned apricots with which the meal finished the Chink brought them a cup of tea. The skipper lit a cigar and went on the upper deck. The island now was only a darker mass against the night. The stars were very bright. The only sound was the ceaseless breaking of the surf. The skipper sank into a deck-chair and smoked idly. Presently three or four members of the crew came up and sat down. One of them had a banjo and another a concertina. They began to play, and one of them sang. The native song sounded strange on these instruments. Then to the singing a couple began to dance. It was a barbaric dance, savage and primeval, rapid, with quick movements of the hands and feet and contortions of the body; it was sensual, sexual even, but sextual without passion. It was very animal, direct, weird without mystery, natural in short, and one might almost say childlike. At last they grew tired. They stretched themselves on the deck and slept, and all was silent. The skipper lifted himself heavily out of his chair and clambered down the companion. He went into his cabin and got out of his clothes. He climbed into his bunk and lay there. He panted a little in the heat of the night.」
(W.SOMERSET MAUGHAM "RED")
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むずかしい英語
2022年12月22日
英語の名文(なんでしょう)
posted by Fukutake at 05:31| 日記
感謝
「奇跡パート2」 杉中尚平(66) 産経新聞 朝晴れエッセー
2022/12/16 朝刊一面掲載
「四年前、96歳のお父ちゃんが医師から「最後の看取りの場所は病院か家かを考えてください」と告げられました。 「入院はしない」と病院に付き添った妹からラインが届き、堺市の実家できょうだい4人と両親の6人で貸布団を敷き詰めました。
寝たきりだったお父ちゃんを元気を取り戻した様子を「奇跡」というタイトルで、朝晴れエッセーに取り上げてもらえました。 死のふちからよみがえったとき、100歳の記念式典を開催しようと夢のような話が持ち上がり、1年前にプロジェクトを立ち上げました。
式典まであと2週間というときに、食べられなくなり、酸素飽和度も危険水域、医師から入院を促されましたが、長兄は、自宅で看病するからと入院を拒んでくれました。
長兄夫婦の献身的な看病が功を奏したのか、式典の2日前に同じ医師が「熱も下がり、食欲もでてきた。 このタイミングはもうない。 ぜひやりましょうよ。 将来天国へ行ったときにみんなから祝福されたいい思い出何のころますよ。 それにしてもこんな100歳見たことない。 おめでとうございます」と言ってくれました。
われわれは皆号泣です。 おやじの兄弟と4人の子供たち、8人の孫と9人のひ孫たち、配偶者全員、一人もかけることなく総勢36名全員集まることができました。 また再び奇跡が起こったのです。 机の中からお父ちゃんの殴り書きのメモが出てきました。
「感謝をして生きてきた人は人に感謝されながら亡くなっていく」」
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2022/12/16 朝刊一面掲載
「四年前、96歳のお父ちゃんが医師から「最後の看取りの場所は病院か家かを考えてください」と告げられました。 「入院はしない」と病院に付き添った妹からラインが届き、堺市の実家できょうだい4人と両親の6人で貸布団を敷き詰めました。
寝たきりだったお父ちゃんを元気を取り戻した様子を「奇跡」というタイトルで、朝晴れエッセーに取り上げてもらえました。 死のふちからよみがえったとき、100歳の記念式典を開催しようと夢のような話が持ち上がり、1年前にプロジェクトを立ち上げました。
式典まであと2週間というときに、食べられなくなり、酸素飽和度も危険水域、医師から入院を促されましたが、長兄は、自宅で看病するからと入院を拒んでくれました。
長兄夫婦の献身的な看病が功を奏したのか、式典の2日前に同じ医師が「熱も下がり、食欲もでてきた。 このタイミングはもうない。 ぜひやりましょうよ。 将来天国へ行ったときにみんなから祝福されたいい思い出何のころますよ。 それにしてもこんな100歳見たことない。 おめでとうございます」と言ってくれました。
われわれは皆号泣です。 おやじの兄弟と4人の子供たち、8人の孫と9人のひ孫たち、配偶者全員、一人もかけることなく総勢36名全員集まることができました。 また再び奇跡が起こったのです。 机の中からお父ちゃんの殴り書きのメモが出てきました。
「感謝をして生きてきた人は人に感謝されながら亡くなっていく」」
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posted by Fukutake at 05:25| 日記