2022年12月28日

宮ア先生への質問

「宮崎市定全集 22」 日中交渉 岩波書店 1992年

世界史における中国と日本 p182

「質問1
 東洋の自然科学は発達しなかった事につての考えを。 答 これは大問題でして、東洋の歴史と西洋の歴史がどう違うかという 事にもなりそうな問題ですが、これは先程申しましたこの東洋における 都市国家の未発達という事が第一歩だと思います。 西洋においては都市国家において科学が発達致します。それから次に 中国の政治が大体統一されていてそして長く民衆と民衆とが対立すると いう事がなかった。そして割拠的な独立君主が互いに自然科学の様な役 に立つものを保護して競争するというような事がなかったという事が第 二段ではないかと思います。 但しそれは先程申しました様に産業革命の前迄はそれ程大きな違いが なかった。しかし、産業革命によってひとたび自然の秘密というものが 人間の手に握られますと西洋においては急速にこれから発達しておりま す。これ位の事しか申せませんね。

質問2 
 日本、中国における現代は太平洋戦争後と考えているんですが これでよろしいでしょうか。
答  
現代史という時代区分はそれ自体がちょっと矛盾しているのです。 歴史というものは過ぎ去った時代の事であって、それが現代という時は 我々がその中にいるという事を含んでおりますから厳密に言いますと現 代史というのはちょっとおかしいのですが、実用的な意味において用い るのは少しも差支えありません。 現代史というものはですから説明なしに判る時代、我々がその中に住 んで生活しておるから説明なしに判る時代と考えてよろしいかと思いま す。それで太平洋戦争以後これはどこで切ろうと、これは御自由だと思 います。 或いは年の寄った人ならば自分が物心ついて以後を現代というかもし れません。八十歳の人ならば六十年前迄が現代史であり得ると思いま す。これはどうしなければならないという問題ではなくて、まあ質問さ れてもちょっとこれは私お答えに困ります。

質問3 略

質問4
 世界人類の語族の分類は何を基礎にしているか、教えて欲し い。


 これは一々例を挙げて申す事は私、今即座に出来ませんですが、ご く大体を申しますと、第一は単語、共通の単語を探す。特にその単語で 身近な関係とか、或いは数とかそういうこの単語の共通性を探す。 それから第二は文法であります。文法的にについては第一に言葉の前 後であります。主語が先に来るか、その次に動詞が出るか、目的語が出 るか、各々その順序が言葉によって違います。 それから今度は、名詞或いは動詞の語尾変化を持つかどうか、それか ら格ですね、格を表わすにどういう方法を用いるか、名詞の語尾を曲げ る或いは日本の様に「が」とか「は」とか「を」とかいう言葉をつける か、それから数をどういう様に表わすか、単に日本語の様に「なに」と いうふうに別の言葉を表して示すという方法もありますし、ドイツ語の 様に語尾をつける、それと同時に母音迄変るという事もありますが、そ ういった様な特徴、それからこの単語がですね、単語がモノシラブル か、モノシラブルというのは、例えば中国語の様に一字が一音で一つの 纏った意味を持つというふうに、すべての言葉(概念を)単綴音で示す か否か等です。今考えたところではそんな程度のものですが、単語及び 文法それから文の構成あらゆる面で比較検討をしていて、違い目を一つ の違うグループとで出来上ったものを更に比較してもう一つ更に大きな グループを作り、そして系統を辿っていきます。」

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posted by Fukutake at 08:06| 日記

大学時代の漱石

「漱石全集 第二十二巻」初期の文章 岩波書店 

對月有感 p236〜

 「夢路おとなう風の音にも目に見えぬ秋は軒端ふかくなりぬと覺しく いとものさみし垣根の萩咲きみだれて待人かほなるにつけても柴の戸おとづるる友もがなと思へど 野分にいとどあれはてて月影ばかりやへむぐらにもさはらずさし入るぞいみじうわびしき夕なりける あはれ塵の世に生れてはかはり行くわが身の上をうれひうれひて老いぬべきかな かはらぬ月の色をめでたしと見て清き心の友となさんやうもなし 去れど世の中のものども誰かは清らかなる月の光りをみておのが心にはぢざるべき 心にはぢざるべき 心ざまいやしうして名聞をのみもとむるもののあるは秋の江に舟うかべてものの音かきならしざれ歌うたひあるはたかどのの簾たかくかかげ銀のともしびつらねて宴開きわれがちに月をめでしたりかほなるもいとあさまし 

われは月のおもはんほどもはづかしけれは舟を浮かべず宴もはらず のきばちかくゐより入るかたの空清ふすみわたるまでうちながめ つらつらおもへらく雲井にちかきかしこきわたりはものかはよもぎふの露けき草のいほりさへ月のてらさぬところぞなき 昔しより世の中のうつり行くさまをてらしてらして幾世へぬらん あはれむかし見し人も今はすすきが下の白き骨とこそなりけめ むかしゆかしき宮居も今は烟ひややかに草もたかくなりけん われもももとせの後は苔の下にうづもれて此月影を見んことかなはず わがすまふ草のいほりももとの野原となりて葉末の白露におなじ雲井の月影をやどすらん その時軒端ちかくゐよりて行末を思ひ昔を忍ぶことわれに似たる人もあるべし さてもおかしきは浮世なりけり

   蓬生の葉末に宿る月影は むかしゆかしきかたみなりけり

   情あらば月も雲井に老ぬべし かはり行く世をてらしつくして

文科二年 夏目金太郎」

(明治二十二年、漱石二十二歳、1889年)

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posted by Fukutake at 07:59| 日記

2022年12月27日

月天心 貧しき町を通りけり

「与謝蕪村 郷愁の詩人」 萩原朔太郎著 岩波文庫

秋の部(2)p72〜

     秋風や干魚(ひうお)かけたる 浜庇(はまびさし)
 海岸の貧しい漁村。家々の軒には干魚がかけて乾してあり、薄ら日和の日を、秋風が寂しく吹いているのである。

     秋風や酒肆(しゅし)に詩うたふ魚者樵者(ぎょしゃしょうしゃ)
 街道筋の居酒屋などに見る、場末風景の侘しげな秋思である。これらの句で、蕪村は特に「酒肆」とか「詩」とかの言葉を用い、漢詩風に意匠することを好んでいる。しかし、その意図は、支那の風物をイメージさせるためではなくして、或る気品の高い純粋詩感を、意図的に力強く出すためである。…子規一派の俳人が解した如く、蕪村は決して写生主義者ではないのである。

     月天心 貧しき町を通りけり
 月が天心にかかっているのは、夜が既に更けたのである。人気(ひとけ)のない深夜の町を、ひとり足音高く通って行く。町の両側には、家並みの低い貧しい家が、暗く戸を閉ざして眠っている。空には中秋の月が冴えて、氷のような月光が独り地上を照らしている。ここに考えることは人生への或る涙ぐましい思慕の情と、或るやるせない寂寥とである。月光の下、ひとり深夜の裏町を通る人は、だれしも皆こうした詩情に浸るであろう。しかも人々はいまだかつてこの情景を捉え表現し得なかった。蕪村の俳句は、最も短い詩形において、よくこの深遠な詩情を捉え、簡単にして複雑に成功している。実に名句と言うべきである。

     恋さまざま願いの糸も白きより
 古来難解の句と評されており、一般に首肯される解説が出来ていない。それにもかかわらず、何となく心を牽かれる俳句であり、和歌の恋愛歌に似た音楽と、蕪村らしい純情のしおらしさを、可憐になつかしく感じさせる作でもある。私の考えるところによれば、「恋さまざま」の「さまざま」は「散り散り」の意味であろうと思う。「願いの糸も白きより」は、純粋な熱情で恋をしたけれども −−である。またこの言葉は、おそらく蕪村が幼時に記憶したイロハ骨牌か何かの文句を、追憶の聯想に浮かべたもので、彼の他の春の句に多く見る俳句と同じく、幼時への侘しい思慕を、恋のイメージに融かしたものに相違ない。蕪村はいつも、寒夜の寝床の中に亡き母のことを考え、遠い昔のなつかしい幼時をしのんで、ひとり悲しく夢に啜り泣いていたような詩人であった。」

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月天心。
posted by Fukutake at 10:21| 日記