2022年12月31日

人間の世界。自然の中で生きる。

「現代語訳 論語」 宮崎市定 岩波現代文庫 2000年

微子第18 より二篇

 「長沮(ちょうそ)と桀溺(けつでき)とが二人一組になって耕作していた。 孔子がそこを通りかかり、(常人でないことを察し、用も無いのにわざと)子路に命(いい)つけて渡し場のありかを尋ねさせた。 長沮曰く、あの輿(たづな)を握っている男は誰だ。 子路曰く、孔丘という者です。 曰く、魯国の孔丘だね。 曰く、そんなら教えないでも知っている人だ。 こんどは桀溺に尋ねた。 桀溺曰く、君は誰だ。 曰く、仲田という者です。 曰く、すると魯の孔丘の仲間だな。 曰く、その通り。 曰く、滔々として大勢に順応する者は、天下にいっぱい満ち満ちている。 それに逆らおうとするのは誰だろう。 君もその一人らしいが、人間ぎらいの孔丘の仲間でいるよりは、いっそこの世間ぎらいの我々の仲間に入ってはどうだ。 と言ったまま、長沮が土を掘ったあとへ種を蒔く手を休めなかった。 子路は帰ってきて報告した。 孔子はしんみりとして言った。 鳥と獣とはいっしょに群をつくることはできない。 私はあの人たちと仲間になりたくてもなれない。 古い言葉に、而(なんじ)とともに誰の仲間になろうか、とあるが、(私は人間ぎらいどころではない。) 天下の有徳者からは、私は決して離れて行かぬつもりだ。」


 「子路が孔子に従行して、後にとりのこされた。 追いかけて行く途で老人が杖に竹の蓧(かご)を下げて荷っているのに出会ったので尋ねた。 貴方は私の先生に遇いませんでしたか。 老人曰く、身体の労働をしたことがなく、五穀の見さかいもない者が、何で先生なものか、と言って杖を地面に立てて、草をむしり出した。 子路は両手を組んで敬意を表しながら、老人と立ち話を始めた。 老人は子路をひきとめ、家へつれて帰って泊まらせ、雞を殺し、黍の飯をつくって御馳走をし、二人の子供を紹介した。 明日子路は立ち去って孔子に追いついて、このことを話した。 子曰く、隠者だな、(それなら言うことがある)と。 子路に命(いい)つけて、もう一度たち戻って面会してこいと言った。 子路がその家に行って見ると、もう行方知れずであった。 孔子が子路に言わせようとしたのは次の通りであった。 曰く、宮仕えしないという主張には何も根拠がない。 尊長と卑幼との間の序列は無視することができぬ。 (現に子路は貴方を老人の故に尊敬し、貴方はまた二子を年長の子路に引合せて敬意を表せしめたではないか。) それと同じように、君主と臣下との関係は、無視しようとしても無視できぬものだ。 貴方は一身を清くしようと思うあまり、無視することのできぬ大事な人間関係を強いて無視しようなされる。 我々の仲間が君主を求めて宮仕えしようとするのは、人間たる者の義務を行おうとするのである。 ただその理想がすぐ実現できないものであることぐらいは、万々承知の上だ。」

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posted by Fukutake at 08:13| 日記

世は常なし

「自分は死なないと思っているヒトへ」 養老孟司 だいわ文庫 2006年

データ主義では手遅れ p142〜

 「私がいちばん好きな時代は中世です。 中世とはいつのことかというと、鎌倉時代から戦国までをいっています。 中世の有名な文学の一つである『平家物語』の出だしが「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」です。 そう、そのひとことに尽きます。 いまの人は、諸行無常とは、夢にも思っていないだろうと思いますが。

 諸行無常とは、すべてのものは同じ状態をとることはないということです。 万物は常ならず。 すべてのものは同じままではいない、ということです。
若い人はこれがわからない。 なぜわからないのか。 自己という観念が強いからです。 三つのときから始まって、いまだに私は私だと思っている。 それはまあ、思っているだけのことで、自己意識というのはじつはそういうものです。

 人は動いているけれども、情報は止まっている。 それをいちばんみごとに表現しているのが『方丈記』の冒頭です。 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」
 誰だって、見れば河だとわかります。 河の姿は、ここにこのまま止まっている。 だけど、この河をつくっている水はどうかといったら、どの瞬間も決して同じ水ではない。 私がすごいなと思うのは、その数行後です。 「世の中にある人と栖(すみか)と、またかくのごとし」といっている。 そこを読み落とさないで欲しい。 人間そのものだって、栖すなわち都市だって同じでしょうといっているのです。 それは一面、止まっている。 しかし他面では動いてやまない。 こういう中世にあった感覚が、いまやわれわれの中から消えてしまっています。

 皆さんのからだもまったくそうです。 一年たつと、皆さんのからだをつくっている分子は、きれいに入れ替わっています。 骨のように代謝が少ないところは、残っているけれども、それだって一部入れ替わっている。 去年と同じ顔で、同じからだだと思っていると、それはたいへんな錯覚です。 皮膚の分子なんかは、ほぼ完全に入れ替わっている。 分子に名札を貼っておいたら、その違いがよくわかるはずです。

 だけど、皆さんはそうは思っていない。 どうしてそう思わないのか。 皆さんの意識が、この自分はずっとつながっているのだ、と決めているからです。 いくらこの自分がつながっているといったって、そんな保証は、じつはまったくないのです。 皆さんは人間であって、固まった情報ではないのですから。 万物は常ならずです。」

(初出 「現代社会と子ども」一九九九年度私立幼稚園中堅教員研修会(一九九九年九月二十九日)講演より)

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posted by Fukutake at 08:09| 日記

2022年12月30日

人間の書字能力

「失語の国のオペラ指揮者」ー精神科医が明かす脳の不思議な働きー ハロルド・クローアンズ 吉田利子訳 早川書房 2001年

書字システム p110〜

 「言語中枢はつねに左半球にあるとは限らない。 とくに左利きの場合は右にあるかもしれない。 だが、左利きでも同じ視覚野で読む。 したがって、左利きの者が英語を読む場合、左視覚野から右半球の言語野へと交叉させることを覚えなければならないはずだ、 ヘブライ語ならその必要はない。 こうしたことはすべて、無意識のうちに行われている(もちろん、視神経はいつも同じ働きをしている。半交叉によって右半分の像を左視覚野へ、左半分の像を右視覚野へ送る。 そのつぎの仕事を覚えるのは脳の役目である。

 脳は自然なことをする。 ただし、何が自然かは言語によって、書字システムによって異なる。 さらに同じ脳にとってさえ、言語が違えば違う。 英語を読む者の大半は、左視覚野で始まって左半球へと伝わる回路を見つけなければならない。 だが、ヘブライ語を読む場合には反対側で始まるし、もし右半球優位なものであれば、出発点も最終目的地も違ってくる。

 日本語となるとまた、微妙だが現実的な解剖学的相違が現れてくる。 日本語は上から下へと、視野の下半分で読む。 識字のためのスパンドレルはいっそう複雑な様相を呈する。 それぞれの視覚野の半分(左半球の半分は外界の右側を見ている)は溝と呼ばれる深い裂け目で分かれている。 この裂け目は「鳥距溝」とわざわざ名づけられているほど重要なものだ。 外界の上半分の像はこの溝の下に、下半分は溝の上にはいってくる。 英語を読むときには、ふつうはこの水平線の下側を使っている。 ヘブライ語でも同じだ。 だから、二重焦点メガネの読書用の部分は下側に設定されている。 水平方向に読む言語の文字はすべて、島距溝の上に伝わる。 日本語のような垂直方向に読む言語だけがべつである。

 では、ヘブライ語と英語の両方が読めるユダヤ人の子どもはどうか? この二つの言語は右から左、左から右と方向が違う。 どちらのシステムを覚えるのか? 両方だ。 それも自動的に身につける。 スパンドレルの力を侮ってはいけない。

 脳はどうやってこの仕組みや回路をつくりあげるのか? 仕組むのでも、つくりあげるのでもない。 選択する。 字を覚える幼い子どもには、文字や言葉が視覚野の四つの象限すべてから流れ込んでくる(もっと正確に言えば、視覚野のどの象限からでも入ってくる)が、すぐに細いひとつの回路に伝わるわけではない。 脳の左半球の言語野にも。右半球の同じ位置にある不活発な領野にも伝えられる。 そして、繰り返し使われて強化された回路だけが優勢になる。 サンマルコ大聖堂のスパンドレルのように、もともとは建造物を支える構造であったものが、やがて全体のデザインの一部になる。

 どの回路が選ばれるかも淘汰の一例で、青年期が終わる以前の子どものころに最も効率の良いものに決まる。 この時期なら回路は容易に変更がきく。 この時期であれば、後天性失語症の患者の言語中枢は交叉が可能で、優位な言語野が変化する。 この段階なら、像や文字の最終到達場所を変更することも容易だ。」

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posted by Fukutake at 08:11| 日記