2022年11月19日

対外交渉とは

「日本はなぜ外交で負けるのか」ー日米中露韓の国境と海境 山本七平 さくら社 2014年

北方領土問題 p53〜

 「明治八年(一八七五年)の千島・樺太交換条約によって日本が千島を領有したことは事実であろう。 しかしその状態で戦後を迎えたわけでなく、その三十年後の明治三八年(一九〇五年)に日本は、戦勝により、千島を保持したまま樺太の南半分をも領有するに至った。 だが「勝者の論理」はそれを不当と考えず、樺太が半分であったことと償金がとれなかったことに逆に不当を考えた。 だがこれは、先方から見れば「敗戦により不当に奪取され、交換条約は無視された」ことになる。

 それから四〇年後、昭和二〇年(一九四五年)に、今度はソビエト・ロシアが樺太を回復し、ついで千島を占領した。 これを日本の側から見れば、今度はこちらが「不当に奪取された」わけだが、先方は日露戦争当時の日本人と同様、不当に奪取したとは考えていないであろう。 いや、何かかもっと取れなかったことを、不当と考えているかもしれない。

 確かにポツダム宣言の字句の解釈で、先方を不当と言い得るであろう。 しかし、最初の取得が「交換条約」であったこと自体、これらがともに伝統的な固有の領土ではなく、明確な「領有」をどこも主張するに至っていない「未確定地域であった証拠」だから「固有の領土」に入らない、という主張も成り立つ。

 言うまでもないが、「成り立つ」ということは、こちらがそれを主張するということではない。 まことに奇妙なことだが、「それなら相手も同じことを主張できるはずだ」とその事実を述べただけで「おまえはどちらの人間だ」と言って憤慨する人がいる。

 この「何々の側の論理」ぐらい奇妙なものはないのだが、このことは、将棋のプロは、頭の中で盤を逆転させ、相手の位置に立って局面を見うる、これができればプロ、できなければプロと言えない、という言葉と実質的には何の違いもない ー 少なくとも「交渉」という言葉を口にするならば ー 。

 どの交渉とて同じだが、今回も「日ソ交渉将棋盤」を頭の中で自由自在に逆転させて「局面」を見なければ、何の「手」も見つかるはずはない。 このことはもちろん、相手に迎合して相手側に立った日中交渉方式のそれと同じことをやれと言うのではない。

 あくまでも「手」を探し出す手段であり、これができねば「手」が探し出せず、「手」を探し出せないなら一方的に指し切られて当然だということにすぎない。 そしてその結果は、こちら側だけに立とうとあちら側だけに立とうと同じことなのである そしてその当然の結果を招来したことをまた「不当だ、不当だ」と叫んだとて、それもまた何の解決も招来しない。」

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posted by Fukutake at 08:43| 日記

西部邁 日本人への直言

「実存と保守」(危機が炙り出す「人と世」の真実) 西部邁 角川春樹事務所 2013年

日本の危機の真相 p70〜

 「「ひめゆりの塔」で、陳列されている少女たちの手紙を一つずつしっかりと読んでいけば、それが彼女らの自発の文章であることがわかる。 「戦って死ぬ」と書くような軍人から命令されたのだと触れて回った戦後の教育や世論なんか、あざとすぎて、一文の値打ちもない。 そうなのだと壮年ならずともすぐ察しられる。

 塔の前面に揚げられている大田実司令官の(参謀本部への)打電とて、心底から本気のものである。 「沖縄県民斯く戦へり、県民に対し後世、特別の御高配を賜らんことを」との司令官の懇願を、戦後のヤマトンチュ(本土人)は完全に無視したのだ。 沖縄をアメリカに(くれてやったとはいわぬまでも)預け放しにし、あとはカネでケリをつけようとする、それが「御高配」であるとはとても考えられない。

 その他、南西太平洋の島々で機関銃を撃ちつづけて兵士たちとともに散っていく日本人娼婦の話など、「戦場を死に場所」と見定めた例は数え上げれば切りがない。 日本のアプレゲールは先人たちのこうした歴史物語にたいして冒瀆の限りを尽くしてきた。 この列島は(旧約聖書で言う悪徳の町)「ソドムとゴモラ」だ、とこの壮年は(少年のときから変わらずに)考えたのである。

 もちろん、そのように言い切っただけでは説得力がないので、彼なりに「思想として大東亜戦争」を語りはしてきた。 しかし、いくら語っても、「説得されたくない」と片意地を張り、「平和と民主」に万歳を叫ぶことしかない手合いを説得できるわけがない。 だから彼の言葉には、日本人という単語が少なくなり、かわりにニッポンジンとか列島人という表現が増えてきている。

 坂口安吾が「特攻隊の純心を疑ってはならぬ、普通の若者がかくも偉大なことを為せるというのは大きな希望ではないか」と敗戦後まもなくいってのけた。 この壮年も、省みれば少年の頃から変わらずに、そう感じそう考えてきた。 いや、特攻隊員に限らず、あの大戦争に参加した者たちは、何割かの例外はあろうとも、「偉大な悲惨」に身を投じたのだ、とみなすことにしてきた。

 そのように物語るのでなければ、彼らの末裔として彼らの精神的財産を受け継ぐほかないはずの我らアプレゲールに何の希望もなくなる、とこの想念は考えてきたのである。 だが六十七年間に及んで「平和の大旗」が振られ「民主の大鎌」がふるわれた結果、「日本人」は絶滅危惧種になってしまったらしい、と考えてもいる。」

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遺言

posted by Fukutake at 08:32| 日記