2022年11月14日

昔の子育て

「宮本常一」ちくま日本文学全集 より 筑摩書房 1993年

 子に生きる p171〜

 「…子供ができても若い主婦が家で子の守をしていることはできなかった。そんなことをしていれば山で仕事をするのは夫一人になる。それでは生計がたたぬ。それで子供はエヅメ*の中に入れておいて夫の手助けに山に行った。朝から昼までいて、昼かえってみると、子供はたいてい泣き寝入りに寝ていたという。山で仕事をしている時も、乳房がいたくなるほど張って乳が着物の上に滲み出る様な時には、思わず知らず涙がこぼれたという。そのようにして雪の降る冬が待たれた。やっと子供が歩くようになると、今度はさらに心配が増した。家の裏は川で、ひとりあそばしてある子供が川に落ちはせぬかと、そればかり心配だった。山からのかえりなど、道をどう歩いてきたか分からぬことがしばしばあった。そうしてわが子の顔を見ると初めてホッとした。子供のいない時は大きな声を気狂いのように叫んだ。そんな時にはきっと近所の子供がつれて学校あたりかお宮の森であそんでいてくれた。

 子供が三つの時次の子をみごもった。そうしてその子の生まれる頃には上の子もよほどしっかりして来て、よく言うてきかせておけば赤ちゃんのことをきをつけてくれた。ある時などは、山にいると子供の泣き声がするので不審に思ってその方へ下りて行くと、谷の道にわが子が一人泣いて立っていた。すかしてきいてみれば、家の赤ちゃんが泣き出して心配なものだから知らせるために出かけたのだが、親がみえなくてその子まで泣き出してしまったという。

 そんなにしてつぎつぎに三人の男の子が育った。四人目が女、五人目が男。とうとう五人まで子を産んだが、その五人とも元気にすくすくと育って、人にも誇りたいほど病気をしたことがない。つぎつぎに旅に出して働かせ、旅先で家を持ったが、今度の戦争にはその三人が出て行ったのである。

 このよき母は、その翌朝は私に対してもさらにこまやかなる愛情を示し、川につけておいたビンモンドリ*に入ったハヤを煮つけてくれたり栃餅をついたりしてふるまった。別れるとき、
「また来なさい。今度は来てゆっくりとなさい。」
と言ってくれたし、私もまた半年もすればすぐに行けるように思ったのだが、この村の近くは汽車でまた徒歩で数回も通りつつ、いつも時間の都合が悪くて、もう五年も行っていない。」

(昭和十八年十二月)

エヅメ* 嬰児籠、乳幼児を収納するカゴ
ビンモンドリ* 魚を入れておく簡易的な魚罠容器

----
かつてはみんなそうだった。
posted by Fukutake at 08:02| 日記

三島由紀夫 訳詞

「決定版 三島由紀夫全集 37−詩歌編−」 新潮社 2004年

(訳詞)p771〜

 「ソクラテスとアルキビアデス」  ヘルデルリーン 

 「「なんだってこんな若造に、ソクラテス先生、
あなたはぺこぺこなさるんです。
はるかに知見の高いあなたが、まるで神々を見るやうに
あいつに愛の眼差しを注がれるのは何故なんです。」

最奥の思索を凝らした人は、最も活き活きとしたものに惹かれ、
かくて畢竟賢人たちは、
美しい者の前に拝跪する。」


 「微笑」ジェイムス・メリル(訳詞)

 「雨もよひだつた。
頭皮の下で
銀が痛んだ。人手も借りねえで
立上つた。杖さたよりに
段を昇つた。

暖かかつた、
ポーチの寝場所は。
椅子の背ごしに掛けた上着も
体のままの形さ残した。
丸い金時計を

巻かずに置いた、
十仙、二十仙、やくたいもねえ釣銭の間に…。
目がさめた、ポーチの寝台で。
眼鏡さどこ行つた?
額に置かれたへんな掌、
その椰子の影を彼は感じた。

そのとき聴いた、風にざわめく
椰子の木立を。
また時がたつた。夢を見とつた。
夢の一つに、雨ふりしきり
なほふりしきり
陽が指先に昇つてきたとき

そこに人生さ立つてゐた、
微光にあふれ。
泡立つコップが拡げてみせる
嘘八百の友だちの面、
もう要らねえ、その愛想笑ひ。……
彼は死んだ。」

------


posted by Fukutake at 07:58| 日記