「周防大島昔話集」 宮本常一 河出文庫 2012年
減らぬ米 p113〜
「昔俵藤太という豪傑がいた。近江瀬田の橋を渡りよると橋の上に一匹の大蛇がよこたわっていた。藤太は豪傑だからそれをまたいで行った。
すると、その晩不思議な夢を見た。美しい女が枕もとにあらわれて、私は琵琶湖に住んでいる竜神であるが、三上山にいるムカデに大変苦しめられている。誰か助けてくれるものはないかと思って蛇体になって瀬田の橋の上に待っていたが、誰も私を見ると恐れて逃げてしまう。しかしあなただけ私をまたいで行った。どうぞ貴方にお願いしたい。というのである。藤太は気の毒に思って、弓の名人であるから翌日弓でムカデを退治るために瀬田の橋の上へ来た。見るとムカデは三上山を七巻半に巻いている。藤太は弓に矢をつがいて、ねらいを定めてヒューッと射た。矢は見事ムカデにあたったが何の事もない。藤太ほどの豪傑もこれには驚いた。そうしてその日は戻って来てどうしたら退治出来るだろうかと考えていた。ある日の事、道を歩いていると子供がムカデをつかまえて殺している。ムカデというものはなかなか死ぬものでない。すると子供の一人が、唾を付けて殺した死ぬると言って外の子供に教えた。他の子供がそうするとムカデは難なく死んだ。そこで藤太はいいものを見たと思って、矢じりに唾をつけ、又瀬田の橋からムカデを射た。すると今度は見事に死んでしまった。
竜神は大変喜んで、一つの俵をくれ、この俵はいくらでも米が出るから大事に使え、たださかさに振ってはいけぬと教えた。藤太がこの俵にサスをさすと米はいつまでも出た。しかしあまりにいつまでも米が出るものだから嫌気がさしてさかさまにふるって見た。するとそれっきり米が出なくなった。
それで今でも俵をさかさにふるうのを嫌うのだという。
(祖父からきく。東和町長崎)
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三島の俳句
「決定版 三島由紀夫全集 37」 新潮社 2004年
三島由紀夫俳句帖 p810〜
「昭和十九年晩夏 奈良 残暑甚
秋暑しホテルに過客慌しく
帽褪せしガイドを先に残暑かな
秋暑し七堂伽藍人罕(まれ)に
弥陀仏の残暑にひそといます処
鉾杉に残る暑さや二月堂」
「昭和二十年四月一盞を傾く
春衣ややくつろげて師も酔ひませる
澪(みお)ごとに載せゆく花のわかれ哉」
「昭和二十一年新年詠 かるた会
さはさはと袂ふれ合ひ歌留多会(かるたかい)
かるた巧き一家そろひて来たりけり
奥の間の歌留多会へと案内(あない)かな
老執事かるた上手と知られけり」
「昭和二十一年三月二日 句会
乳母車二三公園春の泥
春泥の伊豆旅よりかへりけり
春の泥むかしがたりの二長町
おん袖のほころびいます雛(ひひな)かな
この家を姉の名残の雛祭」
「旧作
老博士萩しげき家(や)に住みたまふ
何もかも言ひ尽してや暮の酒
保己一の家を訪(と)ふて行きがたき小径を自動車(くるま)ゆく麦の秋
竜灯の影ちりじりの水尾かな」
「辞世 二首
益荒雄がたばさむ太刀の鞘鳴りに幾年耐へて今日の初霜
散るをいとふ世にも人にもさきがけて散るこそ花と吹く小夜嵐(四五・十一・二三)」
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三島由紀夫俳句帖 p810〜
「昭和十九年晩夏 奈良 残暑甚
秋暑しホテルに過客慌しく
帽褪せしガイドを先に残暑かな
秋暑し七堂伽藍人罕(まれ)に
弥陀仏の残暑にひそといます処
鉾杉に残る暑さや二月堂」
「昭和二十年四月一盞を傾く
春衣ややくつろげて師も酔ひませる
澪(みお)ごとに載せゆく花のわかれ哉」
「昭和二十一年新年詠 かるた会
さはさはと袂ふれ合ひ歌留多会(かるたかい)
かるた巧き一家そろひて来たりけり
奥の間の歌留多会へと案内(あない)かな
老執事かるた上手と知られけり」
「昭和二十一年三月二日 句会
乳母車二三公園春の泥
春泥の伊豆旅よりかへりけり
春の泥むかしがたりの二長町
おん袖のほころびいます雛(ひひな)かな
この家を姉の名残の雛祭」
「旧作
老博士萩しげき家(や)に住みたまふ
何もかも言ひ尽してや暮の酒
保己一の家を訪(と)ふて行きがたき小径を自動車(くるま)ゆく麦の秋
竜灯の影ちりじりの水尾かな」
「辞世 二首
益荒雄がたばさむ太刀の鞘鳴りに幾年耐へて今日の初霜
散るをいとふ世にも人にもさきがけて散るこそ花と吹く小夜嵐(四五・十一・二三)」
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posted by Fukutake at 11:14| 日記