2022年11月09日

才人必ずしも仁ならず

「現代語訳 論語」 宮ア市定 岩波書店

1)憲問大14(337)
 「子曰。有徳者必有言。有言者不必有徳。仁者必有勇。勇者不必有仁。

子曰く、修養して徳を得た人は必ず良いことを言う。しかし良いことを言う人は必ずしも徳の有る人とは限らない。最上の人格者は必ず勇気がある。しかし勇気がある人がいつも人格者とは限らない。」


2)衛霊公代15(411)
 「子曰。知及之。仁不能守之。雖得之。必失之。仁能守之。不荘以蒞之。則民不敬。知及之。仁能守之。荘以蒞之。動之不以礼。未善也。

 子曰く、知略にすぐれても、仁徳によって維持するのでなければ、一度手に入れた政権も、必ずすぐに喪失してしまうものだ。智略にすぐれ、仁徳によって維持することができても、信念をもって臨むのでなければ、人民は尊敬しない。智略にすぐれ、仁徳によって維持することができ、更に信念をもって臨んでも、自ら礼節に従って動作して見せなければ、画龍点睛を欠くものだ。」


3)李氏第16(422)
 「孔子曰。天下有道。則礼楽征伐。自天子出。天下無道。則礼楽征伐。自諸侯出。蓋十世希不失矣。自大夫出。五世希不失也。陪臣執国命。三世希不失矣。天道有道。則政不在大夫。天下有道。則庶人不議。

 孔子曰く、大義名分の行われている時は、天下の政治、軍事は凡て天子が全権を握る。名分が崩れだすと、政治、軍事の権は、先ず大名の手に移る。大名の手に移ってしまえば、天子の家はたいてい十代で滅びてしまう。今度は大名の国で、家老が政治、軍事の権力を握ると、大ていは五代で滅びてしまう。次に家老の臣下が大名の国の政治、軍事を擅(ほし)いままにすると、三代で大てい滅びてしまうものだ。大義名分が行われていれば、大名の家老などは政務に与らない。大義名分が行われていれば、一般庶民は政治の議論などしない。」

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posted by Fukutake at 07:55| 日記

自分を信じろ

「トム・ピーターズのサラリーマン大逆襲作戦 @」ーブランド人になれ!ー
トム・ピーターズ 仁平和夫・訳 TBSブリタニカ 2000年

誰だって厚い壁にぶちあたる p206〜

 「ジョージ・レナードの名著『達人のサイエンス』は、なにかに上達することについて、実に多くのことを教えてくれる。目がさめるような指摘を数え上げればキリがない。あえてひとつだけあげるとすれば、それは厚い壁にぶちあたったときにどうすればいいかである。
 レナードはほとんどの人が言わないことを言う。学習や鍛錬は一定勾配の緩やかな坂をすいすい登っていくことではない、と(あなたがいくら頑張っても、すいすいとはいかない)。

 人はあるとき一念発起して、何か勉強や修行を始める。最初は順調にいっても、しばらくすると行き詰まる。そんなとき、進歩が止まったどころか、退歩しているようにさえ思える。レナードによれば、それはごくごく当たり前のことなのだ。
 人はみな、なにごとであれ、鍛錬すれば上達していく。上達するのはうれしいから、いっそう熱が入る。そして、ある日、上達のたしかな手応えを感じて、ひとり快哉を叫ぶ。それからも努力は怠らないのだが、やがて厚い壁にぶちあたる。どうあがいても前に進めない。それは数か月続くこともあるし、数年続くこともある。それでも努力を続けていけば、ある日突然、絶望的に厚いと思われた壁がウソのようにかき消え、まさか自分がここまで来れるとは思わなかった地点に立っている。

 ポイントはこうだ。人は人生の大半を厚い壁の前で過ごす。どう体当たりしてもびくともしない壁の前で、死にたくなることもあるかもしれない。しかし人は、その厚い壁の前で、ほんとうの力をつけていくのである。
 人は誰しも、かならず厚い壁にぶちあたるのだから、あがくよりも楽しんだほうがいいと、レナードは言う。

 いくら頑張っても前に進めないときに、自分には素質がないなどと諦めてはいけない。目には見えないところで、力が蓄えられているのだから…。それは、学んだことをしずかに吸収している時間なのだ。学んだばかりでまだバラバラになっている情報やら技術やらが、頭の中で、体の中で、互いに結びついて壮大な回路を形成していく時期なのだ。だから、厚い壁を前にして、自分を責めてはいけない(厚い壁をだらだら過ごす言い訳にしてはいけないが)。

 私の言いたいことはこうだ。
 達人への道は長く険しい。その道を歩かずして、どの道を歩く?
 一歩前進しては二歩後退しているとしか思えないときもある。だが、自分の足跡をしっかり残して死にたいと思うなら、それ以外に歩く道はない。」

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プロに学ぼう。
posted by Fukutake at 07:51| 日記