「兄 小林秀雄」 高見澤 潤子 新潮社
小林秀雄の思い出 p121〜
「兄(小林秀雄)の死後、朝日新聞の夕刊に、兄と親しかった白洲正子が随筆を書いていた。 兄が彼女に対して、終始きびしい、ひどいことをいっていたからでもあろうが、ユーモアを含めて兄のことを、「自分にとっては、いやなじいさんだった。 …死んでしまっても、いやなじいさんだった」というようなことを書いていた。
兄のような人間 ー といっても、一口には到底いいつくされないが、兄は小学校時代から、頭がよく、勘がよく、本当によく本を読んだ。 兄の読書好きは、私に大きな影響を与えた。 北向きの四畳半の部屋で、机をならべて同じように一生懸命読書をしていたが、年が違うから仕方がないとしても、本の種類の程度の差は大変なものであった。 私が少女小説に夢中になっていた頃、兄は、「中央公論」にのっていた谷崎潤一郎の「人魚の嘆き」を読んで、逆上するほど感動した。 中学に入ったばかりの頃である。 くり返しくり返し読んで、それから十数年たって、評論家として文壇に立った頃でも、書き出しの文章を覚えていて暗誦出来るほどであった。 中学生になれば、ドストエフスキー、トルストイ、ツルゲーネフなど、その頃、新潮社が出した小さな翻訳本でむさぼりよんだ。
読書だけでなく、兄は高校生になるとすぐ同人雑誌に原稿を書き出し、二年生の時、処女作「蛸の自殺」を書き、志賀直哉からほめられている、 酒を飲み、ふしだらな生活をし、生命を危ぶまれたひどい病気をし、大学に入った年に恋愛をした。 真剣だっただけに、ひどく神経をすりへらした。 私も母もおかげで随分辛い目にあったが、兄にとっても、喜びは束の間であり、最も辛苦の多い時代であったろう。
「…僕の大学時代というものは辛かった。 『大学新聞』の編輯者の訪問を受けた時にも、話をし乍ら『大学新聞』など学生時代ついぞ読んだことがなかったっけ、とぼんやり考えるのであった。 自分の勝手な孤独な妄想に苦しめられて、とてもそんな暇はなかったのである。 万事につけて学生の身分を省みる暇がなかった。 第一制服を買う暇がなかった。 というと一見妙に聞こえるかも知れないが、今から冷静に考えると僕が制服を着なかったのは、その暇がなかったという以外に理由を発見する事は困難なのである。 制服を軽蔑する心はさらさら無かったので、誰かが呉れたら無論着ていた筈だ。 それでもよく大学を卒業する暇があったなと、言われるかも知れないが、それは卒業を切望している僕のお袋を絶望させる勇気を欠いたがためである」
と、兄はあとで書いている。」
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生物の一生は皆いっしょ
「オーイ どこ行くの」ー夏彦の写真コラム 山本夏彦 新潮文庫 平成十四年
朝菌(ちょうきん)ハ 晦朔(さいさく)ヲ知ラズ p161〜
「本川達雄著「ゾウの時間 ネズミの時間」(中公新書)という新刊の題だけ見て、朝菌は晦朔を知らずという箴言を思いだした。 ものの本でおぼえたのではない。 少年のむかし私は五十翁に親炙(しんしゃ)して聞かされたのである。 この謎めいた言葉はよく分からなかったから、かえってながく記憶に残ったのである。
朝(あした)に生まれて夕べに死ぬ菌は、晦日(みそか)と朔日(さくじつ)を知らない。 朔はついたちのことだよ、萩原朔太郎はたぶんついたち生まれなんだろうと言われて、朔太郎なら天才だと崇拝していたからすぐ分かった。 蟪蛄(けいこ)ハ春秋ヲ知ラズ と続くが、このほうはあとかたもなく忘れた。
いま調べると蟪蛄は蝉だそうだが、むろん少年の私は知らなかった。 蝉なら夏うまれて夏死ぬから春秋を知るまい。 同じことを違った言葉で言ったのだろう、それなら忘れていいと人の頭はうまく出来ていてたちまち片っぽを忘れたのである。
それにしても朝に生まれて夕べに死ぬ菌があるのだろうか。 楚の国の南には八千歳を以て春となし、八千歳を以て秋となす椿の木があるというからあるのだろう。 菌も一生、椿も一生とそのとき私は合点したのである。
何年かたって寺田寅彦が、かりに象の一生を百年とする、人の一生を五十年とする、犬の一生を十年とする、象は犬より十倍なが生きとはいえない、犬の十年は人の五十年、象の百年に当ると、うろおぼえで恐縮だがかれもこれも完結した生涯だというほどのことを書いているのを見て、久々で朝菌は晦朔を知らずを思いだした。 はかないとか哀れだというのは当らぬと言っているのだなと察した。
いま「ゾウの時間ネズミの時間」という題を見て、皆さんかねがね怪しんでいたのに誰も言ってくれないことをよく言ってくれた、いくら図体が大きくても象も鼠も完結した一生である。 かわいそがるには及ばない。 まちがっていたらあやまるが、二千年前の古人が言っていることを動物学者が俗耳(ぞくじ)に入りやくす書いてくれたのだなと思って、この正月一本購(あがな)っていま読もうとしていることをである。」
(平成五年一月二十一日号)
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朝菌(ちょうきん)ハ 晦朔(さいさく)ヲ知ラズ p161〜
「本川達雄著「ゾウの時間 ネズミの時間」(中公新書)という新刊の題だけ見て、朝菌は晦朔を知らずという箴言を思いだした。 ものの本でおぼえたのではない。 少年のむかし私は五十翁に親炙(しんしゃ)して聞かされたのである。 この謎めいた言葉はよく分からなかったから、かえってながく記憶に残ったのである。
朝(あした)に生まれて夕べに死ぬ菌は、晦日(みそか)と朔日(さくじつ)を知らない。 朔はついたちのことだよ、萩原朔太郎はたぶんついたち生まれなんだろうと言われて、朔太郎なら天才だと崇拝していたからすぐ分かった。 蟪蛄(けいこ)ハ春秋ヲ知ラズ と続くが、このほうはあとかたもなく忘れた。
いま調べると蟪蛄は蝉だそうだが、むろん少年の私は知らなかった。 蝉なら夏うまれて夏死ぬから春秋を知るまい。 同じことを違った言葉で言ったのだろう、それなら忘れていいと人の頭はうまく出来ていてたちまち片っぽを忘れたのである。
それにしても朝に生まれて夕べに死ぬ菌があるのだろうか。 楚の国の南には八千歳を以て春となし、八千歳を以て秋となす椿の木があるというからあるのだろう。 菌も一生、椿も一生とそのとき私は合点したのである。
何年かたって寺田寅彦が、かりに象の一生を百年とする、人の一生を五十年とする、犬の一生を十年とする、象は犬より十倍なが生きとはいえない、犬の十年は人の五十年、象の百年に当ると、うろおぼえで恐縮だがかれもこれも完結した生涯だというほどのことを書いているのを見て、久々で朝菌は晦朔を知らずを思いだした。 はかないとか哀れだというのは当らぬと言っているのだなと察した。
いま「ゾウの時間ネズミの時間」という題を見て、皆さんかねがね怪しんでいたのに誰も言ってくれないことをよく言ってくれた、いくら図体が大きくても象も鼠も完結した一生である。 かわいそがるには及ばない。 まちがっていたらあやまるが、二千年前の古人が言っていることを動物学者が俗耳(ぞくじ)に入りやくす書いてくれたのだなと思って、この正月一本購(あがな)っていま読もうとしていることをである。」
(平成五年一月二十一日号)
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posted by Fukutake at 14:34| 日記