2022年11月22日

補助金より公共事業を

「資本主義の方程式 ー経済停滞と格差拡大の謎を解く」 小野善康 著 中公新書 2022年

需要の経済学 p106〜

 「1930年代の大恐慌に直面したJ.M.ケインズは、個々の経済的豊かさの追求と経済全体の豊かさとの食い違い(合成の誤謬)に着目し、「供給が需要を生む」(セイの法則)と考える供給の経済学を強く批判して、需要が生産能力とは乖離して決まり、それが実際の経済活動を決めるという視点から、需要の経済学の構築を目指した。ここで提唱すべきは、カネとモノの因果関係の逆転ではなく、前項で述べた総需要と総供給の因果関係の逆転であった。しかし、ケインズは明確な理論構造を提示しなかった。そのため、後世のJ.R. ヒックスやP.A.サミュエルソンらによって定式化された、旧消費関数を中心に据えた旧ケインズ経済学(新古典派総合)では、以下に述べるように、総需要と総供給の因果関係の逆転を、カネとモノの因果関係の逆転と捉えてしまった。

 供給の経済学では、モノが先でカネがそれと並行に動く。このときカネはモノの活動のバロメーターとなり、カネの動きを考えて企業や家計が行動すれば、経済全体の豊かさにつながった。市場の調整能力を高めることは、カネが正確なバロメーターとしての機能を果たすために重要であった。また、モノの生産能力が経済活動水準を決めるから、政府が給付金支給や減税などでカネを配っても消費も生産も影響を受けない。その理由は、そのときの可処分所得(=所得ー税金+給付金)が増えても将来の増税で取り返されることを人々は知っているし、たとえそれを知らずに消費を増やそうとしても、生産能力の限界によって供給不足が起こり、物価や賃金が上がって所得も金融資産も実質量が減り、消費はもとにもとにもどってしまうからである。他方、政府需要が拡大すれば、生産能力をフル稼働させて作った生産物を政府が民間から奪ってしまうから、人々の消費が減ってしまう。そのため、小さな政府が推奨される。

 これに対して旧ケインズ経済学では、カネとモノの因果関係を反対に捉え、カネが増えればモノの消費が増えるから、総需要が増えて経済活動が活性化すると考える。このとき、消費を決める所得とは、自分で実際に使える金額でなければならないから、可処分所得である。つまり、赤字財政によってカネをばらまくことでモノの需要創出が可能となる。
 これが正しければ、政策当局にとっては、人々の役に立つ公共的な使い道を考えるという困難な仕事をせずに、カネをばらまくだけで簡単に需要を作れるし、資産選好が消費選好を凌駕している人々にとっても、モノよりもカネを受け取った方がうれしい。そのため、景気が後退すればバラマキ的な財政金融政策を行うという、カネの意味での大きな政府の考え方が広まった。

 こうして、ケインズがせっかく需要の経済学の重要性に着目したのに、明確な理論構造を提示しなかったために、それを引き継いだ旧ケインズ経済学もMMT理論も、カネの論理に囚われ、カネをばらまけば需要が増えると思ってばらまき政策を推奨している。
 この流れを受け、歴史上まれに見る累積赤字をため込みながら、大規模な赤字財政によるカネのばらまきを続け、他方では成長戦略と称して生産効率化や労働市場の自由化・流動化による生産能力の拡大を推し進めた。その結果デフレが続き、国民は金融資産をどんどん貯め込むことができたが、消費を増やすことはなかった。

 しかし、需要の経済学への転換において重要なのは、カネとモノの因果関係の逆転ではなく、総生産と総供給の因果関係の逆転である。したがって政策論争では、「カネをまくかまかないか」ではなく、「モノへの政府需要を増やすか減らすか」を論点にすべきだったのである。」

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posted by Fukutake at 09:33| 日記

核論議

「核武装論ー当たり前の話をしようではないかー」 西部邁 講談社現代新書 2007年

戦後日本に核論議なし p188〜

 「日本国憲法第二章の「戦争の放棄」は、戦後日本人に(自衛戦争をも否定してかかるほどに)反戦の思想を植えつけた、といわれています。 しかしそれがおおよそ嘘話であることにそろそろ気づかなければなりません。 その反戦思想とやらが本気のものなら、この六十年余、ほぼ休みなく戦争に従事してくたアメリカという国家と(それに屈従するほどに)仲良くやってこれたはずはありません。

 「戦争の放棄」条項は、我々における「戦争の概念」を曖昧にし、我々の眼を「戦争の現実」から逸らせるのに、多大の貢献をした、とみるのが正しい判断ではないでしょうか。 放棄されたのは戦争そのものではなく、戦争についての表現であり観察眼であり行動法だったのです。 そんな国民に突如として「核」について議論せよ、と迫っても反応が返ってくるわけがありません。 我ら戦後日本人が、少なくとも戦争については世界の珍種となってしまってすでに久しい、という現実を解きほぐしていく以外に核論議の始めようがないのです。

 ICBM(大陸間弾道弾)やSLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)が発明されるや、「核の傘」という防衛論が有効性を顕著に失いつつあります。 そのことについてはすでに何度も触れました。 話の要点はごく簡単であって、「日本が「核」のファースト・アタックを受けたとしても、アメリカはその(日本の)敵国にたいして「核」のセコンド・アタックを加えられないであろう、なぜなら、アメリカがその侵略国家から(ICMNやSLBMを使った)「核」のサード・アタックを受けるであろうから」、ということに尽きます。

 この理論を、あろうことか国際政治学の専門家と自称し他称される者たちのうちに、何の注釈もないままに無視してかかる人が少なくありません。 ここで確認しておきたいのは、「核の傘」という信仰が専門人の脳裡にまで固着しているという一事についてのみです。 いや彼らは、明言することはほとんど皆無なのですが、無自覚のうちに「量は質に転じる」と信じ込んでいるのでしょう。 つまりたとえば「アメリカは中国の五十倍、百倍あるいは百五十倍の数量にのぼる原爆を持っている。 こうまで数量的に凌駕しているとなると、アメリカの”核の傘”はなお有効である」と彼らは、たぶん何とはなしに、感じたり思ったり考えたりしているに違いありません。

 しかし、日本はアメリカの「核の傘」によって守られている、という防衛論には一文の値打ちもありません。 そんな値打ちのまったくない議論を、「日米同盟」を金科玉条とみなす専門人たちがテレビ、新聞、雑誌で平然と口や筆にしているというのは、一体、いかなる理由でしょう。」


国際外交の発言力が「核」の有無に大きく依存しているのは事実
posted by Fukutake at 09:23| 日記

2022年11月21日

1937年のエジプト、ルクソール

「宮崎市定全集 20 菩薩蛮記」 1992年

西アジア遊記 エジプト王国 ルクソール p141〜

 「ナイル川の中流、ルクソール付近はエジプト中王国時代の巨大な遺跡が多く残っているので有名である。 その見物を思い立ち、停車場へ切符を買いに行く。 「案内所(アンフォルマシヨン)」とあるので入って行くと、立派な髭を生やした小学校長のような主任が出て来てフランス語で応対した。 明日の午後までに宿泊券付きの廻遊券を作っておくからというので丁重に頼みこんで引き下がった。 ところが翌日出て行くとまだ切符は出来ておらず、髭の主任が今すぐ取りかかるからといって給仕に何やら言いふくめて出してやる。 それが帰るまで散々待たされた揚句、やっと切符を入手したのはよいが、ルクソールまで長距離電話をかけたとか、手数料だとか、使いに行った給仕への心付だとか何やかやで強(したた)かぼられた。 しかも切符を見ると、なんと停車場の発行ではなくて、クック会社の発行であった。 クックな会社なら宿の近くにあって、私も一、二度金を出しに行ったことのある所だ。 エジプトで外国語のできる男は八の字髭を生やしていてもなかなか油断がならない。

 大通りを散歩していると、アラブ人が慣れ慣れしく話しかける。 これはたいてい案内人であって中には「ただいま何時ですか」などと、時間を聞く振りをしてさりげなく話しこんでから、最後にどこへ案内致しましょうなどと、しつこく付き纏って来るのがある。 釣れますか、などと文王そばへより。 生存競争の劇しい所ではいろいろな戦術が発達するものである。

 十月二十五日夜七時五十分、カイロ発の汽車でルクソールに向かう。 エジプトという国は地図の上で見ると大体四角であるが、本当はナイル河の沿岸にしか人が住んでいないので、実際は帯をたらしたような細長い国である。 鰻の寝床といったらなおよく当てはまる。 そこで鉄道がナイル河に沿うて南北につき抜けているから、鉄道の沿線を見ただけで大体エジプトを一巡したことにもなるのである。 ナイル河はこれも世界地図で見ると真直ぐなように思えるが、実地にその沿岸を汽車に乗って見ると、相当に曲がりくねった河であった。 夜の間は方向がさっぱり分からないが、夜があけて日が照り出し、日光が車中に差しこむようになると、方向の変わるのが直ちに身をもって感ぜられるのである。」

(昭和十二年)

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posted by Fukutake at 08:15| 日記