「骨董」 ラフカディオ・ヘルン 平井呈一訳 岩波文庫
夢を啖ふもの p183〜
「短夜や獏の夢食うひまもなし 古句
その動物の名は「獏」といひ、また「しろきなかつかみ」ともいふ。特別の役柄は夢を啖ふことである。獏は物の本にいろいろに書かれてゐる。わたしのもつてゐる或古い書物には、雄の獏には馬の胴に獅子の顔、象の鼻と牙、犀のの額毛に牛の尻尾、それに虎の足をもつてゐると記してある。、雌の獏は雄とは大ぶ形がちがふのださうだが、その違ひははつきり書かれてゐない。…
「最近わたしが獏を見たのは、土用の或大へん蒸暑い晩のことであつた。なんだか妙に苦しくなつてわたしは目がさめたばかりのところであつた。時刻は丑の刻である。そこへ獏が窗からはいつてきてたづねた。「なにか食べるものがありますか。」わたしは喜んで答へた。「ありますよ。…まあ獏さん、わたしの夢をきいてください。なんでも燈(あかり)のたくさんついた、大きな、白い壁の部屋でした。そこへわたしが立つてゐるのですね。ところが、敷物のしいていないそこの牀(ゆか)の上に、わたしの影がうつつていない。それからひよいと見ると、すぐそこの寝臺の上に、わたしの死骸がのつている。いつどうして死んだのか、わたしは覺えがありません。寝臺のそばには六七人の女が腰をかけてゐますが、どれも知つた顔の人はゐません。それがみんな若いともつかず年寄りともつかない、そして揃つて喪服を着てゐる。ははあ、お通夜に来た人たちだなとわたしは思ひました。誰も身動き一つするものも口一つ利くものもありません。あたりがしんとして物音一つしないから、わたしはなんとなく、大ぶこれは夜が更けたなと思ひました。
するとその途端に、わたしはその部屋の空気の中になんとも言ふに言はれない −−まあ、意志の上にのしかかるやうな重苦しさとでも言ふか、とにかくさういう目に見えない、なにか人を麻痺させるやうな力が、しづかにひろがつて来てゐるのに気がつきました。そのうちにお通夜に来てゐた人たちが、お互いにそつと見張り合い出した。恐くなつて来たんですね。するとその中の一人がつと立上つて音も立てず部屋を出て行きました。それから一人立ち二人立ちして、みんな一人づつ影のやうにふわふわ部屋を出て行つてしまつた。結局私とわたしの死骸だけが部屋に残りました。…
獏くらへ、獏くらへ、獏くらへ。食べて下さい。獏さん。この夢食べてください。」「いや、わたしはめでたい夢はたべません。」
そして獏は窗から出て行つた。獏は月の照り渡つた屋根の上をちやうど大きな猫のやうに、棟からから棟へ跳びうつりながら飛んで行つた。」
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夢を食う獏を見た夢。
2022年11月24日
芸術はあくまで自己表現
「文展と芸術(抄)」 夏目漱石 初出「東京朝日新聞」大正元年十月十五日
転載「芸術新潮」2013年6月号 p43〜より
「芸術は自己の表現に始まって、自己の表現に終わるものである。
唯斯(か)ういつた丈では人に通じ悪(にく)いかも知れない。よし通じた所で誤解されるかも知れない。自分は近頃述作に従事するごとに、懐に往来して已まぬ此信条の意味を、機会があつたら理論的に布衍して、自分と同じ傾向を有つてゐる文芸家に相談して見たいと思つてゐた。
文展公開の当日場に入るや否や自分の頭に閃いた第一の色彩も亦金文字で飾られた此一句に過ぎなかつた。其時自分は卒然として、丁度好(い)い折だから、平生の考に、推論の練(ねり)と磨きとを加えて、理知の首肯く程度迄エラボレーションの歩を進めて見やうかと思つた。然し此一句の後には余りにも多くの背景が潜んでゐることをも発見した。此一二行の中に孕まれてゐる可成複雑な内容を、明かな秩序と段落の援(たすけ)の下(もと)に、水の流れて滞らざる滑らかさで結び終せるのは一寸手間が掛かる。それのみか余程の紙面が必要になつてくる。−− 自分は斯うも考へ直して見た。それで折角の好機会ではあるが、自分の信条に明白な理路を与へる努力丈は又の日に繰り延ばす事にした。
けれども唯一「芸術は自己の表現に始つて自己の表現に終るものである」と云つた丈では、黙つてゐた時よりも、好んで誤解を買ふと云ふ点に於て、自ら罪を醸したと同然の出過ぎ口になる。自分が文展に関聯して云ひ出した此一句に、簡易なしかも尤もと認められ得べき意義を付けることは、自分の文展に対する責任かも知れない。
自分の冒頭に述べた信条を、外の言葉で云ひ易へると、芸術の最初最終の大目的は他人とは没交渉であるといふ意味である。親子兄弟は無論の事、広い社会や世間とも独立した、全く個人的のめいめい丈の作用と努力に外ならんと云ふのである。他人を目的にして書いたり塗つたりするのではなくて、書いたり塗つたりしたいわが気分が、表現の行為で満足を得るのである。其所に芸術が存在してゐると主張するのである。従って、純粋の意味からいふと、わが作物の他人に及ぼす影響については、道義的にあれ、美的にあれ、芸術家は顧慮し得ない筈なのである。夫を顧慮する時、彼等はたとひ一面に於て芸術家以外の資格を得るにせよ、芸術家としては既に不純の地位に堕在して仕舞つたと自覚しなければならないのである。
悲しいかな実相を自白すると、我々は常に述作の上に於て、幾分か左右前後を顧みつつ、堕落的に仕事をしてゐる場合が多い。そのうちで我々を至醇の境界から誘き出さうとする最も権威ある魔は他人の評価である。此魔に犯されたとき我々は忽ち己を失却してしまふ。さうして恰も偶像礼拝者の如き陋劣な態度と心情を以て、見苦しき媚を他に売らうとする。さうして常に不安の眼を輝かし空疎な腹を抱いて悶え苦しまなければならない。其所が問題なのである。
自己を表現する苦しみは自己を鞭撻する苦しみである。乗り切るのも斃れるのも悉く自力のもらたす結果である。困憊して斃れるか、半産の不満を感ずる外には、出来栄について最後の権威が自己にあるといふ信念に支配されて、自然の許す限りの勢力が活躍する。夫が芸術家の強味である。即ち存在である。けれども人の気に入るやうな表現を敢えてしなければならないと顧慮する刹那に、此力強い自己の存在は急に幻滅して、果敢ない、虚弱な、影の薄い、希薄なものが纔(わづ)かに呼吸(いき)をする丈になる。此時の不安と苦痛は前のそれ等とは違つて、全く生甲斐のない苦痛である。自己の存否が全く他力によつて決せられるならば、自己は生きてゐると云ふ標札丈を懸けて、実の命を既に他人の掌中に渡したと同然だからである。
だから徹頭徹尾自己と終始し得ない芸術は自己に取つて空虚な芸術である。」
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転載「芸術新潮」2013年6月号 p43〜より
「芸術は自己の表現に始まって、自己の表現に終わるものである。
唯斯(か)ういつた丈では人に通じ悪(にく)いかも知れない。よし通じた所で誤解されるかも知れない。自分は近頃述作に従事するごとに、懐に往来して已まぬ此信条の意味を、機会があつたら理論的に布衍して、自分と同じ傾向を有つてゐる文芸家に相談して見たいと思つてゐた。
文展公開の当日場に入るや否や自分の頭に閃いた第一の色彩も亦金文字で飾られた此一句に過ぎなかつた。其時自分は卒然として、丁度好(い)い折だから、平生の考に、推論の練(ねり)と磨きとを加えて、理知の首肯く程度迄エラボレーションの歩を進めて見やうかと思つた。然し此一句の後には余りにも多くの背景が潜んでゐることをも発見した。此一二行の中に孕まれてゐる可成複雑な内容を、明かな秩序と段落の援(たすけ)の下(もと)に、水の流れて滞らざる滑らかさで結び終せるのは一寸手間が掛かる。それのみか余程の紙面が必要になつてくる。−− 自分は斯うも考へ直して見た。それで折角の好機会ではあるが、自分の信条に明白な理路を与へる努力丈は又の日に繰り延ばす事にした。
けれども唯一「芸術は自己の表現に始つて自己の表現に終るものである」と云つた丈では、黙つてゐた時よりも、好んで誤解を買ふと云ふ点に於て、自ら罪を醸したと同然の出過ぎ口になる。自分が文展に関聯して云ひ出した此一句に、簡易なしかも尤もと認められ得べき意義を付けることは、自分の文展に対する責任かも知れない。
自分の冒頭に述べた信条を、外の言葉で云ひ易へると、芸術の最初最終の大目的は他人とは没交渉であるといふ意味である。親子兄弟は無論の事、広い社会や世間とも独立した、全く個人的のめいめい丈の作用と努力に外ならんと云ふのである。他人を目的にして書いたり塗つたりするのではなくて、書いたり塗つたりしたいわが気分が、表現の行為で満足を得るのである。其所に芸術が存在してゐると主張するのである。従って、純粋の意味からいふと、わが作物の他人に及ぼす影響については、道義的にあれ、美的にあれ、芸術家は顧慮し得ない筈なのである。夫を顧慮する時、彼等はたとひ一面に於て芸術家以外の資格を得るにせよ、芸術家としては既に不純の地位に堕在して仕舞つたと自覚しなければならないのである。
悲しいかな実相を自白すると、我々は常に述作の上に於て、幾分か左右前後を顧みつつ、堕落的に仕事をしてゐる場合が多い。そのうちで我々を至醇の境界から誘き出さうとする最も権威ある魔は他人の評価である。此魔に犯されたとき我々は忽ち己を失却してしまふ。さうして恰も偶像礼拝者の如き陋劣な態度と心情を以て、見苦しき媚を他に売らうとする。さうして常に不安の眼を輝かし空疎な腹を抱いて悶え苦しまなければならない。其所が問題なのである。
自己を表現する苦しみは自己を鞭撻する苦しみである。乗り切るのも斃れるのも悉く自力のもらたす結果である。困憊して斃れるか、半産の不満を感ずる外には、出来栄について最後の権威が自己にあるといふ信念に支配されて、自然の許す限りの勢力が活躍する。夫が芸術家の強味である。即ち存在である。けれども人の気に入るやうな表現を敢えてしなければならないと顧慮する刹那に、此力強い自己の存在は急に幻滅して、果敢ない、虚弱な、影の薄い、希薄なものが纔(わづ)かに呼吸(いき)をする丈になる。此時の不安と苦痛は前のそれ等とは違つて、全く生甲斐のない苦痛である。自己の存否が全く他力によつて決せられるならば、自己は生きてゐると云ふ標札丈を懸けて、実の命を既に他人の掌中に渡したと同然だからである。
だから徹頭徹尾自己と終始し得ない芸術は自己に取つて空虚な芸術である。」
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posted by Fukutake at 09:18| 日記
断じて行えば
「商君書」−中国流統治の学− 商鞅 守屋洋 編訳 徳間書房 1995年
更生篇(なぜ改革をおこなうのか) p37〜
「秦の孝公が政治の改革に乗り出そうとしたときのことである。公孫鞅(こうそんおう)、甘竜、杜摯(とし)の三人の重臣を呼んで、時代の変化をどう読むか、政治を確立するにはどうすればよいか、人民を使いこなすにはどうすればよいか、などについて意見を求めた。
席上、まず孝公がたずねた。
「先代の後を継いで王位についたからには、片時も国家のことを忘れないのが、君主の道である。また、法を施行して君主の威令を貫徹させるのが、臣下の務めである。このさい私は政治を改革し制度を刷新して人民に臨みたいと思っているのだが、天下の非難を浴びはしないかと心配でならない」
公孫鞅が答えた。
「確信をもって断行しなければ、成功させることはできない、と申します。すぐにでも改革の決意を固められ、世間の非難など耳を貸してはなりません。すばらしい事業を成し遂げる者はもともと世に容れられないもの、人並みすぐれた識見の持ち主は必ず世の非難を浴びるものです。諺にも、
『愚者は物事が形をとって現れて来てもそれに気づかないのに対し、知者は物事がまだ兆さないうちにその動きを察知する』
『人民というのは、事を始めるまえに相談する必要はない。成果をともに楽しめば、それでよいのだ』
とあります。
また、晋の文侯に仕えて政治改革にあたった郭偃(かくえん)も、
『至上の徳について語る者は世俗におもねらない。大きな仕事を成し遂げる者は衆人の意見を求めない』
と語っています。
そもそも法律をつくるのは人民を愛するからであり、制度を定めるのはそのほうが仕事を円滑に進めることができるからです。だから、すぐれた人物は、国家を強くすることなら、今までのしきたりにとらわれることなく実行に移しますす。人民に利益をもたらすことなら、今までの制度を変えることもあえて辞さないものです」…
孝公が答えた。「よくわかった。田舎者はあやしげなことばかりしゃべり、愚かな学者は埒もないことをしゃべりまくるという。愚者の笑うことを智者は悲しみ、狂夫の楽しむことを賢者は憂うるともいう。世間の者どもがなんと言おうと、私はもう迷いはしないぞ」」
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「大功を成す者は衆に謀らず」
更生篇(なぜ改革をおこなうのか) p37〜
「秦の孝公が政治の改革に乗り出そうとしたときのことである。公孫鞅(こうそんおう)、甘竜、杜摯(とし)の三人の重臣を呼んで、時代の変化をどう読むか、政治を確立するにはどうすればよいか、人民を使いこなすにはどうすればよいか、などについて意見を求めた。
席上、まず孝公がたずねた。
「先代の後を継いで王位についたからには、片時も国家のことを忘れないのが、君主の道である。また、法を施行して君主の威令を貫徹させるのが、臣下の務めである。このさい私は政治を改革し制度を刷新して人民に臨みたいと思っているのだが、天下の非難を浴びはしないかと心配でならない」
公孫鞅が答えた。
「確信をもって断行しなければ、成功させることはできない、と申します。すぐにでも改革の決意を固められ、世間の非難など耳を貸してはなりません。すばらしい事業を成し遂げる者はもともと世に容れられないもの、人並みすぐれた識見の持ち主は必ず世の非難を浴びるものです。諺にも、
『愚者は物事が形をとって現れて来てもそれに気づかないのに対し、知者は物事がまだ兆さないうちにその動きを察知する』
『人民というのは、事を始めるまえに相談する必要はない。成果をともに楽しめば、それでよいのだ』
とあります。
また、晋の文侯に仕えて政治改革にあたった郭偃(かくえん)も、
『至上の徳について語る者は世俗におもねらない。大きな仕事を成し遂げる者は衆人の意見を求めない』
と語っています。
そもそも法律をつくるのは人民を愛するからであり、制度を定めるのはそのほうが仕事を円滑に進めることができるからです。だから、すぐれた人物は、国家を強くすることなら、今までのしきたりにとらわれることなく実行に移しますす。人民に利益をもたらすことなら、今までの制度を変えることもあえて辞さないものです」…
孝公が答えた。「よくわかった。田舎者はあやしげなことばかりしゃべり、愚かな学者は埒もないことをしゃべりまくるという。愚者の笑うことを智者は悲しみ、狂夫の楽しむことを賢者は憂うるともいう。世間の者どもがなんと言おうと、私はもう迷いはしないぞ」」
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「大功を成す者は衆に謀らず」
posted by Fukutake at 09:14| 日記