「宮崎市定全集 20 菩薩蛮記」 1992年
東風西雅録 イソップ p227〜
「ギリシアを発したヘレニズム文化は、仏教の中に摂取された上で中国に輸入された事実は、既に屢々指摘されているが、それは仏教渡来以前の先秦時代から既に始まっていたのである。
『韓非子』説林上第二十二に斉の管仲が道に迷った時、馬を放してやって、その後について行くと自然に道が見つかったという話がでている。
管仲、桓公に従って孤竹を伐ち、春往いて冬帰る。 迷惑して道を失う。 管仲曰く、老馬の智、用う可きなり、と。 乃ち老馬を放して之に随うに道行を得たり。
とあるが、もちろん寓話であるから、管仲の名は出鱈目である。 ところがこの話は、そっくりそのままイソップ物語に中に出てくる。 ここでは管仲の代わりに只の老人、桓公の代わりにその息子との二人で、老人が息子を教育したことになっている。 イソップは普通には紀元前六、七世紀の頃のギリシア人とされているから、この方が『韓非子』よりずっと古い。 但しそのイソップ物語は原本が残っていないので、これをはっきり断言するためには文献的な見当が必要になり、そうなるとこれはもう私の手に負えない。 但しイソップ物語中のあるものは、更に古いエジプトのパピルス文書の中に見出され、その淵源は随分古く遡ることができるという。 この場合もイソップ物語の方が本歌と、ごく大雑把に見当をつけても大した間違いは起こるまいと思う。
イソップ物語の中で最も人口に膾炙した話の一つに、キリギリスと蟻の話がある。 夏の間に歌ったり踊ったりしていたキリギリスが寒くなってから貯えがなく、蟻のところへ食べ物を借りに行ってことわられたという寓話である。 さて、キリギリスは普通に螽斯という文字をあてるが、また蟋蟀という字をあてることもできる。 ところで蟋蟀には中国で古く嬾婦ーなまけ妻という異名があった。 『詩経』唐風、蟋蟀の疏に晋の陸機の疏を引き、
語に曰く、趨織*鳴きて嬾婦驚くとは是なり。
とあり、蟋蟀の鳴き声は機を織れと促すように聞えるので、それを聞いて嬾婦が驚くのだ、と道徳的な解釈を紹介するが、晋崔豹の『古今注』は、蟋蟀について。
秋初に生ず、寒を得れば即ち鳴く。 済南には呼んで嬾婦と為す。
とあり、これは寒くなってくると鳴くこと、嬾婦が着物がなくなって泣くのと同じ所から名を得たと解される。 そうするとこの話は大分イソップに近付いてくるが、但し中国では何時の時代まで遡れるか明言できない。」
趨織* こおろぎ
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前漢以前から西方の文化は中国に流入していたらしい。
自主防衛のために
「核武装論ー当たり前の話をしようではないかー」 西部邁 講談社現代新書 2007年
独立自衛核がなければ自主防衛も集団自衛もなし p200〜
「「核の傘」の破れが目立つということは、「アメリカが日本を守るとは限らない」ということです。 また中国や北朝鮮の対日敵視外交も、日本の背後に(日米安保条約を通じて)アメリカがいることがわかっている以上、大きくは変わらないでしょう。 加えて中国には、台湾問題でアメリカと対峙せざるべからすという国是にも似た命題があり、そのかかわりでも、米軍基地が(沖縄のものをはじめとして)いくつもある日本との宥和が長期安定するとは考えないでしょう。 日本側にしても、北朝鮮が瓦解して、そこに中国が進出してくるとなれば、まさしく日清・日露のときにも似た国際的緊張に見舞われます。 また台湾が中国の併呑されれば、沖縄に激震が走るのみならず、(台湾とルソン島のあいだの)バシー海峡が中国の覇権域に入り、それが貿易立国としての日本にとって大きな危機となることは疑いを容れません。
そうだからといって、私は、日本への西方からの軍事的な攻撃に差し迫ったリアリティがあるなどとは申しません。 確かなのは、軍事力を背景にした外交にはリアリティが籠もり、それゆえ、すでに一九六〇年代半ばに核武装を果たしたのみならず、近年、年率で一五%前後増の軍拡を続けている中国は、日本にとってまぎれもなき軍事的な脅威だということです。 もっと端的にいうと、中国からの軍事攻撃を「想像」せざるをえず、そしてそれにたいする自衛の体制において不備を「実感」するほかなく、アメリカの日本防衛にも「疑念」を寄せざるをえない、という国家(国民とその政治)のリアルな心理構造、それ自体がすでにして危機をはらんでるのです。
この危機感は、我が国が「自主防衛」の体制を整えるほかに、薄らぐことはないでしょう。 そして防衛の技術的な中核として核武装のことを射程に入れなければ、自主防衛は絵に描いた餅との実感から離れることはできないでしょう。 この自明と思われる話の道筋に立ち塞がるのが、主として親米派の諸氏によって語られている次のような理屈です。
彼らはいいつのります、「憲法を改正しなければ(「アメリカとの)集団的自衛は不可能だ」、「集団的自衛権の行使も認めないでおいて自主防衛とは片腹痛い」、「自主防衛体制も整えていないのに核武装などできるわけがない」、「核武装について可能なのは、”アメリカ核”を日本に”持ち込む”という形においてのみだ」と。 論者それぞれにおいて力点のおきどころは異なりますが、要するに親米派はー私には実感の伴うー想定に言及するのは彼らにとってタブーとなっています。」
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その通り
独立自衛核がなければ自主防衛も集団自衛もなし p200〜
「「核の傘」の破れが目立つということは、「アメリカが日本を守るとは限らない」ということです。 また中国や北朝鮮の対日敵視外交も、日本の背後に(日米安保条約を通じて)アメリカがいることがわかっている以上、大きくは変わらないでしょう。 加えて中国には、台湾問題でアメリカと対峙せざるべからすという国是にも似た命題があり、そのかかわりでも、米軍基地が(沖縄のものをはじめとして)いくつもある日本との宥和が長期安定するとは考えないでしょう。 日本側にしても、北朝鮮が瓦解して、そこに中国が進出してくるとなれば、まさしく日清・日露のときにも似た国際的緊張に見舞われます。 また台湾が中国の併呑されれば、沖縄に激震が走るのみならず、(台湾とルソン島のあいだの)バシー海峡が中国の覇権域に入り、それが貿易立国としての日本にとって大きな危機となることは疑いを容れません。
そうだからといって、私は、日本への西方からの軍事的な攻撃に差し迫ったリアリティがあるなどとは申しません。 確かなのは、軍事力を背景にした外交にはリアリティが籠もり、それゆえ、すでに一九六〇年代半ばに核武装を果たしたのみならず、近年、年率で一五%前後増の軍拡を続けている中国は、日本にとってまぎれもなき軍事的な脅威だということです。 もっと端的にいうと、中国からの軍事攻撃を「想像」せざるをえず、そしてそれにたいする自衛の体制において不備を「実感」するほかなく、アメリカの日本防衛にも「疑念」を寄せざるをえない、という国家(国民とその政治)のリアルな心理構造、それ自体がすでにして危機をはらんでるのです。
この危機感は、我が国が「自主防衛」の体制を整えるほかに、薄らぐことはないでしょう。 そして防衛の技術的な中核として核武装のことを射程に入れなければ、自主防衛は絵に描いた餅との実感から離れることはできないでしょう。 この自明と思われる話の道筋に立ち塞がるのが、主として親米派の諸氏によって語られている次のような理屈です。
彼らはいいつのります、「憲法を改正しなければ(「アメリカとの)集団的自衛は不可能だ」、「集団的自衛権の行使も認めないでおいて自主防衛とは片腹痛い」、「自主防衛体制も整えていないのに核武装などできるわけがない」、「核武装について可能なのは、”アメリカ核”を日本に”持ち込む”という形においてのみだ」と。 論者それぞれにおいて力点のおきどころは異なりますが、要するに親米派はー私には実感の伴うー想定に言及するのは彼らにとってタブーとなっています。」
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その通り
posted by Fukutake at 09:53| 日記
2022年11月25日
日本の女の美
「三島由紀夫の美学講座」 谷川渥 編 ちくま文庫
肉体について p184〜
「日本人は本来肉体の観念を二次的にしか持っていなかった。日本にはヴィーナスもなければアポロもいなかった。日本人の女性の美しさが観音様のような中性的な美しさを離れて、ほんとうの女らしい肉感性を獲得したのは、はるかおくれて江戸の歌麿の海女の図などに初めて見られたものである。
それでは日本人は肉感的な女性を愛さなかったのかというと、そうではなかった。飛鳥朝から平安朝にかけての女性は豊満な肉体をもって人々を魅惑していた。「万葉集」にあらわれる女性の姿が素朴な、あるいは現代の農村女性のようなピチピチとした魅力を想像させることは言うまでもない。その後平安朝時代に女性の肉体が非常に繊弱な、むしろ奇形なものになっていったと思われるのは、文化が爛熟して、女性の人工美が重んじられる点ではフランス十八世紀のロココ時代と同じである。ロココ時代の貴婦人は、極度に胴を詰めた衣装や、極度に衣服の抑制のはなはだしかった風俗から、裸体にすればグロテスク以外の何ものでもなかったと言われている。
しかしフランスと日本の違い、ひいてはヨーロッパと日本の違いは、そもそも肉体というものを肉体それ以上の何ものかの比喩として考えることができるかどうかというところにあった。ギリシャでは、言うまでもなくプラトンの哲学があって、われわれはまず肉体美に魅かれるけれども、その肉体美を通して、さらにより高いイデアに魅かれていく。しかしイデアという究極のものに到達するには肉体の美しさという門を通らなければならないという考えがギリシャ哲学の基本的考えであった。
しかし一方日本では、仏教が現世を否定し、肉体を否定したところから、肉体自体が肉体として評価されないのみならず、肉体が肉体を超えたあるもののあらわれとして評価されることは決してなかった。端的にいえば肉体崇拝がなかったのである。
日本人が美と考えたものは、美貌であり、あるいは心ばえであり、あるいは衣装の美であり、あるいは精神的な美であり、ある場合は「源氏物語」の中の美しい女性のように、闇の中でほのめいてくる香のかおりであった。日本人はムーディーなものに弱いといまでも言われているけれども、輪郭よりも雰囲気によって興奮してきた国民なのである。このように民族性と文化の上で、谷崎潤一郎氏の文学が、肉体崇拝の西欧的な伝統に始まりながら、ついには「蘆刈」のような、古い日本の着物の絹の重みの中に込められた、ほのかな陰影に満ちた女性の美しさへと傾斜していったことは、実に日本人的な変化であり、また日本の伝統へのやむことを得ざる回帰の姿であったとも言えよう。」
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日本女性の肉体美
肉体について p184〜
「日本人は本来肉体の観念を二次的にしか持っていなかった。日本にはヴィーナスもなければアポロもいなかった。日本人の女性の美しさが観音様のような中性的な美しさを離れて、ほんとうの女らしい肉感性を獲得したのは、はるかおくれて江戸の歌麿の海女の図などに初めて見られたものである。
それでは日本人は肉感的な女性を愛さなかったのかというと、そうではなかった。飛鳥朝から平安朝にかけての女性は豊満な肉体をもって人々を魅惑していた。「万葉集」にあらわれる女性の姿が素朴な、あるいは現代の農村女性のようなピチピチとした魅力を想像させることは言うまでもない。その後平安朝時代に女性の肉体が非常に繊弱な、むしろ奇形なものになっていったと思われるのは、文化が爛熟して、女性の人工美が重んじられる点ではフランス十八世紀のロココ時代と同じである。ロココ時代の貴婦人は、極度に胴を詰めた衣装や、極度に衣服の抑制のはなはだしかった風俗から、裸体にすればグロテスク以外の何ものでもなかったと言われている。
しかしフランスと日本の違い、ひいてはヨーロッパと日本の違いは、そもそも肉体というものを肉体それ以上の何ものかの比喩として考えることができるかどうかというところにあった。ギリシャでは、言うまでもなくプラトンの哲学があって、われわれはまず肉体美に魅かれるけれども、その肉体美を通して、さらにより高いイデアに魅かれていく。しかしイデアという究極のものに到達するには肉体の美しさという門を通らなければならないという考えがギリシャ哲学の基本的考えであった。
しかし一方日本では、仏教が現世を否定し、肉体を否定したところから、肉体自体が肉体として評価されないのみならず、肉体が肉体を超えたあるもののあらわれとして評価されることは決してなかった。端的にいえば肉体崇拝がなかったのである。
日本人が美と考えたものは、美貌であり、あるいは心ばえであり、あるいは衣装の美であり、あるいは精神的な美であり、ある場合は「源氏物語」の中の美しい女性のように、闇の中でほのめいてくる香のかおりであった。日本人はムーディーなものに弱いといまでも言われているけれども、輪郭よりも雰囲気によって興奮してきた国民なのである。このように民族性と文化の上で、谷崎潤一郎氏の文学が、肉体崇拝の西欧的な伝統に始まりながら、ついには「蘆刈」のような、古い日本の着物の絹の重みの中に込められた、ほのかな陰影に満ちた女性の美しさへと傾斜していったことは、実に日本人的な変化であり、また日本の伝統へのやむことを得ざる回帰の姿であったとも言えよう。」
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日本女性の肉体美
posted by Fukutake at 07:47| 日記