2022年10月31日

問題の源泉

「汝みずからを笑え」 土屋賢二 文春文庫 2003年

取材を終えて p135〜

 「雑誌の取材を終えわたしに助手がいった。
「顔色が悪いですよ、心配事でもあるんですか。 それとも仮病の練習をしているのですか」
「わたしがいつ仮病を使った。 少なくとも仮病だと立証されたことはない。 今、取材があったんだ」
「<へんな人特集>の取材ですか」
「それだったら、君に取材するはずだ。 『オリーブ』という雑誌だ。 君とは違って、まだ心が汚れていない若い女性が読む雑誌だ。 そこで哲学を紹介するというんだ」
「そんな無茶なことをして読者に悪影響はないんですか」
「もちろん心配だ。 読者だけでなく、雑誌も悪影響があるだろう。 それに、どうも哲学について悪いイメージを与えたような気がする。 それが心配だ」
「電話の取材だったら、少しはましなイメージをもってもらえたんじゃないんですか」
「どういう意味だ。 わたしのルックスが問題だというのか。 わたしが心配しているのはそういうことじゃない。 精一杯説明したつもりだが、どう理解されたかが問題なのだ」
「難しいことを話したんですか」

「しゃべったことはやさしい。 ただ、わたしとしては、一を聞いて十を知ってほしいのだ。 わたしは一しか知らないから。 それを編集で何倍にもふくらませてほしいと思っているのだが、インタビューした女性編集者は、そういうことは期待できそうにない顔をしていた。 とにかく、彼女がどれだけ実りのある話を聞いたかは、彼女の肩にかかっている」
「でも責任は、しゃべった先生にあるんじゃないんですか」
「インタビューは共同作業だ。 質問しなければわたしの発言もないのだ。 だから編集者にも責任の半分あある。 わたしが<哲学の探究はいつまでも続く>といったら、編集者は<一生続くんですか>と同情するようにいった。 <一生借金を返し続けるですか>とか<一生治らない病気なんですか>というのと同じ口調だった。 わたしを憐んで帰って行ったから、哲学に悪いイメージをもったに違いない」

「哲学を説明するのは難しいですから、先生には無理ですよ。 先生に取材したのが間違いだと思います」
「だから、雑誌に責任があるといったろう。 素人は困ったものだ。 哲学が何であるか、哲学の教師に聞けば分かると安易に考えている」
「でも、先生が神様だったとしても何を聞いても分からない、ということは、普通の人は知らないんじゃないでしょうか」
「ちょっと待て。 それは言い過ぎだろう。 神様を侮辱するのか」
「わたしが侮辱しているのは神様じゃなくて、先生だと思います…」


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posted by Fukutake at 08:40| 日記

イスラムの天国とは酒池肉林?

「イスラーム文化」ーその根底にあるものー 井筒俊彦著 岩波文庫

イスラーム的天国 p99〜

 「西暦六二二年、ムハンマドはメッカを去ってメディナに移り、ここにイスラーム暦第一年が始まります。 メディナ期に入ったイスラームは、その性格を著しく変えまして、思いもかけなかったような方向に進み始めます。 いわゆるサラセン大帝国への道であります。 そしてそれに伴って、イスラームという宗教そのものもすっかり変貌します。

 まず第一に、神自身がいままでとはまるで違った姿で現われてくる。いままでは神は主に否定的側面、暗い側面において人間の前にその姿を現わしておりました、いまお話いたしましたように、怒りの神、恐ろしい審判の日の主として。 メディナ期に入りますとー というより、メッカ期でも、だんだんメディナ期に近くなってくるとー この神が人間の目に慈悲と慈愛、恵の主として映り始めます。 信仰の深い人々、善人には、来世で天国の素晴らしい歓楽を与えるであろうことを神は約束します。 つまり終末論的な光景が感覚的に明るくなってくるのです。 それは、例えば次に引用する『コーラン』の一節が描く来世の歓楽に代表されるような、手放しの明るさです。 感覚的で、官能的で、しかもユーモラスなところもあって、イスラーム的な天国の描写としては傑作だと思います。 ちょっと読んでみましょう。

  「しかし、誠実一筋に(現世を生きた)神の奴婢(しもべ)は(地獄の業火の罰を受ける性悪どもとは)違う。
そういう人たちだけは、あのおいしい食物を頂戴する、つまり種々様々な果物を。 高い名誉を授けられ、至福の楽園に入り、臥牀(ねだい)の上にみんなが互いに向かい合って坐れば、こんこんと湧き出る(天国の美酒の)泉から汲みたての盃が一座に廻り、白く清らかに澄んで、飲めばえも言えぬ心持ちよさ。 これは(現世の酒とは違って)飲んで頭がふらつくでもなし、酔っぱらったりする心配もない。

その上、側に侍る眼差しもいとしとやかな乙女たち。 眼(まなこ)ぱっちりした美人ぞろい。 身体(からだ)はまるで砂に隠れた(駝鳥の)卵さながらに(ほんのり黄色みを帯びた白さが美しい)。
やがてその男たち、かたみに向きなおって、いろいろと訊ね合う。
中の一人が口を切る、『わしに一人友人がおりましてな、口癖のようにこう言うておりました、「おい、君までがあんなことを(ムハンマドの説く死後の復活など)真にうけているのか。 わしらが死んで、塵と骨になってしまったあとで、そうなってからまた審判を受けるなんてことがあるものかね」と。』さらに語をついで、『まあ、みなさん、ちょっと見下ろしてごらんなされ』と言う。
見下ろせば、や、見える見える、(復活と審判を信じなかった)あの男が地獄の真中に落ちている。
『ああ、すんでのことで、お前のおかげでわしまで破滅するところだった。 主のお慈悲あったればこそ助かったが、さもなくば、わしも(お前同様、業火の責苦の中に)曳きずりこまれるところだった。』(三七章、三九ー五五節)」とあります。

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posted by Fukutake at 08:36| 日記