2022年10月24日

中国の属国

「清朝史通論」 内藤湖南 東洋文庫 平凡社

「清朝史通論」より 朝鮮の外交文書 p58〜

 「(奉天の倉庫の中に)「同文彙考」というのがありました。これは朝鮮の外交文書の全体の記録であります。朝鮮の外交といふのは極まりきつたことでありまして、支那と日本だけである。支那に対することは、事大主義などと悪口を申しますが、朝鮮人自ら支那に関する往復の文書のことを事大と謂うて居る。それから日本に関する往復の文書は、之を交隣と謂つて居る。それを総て網羅してあるのが同文彙考であります。其の中の別篇といふのは、清朝がまだ満洲に居つた時代に、朝鮮と交通した文書を載せたものでありまして、それを崇謨閣記録と引合せて見ると、余程参考になるのであります。ところで同文彙考は、朝鮮が満洲に征伐されて降参をして、三田渡碑といふ、満洲の厚恩に依つて助かつて有難うございますといふ碑文を建てた、それ以後の文書を載せてあるのであつて、満洲の方で金国汗と称して居つた時の文書は載つて居りませぬ。それには矢張り朝鮮国來書簿といふものを見なければならぬのであります。兎に角是等は清朝が満蒙漢の統一をした時に、朝鮮までも手をつけたといふことを今日証拠立てる現存の立派な記録であります。

 其の次に「通文館書籍版木」といふものがありますが、是は余程面白いものでありまして、通文館といふのは、朝鮮の外務省といふほどのものではありませぬが、外務の通訳の事を掌る処であります。朝鮮は階級制度のむずかしい処であつて、訳官になる者は中人と申して、一流の貴族になれぬのでありますが、通訳の事を掌る家が代々あつて、其の家で通訳の事を掌つて居つたもので、さうして謂はば通訳の教科書が沢山あります。其の教科書の種類もいろいろありますが、其の教科書として用ひられた書物の版木が一切通文館に遺つて居る筈であります。今日でもどうかしたらそれが現存して居りはせぬかと思つて居りました所が、内地から朝鮮へ行つて居つた或る人が、京都大学の新村教授が彼地へ行つた時に、かういふものがあるといふて分けて贈られたのが、京都大学に幾枚か保存されて居ります。それで今日は其の版木が散乱して居るといふことが分かりがます。さうして其の教科書も今日では容易に得られないのであります。それで其の時に朝鮮に於て通訳に使つた言葉、すなわち支那語・満州語・蒙古語・日本語、是だけのものは通訳の教科書が出来て居る。それで此の通文館には、蒙古語の教科もあれば、満州語の教科もあり、支那語の教科もあり、日本語の教科もある。日本語などは徳川時代の侍の使ふ丁寧な言葉の教科書があります。さういふやうに通文館で通訳を掌つて居りましたが、朝鮮の方で満洲語・蒙古語・支那語の必要を感じて、教科書を作るといふことは、即ち満洲の勢力が朝鮮に及んだ事を示す所の証拠と謂つてもよいのでありまして、其の見本として茲に幸ひに存在して居る書籍の版木を御目に懸けようと思つて、別室に出して置きました。是が即ち入関以前の満洲で、蒙古人・漢人を統一し、其の上に朝鮮を属国としまして国を立てた様子を一通り御話を致したのであります。」

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posted by Fukutake at 07:48| 日記

人間こんなもの

「今昔物語」<若い人への古典案内> 西尾光一著 教養文庫

影法師 (巻二十八 第四十二話) P209〜

 「今は昔、ある受領(国守)の郎等で、臆病なくせに、強い武士らしく見せかけようとして、いつも強がってばかりいる男がありました。
 ある朝、起きぬけによそへ出かけなければならない用事ができて、妻は男の寝ているうちから起き出し、まめまめしく食事の仕度などをしておりました。あたりはまだまっ暗でしたが、有明の月が板のすき間からさしこんで、自分の影がうつりました。起きたばかりで、まだ髪もとかしていなかったので、その影法師を見て、髪をふり乱した大きな童盗人(わらわぬすびと)が入ったものとばかり思い込んでしまいまいした。あわてふためいて、夫の寝ているところへとび込み、夫の耳に口をつけてそっといいました。
「あなた、起きてください。あそこにざんばら髪の童盗人が入ってきています。」
「なに。どろぼうだって。それはたいへんだ。よしきた。」
男はがばとはね起き、枕もとに置いてあった長い刀を手さぐりで握りました。
「よし、おれがそいつの首を打ち落としてくれる。」
 彼は、裸のままで、長い刀を手に、髪をふり乱して、勢いよく出ていきました。すると、また先刻のように、その影がうつりました。彼はぎょっとして立ちすくみました。なんだ、どろぼうは童などではない。長い刀を抜き持ったおとなではないか。これでは、かえっておれの方が頭を打ち割られてしまいそうだと、急に臆病風にふかれてしまいました。小声で、
「おっ。」と叫んで、妻の所へ逃げこんできました。
「お前はりっぱな武士の妻だとばかり思っていたが、いったいお前の目はどこについているのだ。何が童のどろぼうだ。髪をふり乱した大の男が長い刀を抜いて持っているではないか。しかし、そいつはひどい臆病ものだぞ、おれが出ていったら、持っていた刀も落ちそうになるほど、ぶるぶるふるえておったわ。」と妻に言うのですが、じつは、自分がぶるぶるふるえていた、その影法師を見てのことです。
「あんなものは、行ってお前が追い出してこい。おれをみてふるえたのは、きやつもこわがっているからだ。おれは、これからよそへ出かねばならぬ大切なからだだ。ちょっとしたかすり傷がついてもつまらぬ。どろぼうも、まさか女はきるまい。」と言うなり、ふとんを引かぶって寝てしまいました。妻はあきれて、
「なんて、いくじのない人でしょう。そんなことでよく弓矢を持って、見まわりだなんていってお月見などしてあるけるものね。」といいながら、立ち上がってまたようすを見に出かけようとしますと、夫の側の障子が、不意に夫の上へばたんと倒れかかりました。夫は、どろぼうが自分にとびかかってきたと早合点して、
「たすけてくれ。」と大声で叫びました。妻は音のあまりの臆病さに、腹が立つやらおかしいやらで、
「まあ、あなた。どろぼうはもう出ていってしましましたよ。それは障子が倒れたんじゃありませんか。」
 そう言われて、起き上がってみると、なるほどもうどろぼうの姿は見えず、障子が倒れているばかりです。男は急に勢いがよくなりました。裸のままで武者ぶるいをして、胸をさすり、手につばをつけながら、
「あんなやろうが、このおれさまの家にはいってきて、やすやすとものなどとってゆけるものか。やつは、障子をふみ倒して、びっくり仰天して逃げたんだ。運のいいやろうだ。もうすこしまごまごしていてみろ、きっとおれがつかまえてくれたものを。だいたいお前のやり方がまずいから、逃してしまったんだぞ。」
 妻は、あまりのことにあきれて、もう何も言う気にならず、一しきり大笑いしただけでした。
 世の中には、こんな馬鹿ものもいるのです。ほんとうに妻の言ったように、こんなに臆病では、刀や弓矢をもって人に仕えることができるものでしょうか。この話を聞いて、みんな、その男をあざ笑いました。この話は、妻が人に話したのが、だんだん伝わったのだということです。」

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いつでもいた臆病者

posted by Fukutake at 07:44| 日記