2022年10月07日

プロ野球の球団主の変遷に現れる

「やぶから棒」 夏彦の写真コラム 山本夏彦 新潮文庫 平成四年

一栄一落これ春秋 p153〜

 「「一栄一落これ春秋」というのは私の好きな言葉で、デパートを例にこの欄に書いたおぼえがある。 「おごるもの久しからず」「満つれば欠くる」も。 おごるほど栄えたことのない私には嬉しい言葉である。

 デパートはスーパーと競争して売上ではスーパーに大敗しながらなおおごることをやめない。 生殺与奪の権をにぎって出入りのメーカーに、リベートや袖の下やらを強要して新聞沙汰になった。 三越だけが槍玉にあげられたが、高島屋その他が例外であるはずがない。 こうして急転直下デパートは滅亡に向かいつつあると、いくら言ってもデパートはきなかい。

 ある日出勤したら会社はつぶれていたとよく聞くが、これは社員がその日まで会社を疑っていなかった証拠で、その極端な例が第日本帝国である。

 昭和十九年七月サイパンがおちて、東京は米空軍の爆撃圏内にはいった。 これで万事休したのに軍人や役人はそうは思わなかった。 ばかりかそう思うものを逮捕した。 そしてこのごに及んで、なお少将は中将に、課長は部長になりたがった。

 ご存知の通り「フィガロ」「オブザーバー」「タイム」以下西洋の一流新聞は、今続々つぶれつつある。 今度はわが国の新聞の番で、げんに一社つぶれたといくら言っても聞かないこと昭和十九年の軍人たちに似ている。

 このごろ「インテリがつくってゴロツキが売る新聞」とまで言われながら、それでも耳をかさない。 月ぎめ二千六百円の新聞一部に八千円一万円の拡材費をつぎこんで、読売は朝日を百万部(!)しのいだと得意である。 そしてその新聞は野球とテレビ欄しか見られていないのである。

 昭和五十五年九月二十三日、朝日新聞は新築落成した築地の新社屋に引越した。 今後はネルソンとかいう全く鉛を使わぬ平版で印刷すると自慢している。 けれども満つれば欠くるのが世のならいである。 これを機会にわが国の大新聞は滅亡に向かう。 それを救う方法を知らないではないが、教えてもきかないにきまっているから教えてやらない。」

(昭和五十五年(1980)十月九日号)

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posted by Fukutake at 05:30| 日記

論争の流儀

「「知恵」の発見」山本七平 さくら舎 2014年

不自然アレルギー p44〜

 「明治維新前後から第二次大戦前後への歴史を見て、日本の文化がこれからどのように変化していくか、私にはある程度予測は立てられると思う。
 日本人がものを考えるときの基本的な概念で、ここから逃げられないものに「自然」「不自然」という概念がある。

 われわれの社会では、「あいつの言っていることは正しいかもしれないが、言い方が不自然だ」と言われたら、内容の当否にかかわらずダメである。 日本人の社会には、自然、不自然という探究しにくい規定がある。
 われわれは不自然はきらいで、すべて自然でなくてはいけない。 これが日本文化の探索で少々困る点だが、それでいて、これはいわば基本的概念なのである。

 「自然」はその内容が不明確なため、規範の基準を明確にできない。 これもわれわれが、われわれの「自然」という概念は、かくかくしかじかと外部に主張する必要が一切ない世界に生きてきたからであろう。
 西洋人は、たとえばローマ時代にすでに、ヘレニズムとヘブライズムの相克があるし、キリスト教と、伝統のローマ的文化の相克もある。 だから、みな自己主張をしないと生きていられなかった。

 ヨセフス(注:ユダヤ人の歴史家)が書いた『アピオーンへの反論』は、ヘレニズムとヘブライズムの明確な思想的衝突である。
 アピオーンというのは、当時の典型的なアンティセミティズム(注:反ユダヤ主義)の主唱者、ホメロス学者で、ヘブライズムが何よりきらいな、反ユダヤ主義の元祖のような人である。

 彼の著作が残っていないので、ヨセフスが反論したのが、どのような著作かわからないが、反論の内容から、また別なところにも彼が登場してくるので、ある程度はわかる。
 彼らはお互いに「自分たちはこうやっているのだ」「このほうが正しいのだ」ということを、あらゆる方法で主張しなくてはならなかったのである。

 アピオーンが何を言ったか、記録に残っていないのでわからないが、ヨセフスの反論の仕方から、「ああ、こういうことを(ユダヤ人は)言われていたのだな」ということは推定できる。 それに対して、微に入り細をうがって、自分たちの生き方はこうなのだと、一心不乱に反論している。

 その場合、「私見によれば」という言い方は許されない。「私見」は何の根拠もないから、明白なる客観的事実を提示するか、権威とする典拠を引用する。 まるで引用魔のように、これを自由自在に引用できる人間が勝つ。
 「聖書の第何章何節によればこうだから、おまえの言うことは間違っている」という形で反論しなければならない。これは正統異端論争にも出てくるが、お互いに同一典拠を引用して論争を展開するのである。」

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posted by Fukutake at 05:25| 日記