「虫目とアニ目」 養老孟司 x 宮崎駿 新潮文庫 平成二十二年
お先真っ暗 p81〜
「養老孟司 自然のディテールが日本の中でどれくらい繊細なものかというのは、たとえばマイマイカブリの生息分布図を作るだけでも明白なんです。亜種ごとにキレイに色分けできる。で、あるとき中村桂子さんがそのマイマイカブリの分布図ともう一枚別の地図を持ってきて、比べてみろと言う。すると二枚はそっくりなわけ。実はもう一枚の地図というのは、縄文式土器の型式による分布図なんだけれど、それを見てわかるのは、万年単位で続いた縄文時代は、虫の分かれ方と文化の分かれ方まで一致させちゃうんじゃないか。要するにそのくらい自然のディテールに依存して縄文の人は生きていた、ということなんです。
さらにカミキリムシの一種にコブヤハズカミキリって飛べないやつがいるんだけど、これがやはりフォッサマグナでキレイに分かれている。せいぜい近いところで二〇〇メートルくらいしか離れていないけれど、混ざらない。ところが、ほんの狭い範囲で雑種が取れるんです。今度は、なんでそこだけ雑種がいるかってことが問題になる。で、それを研究している人によると、そこでかつて土砂崩れが起きたんだと言うんですね。現代のわれわれは、そんなディテールを完全にすっ飛ばして生きているでしょう。ぼくが乱暴だって言うのは、こういうことなんです。でも、その細やかさこそが生き物なわけ。ヨーロッパ、アメリカ型の都市はそれを徹底的に無視をする。それは飛行機から見たら一目瞭然なわけ。つまり、ああいう文明は空から見るとルールが見えるんです。
たとえばバンコクなんかも空から見ると実によくわかる。人口が密集する碁盤縞に運河が走っていて、その両岸に等間隔で樹木が植えられている。人口が密集する碁盤の中心部に近づくと、運河の水が濁ってくる。あそこに住む連中が、どういう頭で暮らしているのかが手に取るようにわかるんですね。この人たちだったら西洋人と話がつくだろうと。ある意味で土地のいじり方が同じなんです。空から見ることなんて考えずに連中は都市を作るわけだけれど、そこにははっきりとしたルールが見える。ところが田舎を飛ぶとまた面白くて、タイの田園はなんにもルールがわからない。まさにランダムという感じで土地が切り開かれていることがわかる。
それで成田に帰ってくると、これがなんとも言えないんですね。都市でも田舎でもない。つまり碁盤目みたいなルールでもないし、タイの田舎とも違う。でも、これはこれであるルールに従っているんだろうな、というのがなんとなくわかる。けれど、そのルールを言ってみろと言われても言えない。それが日本という気がする。ぼくはあの風景を見ると、なんで日本が暮らしにくいのがが見えるような気がするんですね。つまり暗黙のルールが幾重にもかかっていて、しかもそれは無意識なんです。それを何百年も続けてきたわけだから、外国人が日本にきて「わからない」と言うのも当たり前だと思う。」
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ルールのないルール
難渋すぎる
「小林秀雄全集 別巻 T 感想」新潮社 平成十四年
「ベルグソンの最後の作は、次の様な文で終つていた。
「人々は、大きな手段、小さな手段、のいづれを選ぼうとも、一つの決斷をすることを迫られてゐる。人類は、自分の手に成つた進歩の重みに、半ば壓し潰されて、呻いてゐる。人類は、自分の未来は、自分次第なものだ、といふ事を、まだ十分承知してゐないのである。先づ、これ以上生存したいのかしたくないのかを知るべきである。次に、自ら問ふがよい、ただ生存したいのか、それとも、その外に、神々を作る機械に他ならぬ宇宙の本質的な機能が、反抗的なわれわれの地球に於いても亦、遂行されるのに必要な努力をしたいかどうかを」
無論、これだけの引用では、彼の言葉のはつきりした意味はつかめない。ただ、今、私が言ふのは、飜譯は下手だが、かういふ物の言ひ方の事なのである。と言つても、ベルグソンを愛讀した事のない人には、感じは傳へ難いのだが、假りに、よくない言葉で言つてみれば、かういふ一種豫言めいた、一種身振のある様な物の言ひ方は、これまでベルグソンの書いたもののうちには、絶えてなかつたものなのである。彼の文體は、「意識の直接豫件論」以来、何時でも、何處でも、變つてゐない。重要作でも、講演の文章でも、本の序文でも、一様に静かであり、簡潔であり、恐らくは細かく強い抑制の力によつてであらうが、驚くほど透明で、潔白である。それが、ここでアクセントを變へた。これは以前讀んだ折にも感したのだが、今、これが遺言だつたと知つて、不思議な話だが、成る程、さういふ次第であつたか、と思つてゐるのである。
ここに、この哲學者が上り詰めた思想の頂があるわけだが、ここまで登つて来る間に、どれほどの精神の集中と緊張を必要としたかは、彼自身が書いて来た通りである。この展望をはつきり、心に描いて其處まで彼について来た者には、彼の獨語が聞えた筈であつた。さて、もう默るとしようか、と彼は極く低聲に呟いたのだが、小石は一つ落ちて、彼の文體の静かな水面は搖いだ。こんな風な言ひ方は、ベルグソン研究家を笑はせるかも知れないが、愛讀者には、研究は適さぬ。私は、ベルグソンの著作に、文學書に接するのと同じ態度で接して来た。作者の觀察眼の下で、哲學といふ通念が見る見る崩壊して行く有様に、一種の快感なぞ感じたりして、自分の讀み方は十分に文學的であると思つてゐた。
だが、今にして思へば、少しも十分でなかつたのである。様々な普遍的觀念(idees generales)の起源や價値をめぐる問題に關する論争で、哲學史は一杯になつてゐるのだが、もし、さういふ所謂哲學上の大問題が、言葉の亡靈に過ぎぬ事が判明したなら、哲學は「經驗そのもの」になる筈だ、とベルグソンは考へた。實際、彼は、自分の哲學をさういふものにした。哲學といふ仕事は、外觀がどんな複雜に見えようとも、一つの單純な行爲でなければならぬ。彼は、さういふ風に行爲して、沈默した。彼の著作は、比類のない體驗文學である。體驗の純化が、そのまま新しい哲學の方法を保證してゐる。さういふものだ。」
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「ベルグソンの最後の作は、次の様な文で終つていた。
「人々は、大きな手段、小さな手段、のいづれを選ぼうとも、一つの決斷をすることを迫られてゐる。人類は、自分の手に成つた進歩の重みに、半ば壓し潰されて、呻いてゐる。人類は、自分の未来は、自分次第なものだ、といふ事を、まだ十分承知してゐないのである。先づ、これ以上生存したいのかしたくないのかを知るべきである。次に、自ら問ふがよい、ただ生存したいのか、それとも、その外に、神々を作る機械に他ならぬ宇宙の本質的な機能が、反抗的なわれわれの地球に於いても亦、遂行されるのに必要な努力をしたいかどうかを」
無論、これだけの引用では、彼の言葉のはつきりした意味はつかめない。ただ、今、私が言ふのは、飜譯は下手だが、かういふ物の言ひ方の事なのである。と言つても、ベルグソンを愛讀した事のない人には、感じは傳へ難いのだが、假りに、よくない言葉で言つてみれば、かういふ一種豫言めいた、一種身振のある様な物の言ひ方は、これまでベルグソンの書いたもののうちには、絶えてなかつたものなのである。彼の文體は、「意識の直接豫件論」以来、何時でも、何處でも、變つてゐない。重要作でも、講演の文章でも、本の序文でも、一様に静かであり、簡潔であり、恐らくは細かく強い抑制の力によつてであらうが、驚くほど透明で、潔白である。それが、ここでアクセントを變へた。これは以前讀んだ折にも感したのだが、今、これが遺言だつたと知つて、不思議な話だが、成る程、さういふ次第であつたか、と思つてゐるのである。
ここに、この哲學者が上り詰めた思想の頂があるわけだが、ここまで登つて来る間に、どれほどの精神の集中と緊張を必要としたかは、彼自身が書いて来た通りである。この展望をはつきり、心に描いて其處まで彼について来た者には、彼の獨語が聞えた筈であつた。さて、もう默るとしようか、と彼は極く低聲に呟いたのだが、小石は一つ落ちて、彼の文體の静かな水面は搖いだ。こんな風な言ひ方は、ベルグソン研究家を笑はせるかも知れないが、愛讀者には、研究は適さぬ。私は、ベルグソンの著作に、文學書に接するのと同じ態度で接して来た。作者の觀察眼の下で、哲學といふ通念が見る見る崩壊して行く有様に、一種の快感なぞ感じたりして、自分の讀み方は十分に文學的であると思つてゐた。
だが、今にして思へば、少しも十分でなかつたのである。様々な普遍的觀念(idees generales)の起源や價値をめぐる問題に關する論争で、哲學史は一杯になつてゐるのだが、もし、さういふ所謂哲學上の大問題が、言葉の亡靈に過ぎぬ事が判明したなら、哲學は「經驗そのもの」になる筈だ、とベルグソンは考へた。實際、彼は、自分の哲學をさういふものにした。哲學といふ仕事は、外觀がどんな複雜に見えようとも、一つの單純な行爲でなければならぬ。彼は、さういふ風に行爲して、沈默した。彼の著作は、比類のない體驗文學である。體驗の純化が、そのまま新しい哲學の方法を保證してゐる。さういふものだ。」
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posted by Fukutake at 07:45| 日記