2022年10月02日

朝鮮人と中国人だった

「宮ア市定全集 1」ー中国史ー 岩波書店 1993年

元寇 p324〜

 「元王朝は世祖が南宋を滅ぼして天下を統一してから、中国に君臨すること約九十年に及んだが、但しそれ以前に、チンギス汗が蒙古族を統一してから約七十年の前史がある。 だから世祖は決して創業の君主ではなく、むしろ守成期、拡大期の君主と言うべきである。 ただ彼は蒙古の歴史を背後に負いながら、金、南宋両王朝滅亡後の社会の混乱を整理すべき中国の統一君主としての役目を引受けねばならなかった。

 先ず蒙古大汗としての世祖は当然のことながら、チンギス汗以来の征服の推進者であった。 そしてその征服の方法またチンギス汗国以来の戦術の継承者であった。 その征服のやり方は押出し戦法とも称すべきものである。

 チンギス汗の蒙古民族統一は、実質において武力の征服による統一であった。 さてこの征服によって生じた統一蒙古民族の力を以て、先ず中国の華北を征服した。 華北には中国人の外に、北方から移住してきた契丹人、女真人が多数住んでいたが、此等を総称して漢人と言った。 世祖は今度はこの漢人を利用して南宋を攻め滅ぼした。 最後の大挙南伐の総指揮官は漢人史天沢(してんたく)が予定されたのであったが、急病のために蒙古人の伯顔(バヤン)がこれに代わったのである。 克Rに宋の幼帝を滅ぼした元軍の将、張弘範も漢人であった。 こうして南宋を滅したあと、その旧領の住民を南人と称した。 次に日本に対して侵略軍を送る時は南人が使われる番である。 その際の大将、呂文煥、范文虎は降伏した南人であった。

 同じことは朝鮮についても言える。 朝鮮半島の王氏高麗は蒙古の太宗の時に降伏したが、叛服常ならぬ状態にあり、二十四代の王、元宗の時、内乱を平定するために蒙古の援助を求めてから、完全な属国となった。 次の忠烈王以後は歴代、蒙古からの后妃を迎え、内治外交ともに蒙古の指揮下に入り、官吏はすべて蒙古風に辮髪し、或いは蒙古風の名字を名乗る者もあった。 古代において中国の郡県が置かれた時代は別として、民族国家が成立した中世以来、この時代ほど朝鮮が外国化された時はなかった。 このような状態であったから、世祖が日本侵略を行う際には、もっぱら高麗軍を動員して進攻させた。 去れば文永の役(一二七四年)の当時はまだ南宋が滅亡する以前であったから、侵略軍の主力は高麗兵であり、次の弘安の役(一二八一年)においては、北路からは高麗兵、南路からは南宋の降兵が押し寄せたのであった。 もちろん当時の高麗兵、南人兵は蒙古の指揮によって動いたとは言え、侵入軍が日本において未曾有の残虐行為に出たことは史に記するところ、それは蒙古人だけが行ったことで、その他は全く関与しなかったと言いうる証拠はどこにもないのだ。 侵略戦争の恨みつらみを述べるなら、先ずは日本から始めるべきであろう。

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ずっと昔から悪辣残虐な朝鮮民族。弘安の役をはじめとして、終戦時の日本難民への無慈悲な掠奪暴行、ベトナム戦争時の悪行殺人。性、人倫を欠いた下等な民族。(行間からはそう読める)

posted by Fukutake at 08:58| 日記

古本屋

「「オーイ どこ行くの」ー夏彦の写真コラム 山本夏彦 新潮文庫 平成十四年

近ごろ珍しい文章家 p166〜

 「古本屋と屑屋は仲よしである。 屑として出たもののなかに、掘出しものがあることがある。 それはなが年のカンで分かるから懇意な古本屋に行って買ってもらう。

 いくら懇意でも屑屋は自分の過去をあかさない。 古本屋も問わない。 来なくなったら死んだと思えと、出入りの屑屋の一人は言う。 もう一人はしばらく来ないからどうしたと聞くと、入院していたという。 それを機会に親しく口をきくようになったから、珍しくうちに遊びに来ないかと誘う。 ところが番地と略図を書いてくれたから、それをたよりに訪ねたら、そんな家はどこにもない。

 …その番地にあるのは大きな屋敷である。 木戸から出てきた中年の婦人に恐る恐る問うと、はじめ怪しまれたが、筆跡を示すと請じ入れてくれた。 ステテコ姿で「やあ」とあらわれたのはまぎれもないあの屑屋だった。

 本を処分したいから見に来てくれと、古本屋は時々知らぬ客から呼ばれる。 主人は死んでその妻女から呼ばれることが多い。
 書棚に並んでいる蔵書は亡くなった主人そのものである。 ほの暗い書斎で、それは黙って勢ぞろいしている。 見おろされているようでぶきみである。 その値ぶみをするのだから単身敵地に乗りこむような心地である。

 そう思って見わたすとこはいかに、この家の蔵書は一冊残らずのっぺら坊である。すべてハトロン紙のカバーに覆われていて、しかも背に署名が記してない。 どういう魂胆だろう。 おちつかないのはこれらの蔵書の覆面のせいである。 書斎のあるじが見えてこないのである。…

 出久根達郎が百八回直木賞を受賞した。 「近ごろまれに見る文章家だ」と一議に及ばずきまったと仄聞すて私は喜んでいる。 出久根は現役の古本屋である。 かねがね私は出久根のファンである。 私見によれば出久根の文中に随時随所に怪しいものが出没する。 右はその片鱗である。 別くちの内田百閧ノなってくれたら嬉しい。」
(平成五年二月四日号)

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posted by Fukutake at 08:53| 日記