「「オーイ どこ行くの」ー夏彦の写真コラム 山本夏彦 新潮文庫 平成十四年
貧乏なくなる p114〜
「「貧乏人ごっこ」というマンガがあらわれて以来貧乏はついに「ごっこ」になったと書いたら、一読者にいたく怒られた。 私たちは何千年来年貧乏だったから、その貧乏がなくなったといわれてもにわかには承知できない。 はじめ驚きがやがて怒ったのである。
この「お盆」に私は食い物屋に困った。 一流から末流まで休んでいる。 昔ならめし屋同然の食堂が八月八日から十八日まで休んで、勤人たちを困らせていた。 あとで聞けば一家をあげてハワイへ行っていたそうで、まだ行かない客は肩身がせまい、そういえばかねて主人に客を見くだしている風があった。
「トリスを飲んでハワイに行こう」といったのは昭和三十年代後半だった。 至るところにトリスバーがあったのに、いつのまにか一軒もなくなった。 トリスは安すぎてステータスでなくなったのである。
「アンアン」や「ノンノ」片手に娘たちがグルメのまねごとをしだして二十年になる。 「漱石を売る」の作者出久根達郎は就職組の最後だそうで、そういえば就職組と進学組はしばらくにらみあっていた。 それがなくなったのは就職組の人数が激減したからで、次の話題は高校全入で、それも近く大学全入になろう。
大学全入になるとブルーカラーのなり手が絶無になる。 日本の人口は二十年前も一億人余り十年前も同じく一億人余りなのに、この手不足である。 農家はもとより職人のなり手がない。 伝統の技術はみな絶える。 外人労働者に定住権を与えれば、東京はニューヨーク並の犯罪都市になるとはいつぞや書いた。
菱田春草は横山大観たちと岡倉天心に従って茨城県五浦にたてこもって画業にはげんだが、つねに米塩むなしく娘のみやげに子供下駄の紅い鼻緒を買って帰ったと読んで、私は暗然としたがそれでも子供の喜びはいかばかりだったろう。
天ぷらや鰻は年に一、二度食べるから馳走なのだ。 あんなものを毎日のように食べたらうまくも何ともない。 貧乏というものは実は必要なものなのである。 上に大金持がいてまん中に小金持がいて、橋の下に乞食がいて始めて治る御代なのである。」
(平成四年九月三日号)
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貧乏は嫌だが必要
2022年10月01日
金持ちがいて乞食がいて世の中
posted by Fukutake at 10:41| 日記
自然と人工
「ヒトはなぜ、ゴキブリを嫌うのか?」ー脳化社会の生き方ー 養老孟司 扶養社新書 2019年
米は米、豆は豆(荻生徂徠) p56〜
「最近の私の頭の中にある一番大きな問題の一つは、人工に対する自然という問題です。 人工と自然。 こういう問題を私が初めて考えたかというと、とんでもない話であって、ずっと昔から考えられて来たのです。
儒学で有名な人は荻生徂徠です。 徂徠は江戸の学者ですが、『弁道』という本を書きました。 そこで言います。「先王の道、天地自然の道にあらず」と。 先王というのは先の王様と書きますが、つまり聖人がつくったものであるということをはっきり言います。 つまり道というのは人為である。 この場合の「道」とは、社会のさまざまな規範、ルールですね。 天然自然の道ではない。 つまり自然と人為をはっきり分けます。 そんなこと、当然じゃないか、いや、そうではありません。 当時の儒学の正統は朱子学です。 朱子学はなんというか。 「天人一致」ですよ。 社会の法則と自然の法則は究極的に一致する。 一致しなければならない。 日本の思想の特徴といっていいと思いますが、自然と人為をはっきり分けます。 ですから徂徠はもっとわかりやすく言えば「米は米、豆は豆」と言います。
当時の儒教、江戸の初期の儒教では、だれでも道を知れば聖人になれると教えたわけです。 しかし徂徠はそうは言いません。米は米、豆は豆で、豆は米にはならないし、米は豆にならないと言います。 これは自然だからです。
まったく同じようなことを違う表現で言った人が二宮尊徳です。 天道と人道を非常にはっきり分けます。 たとえば家を建てる、塀がある。 これは放っておくとどんどん壊れていって、屋根はいずれ雨漏りするようになり、塀はいずれ崩れていってしまう。 これは天道であると尊徳は言う。 つまり私流に言えばそれは自然です。 しかしそれを何とかして漏れないようにし、塀を補修して建てていくのが人道であると言います。つまりこれは人間のやることだと。
一度機会があれば、徂徠とか尊徳の書いたものをお読みになると、日本人の常識と言うものがそこにある程度出てくることがおわかりにいただけると思います。」
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米は米、豆は豆(荻生徂徠) p56〜
「最近の私の頭の中にある一番大きな問題の一つは、人工に対する自然という問題です。 人工と自然。 こういう問題を私が初めて考えたかというと、とんでもない話であって、ずっと昔から考えられて来たのです。
儒学で有名な人は荻生徂徠です。 徂徠は江戸の学者ですが、『弁道』という本を書きました。 そこで言います。「先王の道、天地自然の道にあらず」と。 先王というのは先の王様と書きますが、つまり聖人がつくったものであるということをはっきり言います。 つまり道というのは人為である。 この場合の「道」とは、社会のさまざまな規範、ルールですね。 天然自然の道ではない。 つまり自然と人為をはっきり分けます。 そんなこと、当然じゃないか、いや、そうではありません。 当時の儒学の正統は朱子学です。 朱子学はなんというか。 「天人一致」ですよ。 社会の法則と自然の法則は究極的に一致する。 一致しなければならない。 日本の思想の特徴といっていいと思いますが、自然と人為をはっきり分けます。 ですから徂徠はもっとわかりやすく言えば「米は米、豆は豆」と言います。
当時の儒教、江戸の初期の儒教では、だれでも道を知れば聖人になれると教えたわけです。 しかし徂徠はそうは言いません。米は米、豆は豆で、豆は米にはならないし、米は豆にならないと言います。 これは自然だからです。
まったく同じようなことを違う表現で言った人が二宮尊徳です。 天道と人道を非常にはっきり分けます。 たとえば家を建てる、塀がある。 これは放っておくとどんどん壊れていって、屋根はいずれ雨漏りするようになり、塀はいずれ崩れていってしまう。 これは天道であると尊徳は言う。 つまり私流に言えばそれは自然です。 しかしそれを何とかして漏れないようにし、塀を補修して建てていくのが人道であると言います。つまりこれは人間のやることだと。
一度機会があれば、徂徠とか尊徳の書いたものをお読みになると、日本人の常識と言うものがそこにある程度出てくることがおわかりにいただけると思います。」
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posted by Fukutake at 10:37| 日記