「今昔物語」<若い人への古典案内> 西尾光一著 教養文庫
影法師 (巻二十八 第四十二話) P209〜
「今は昔、ある受領(国守)の郎等で、臆病なくせに、強い武士らしく見せかけようとして、いつも強がってばかりいる男がありました。
ある朝、起きぬけによそへ出かけなければならない用事ができて、妻は男の寝ているうちから起き出し、まめまめしく食事の仕度などをしておりました。あたりはまだまっ暗でしたが、有明の月が板のすき間からさしこんで、自分の影がうつりました。起きたばかりで、まだ髪もとかしていなかったので、その影法師を見て、髪をふり乱した大きな童盗人(わらわぬすびと)が入ったものとばかり思い込んでしまいまいした。あわてふためいて、夫の寝ているところへとび込み、夫の耳に口をつけてそっといいました。
「あなた、起きてください。あそこにざんばら髪の童盗人が入ってきています。」
「なに。どろぼうだって。それはたいへんだ。よしきた。」
男はがばとはね起き、枕もとに置いてあった長い刀を手さぐりで握りました。
「よし、おれがそいつの首を打ち落としてくれる。」
彼は、裸のままで、長い刀を手に、髪をふり乱して、勢いよく出ていきました。すると、また先刻のように、その影がうつりました。彼はぎょっとして立ちすくみました。なんだ、どろぼうは童などではない。長い刀を抜き持ったおとなではないか。これでは、かえっておれの方が頭を打ち割られてしまいそうだと、急に臆病風にふかれてしまいました。小声で、
「おっ。」と叫んで、妻の所へ逃げこんできました。
「お前はりっぱな武士の妻だとばかり思っていたが、いったいお前の目はどこについているのだ。何が童のどろぼうだ。髪をふり乱した大の男が長い刀を抜いて持っているではないか。しかし、そいつはひどい臆病ものだぞ、おれが出ていったら、持っていた刀も落ちそうになるほど、ぶるぶるふるえておったわ。」と妻に言うのですが、じつは、自分がぶるぶるふるえていた、その影法師を見てのことです。
「あんなものは、行ってお前が追い出してこい。おれをみてふるえたのは、きやつもこわがっているからだ。おれは、これからよそへ出かねばならぬ大切なからだだ。ちょっとしたかすり傷がついてもつまらぬ。どろぼうも、まさか女はきるまい。」と言うなり、ふとんを引かぶって寝てしまいました。妻はあきれて、
「なんて、いくじのない人でしょう。そんなことでよく弓矢を持って、見まわりだなんていってお月見などしてあるけるものね。」といいながら、立ち上がってまたようすを見に出かけようとしますと、夫の側の障子が、不意に夫の上へばたんと倒れかかりました。夫は、どろぼうが自分にとびかかってきたと早合点して、
「たすけてくれ。」と大声で叫びました。妻は音のあまりの臆病さに、腹が立つやらおかしいやらで、
「まあ、あなた。どろぼうはもう出ていってしましましたよ。それは障子が倒れたんじゃありませんか。」
そう言われて、起き上がってみると、なるほどもうどろぼうの姿は見えず、障子が倒れているばかりです。男は急に勢いがよくなりました。裸のままで武者ぶるいをして、胸をさすり、手につばをつけながら、
「あんなやろうが、このおれさまの家にはいってきて、やすやすとものなどとってゆけるものか。やつは、障子をふみ倒して、びっくり仰天して逃げたんだ。運のいいやろうだ。もうすこしまごまごしていてみろ、きっとおれがつかまえてくれたものを。だいたいお前のやり方がまずいから、逃してしまったんだぞ。」
妻は、あまりのことにあきれて、もう何も言う気にならず、一しきり大笑いしただけでした。
世の中には、こんな馬鹿ものもいるのです。ほんとうに妻の言ったように、こんなに臆病では、刀や弓矢をもって人に仕えることができるものでしょうか。この話を聞いて、みんな、その男をあざ笑いました。この話は、妻が人に話したのが、だんだん伝わったのだということです。」
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いつでもいた臆病者
2022年10月23日
老人になるということ
「本棚から猫じゃらし」 群ようこ 新潮文庫 平成九年
岡本かの子「老妓抄」より p41〜
「老い」とつきあう方法
「歳をとると、若い頃は広かった視野が、だんだん狭くなっていく。 たとえば「老妓抄」の主人公、小そののように、歳をとって稽古事が、「新時代の者や知識的なもの」に移って行ってほしいものだ。 それが評価を得るとか得ないとかではなくて、「自分にはこの部分が欠けている」といった、その人自身の認識の問題である。 意欲といいかえてもいいかもしれない。 小そのは、みち子という女の子を養女にして、女学校に通わせていた。 玄人としての生活しか知らない小そのが、みち子を通じて、自分ができなかった普通の生活を体験しようとしていた。
その二人の間に、柚木(ゆき)という青年が入ってきて、口さがない連中は、小そのと柚木の噂をしたりする。 しかし彼女は堂々と、自分のやりたいように、柚木の援助を続けるのだ。 そんななかで微妙な立場にいるのが、みち子である。 彼女は柚木に対して気のあるような、ないような、思わせぶるりな素振りをみせる。 若い男に対するみち子のしぐさは、小そのが若いころに、きっとしたであろう姿と同じだったに違いない。 本心であったときもあるだろうし、職業として割り切ったこともあっただろう。 私からみると玄人の小そのは、みち子のそんな姿を毛嫌いしような感じがするが、小そのは何もいわず、大らかな気持ちでみち子を見守っている。 決して
「みっともないから、おやめ」
などとはいわないのである。
男の気をひいたり、他の女性に焼きもちをやいて、心おだやかでなくなったり、小そのの若いときの姿は、「老妓抄」のなかで、みち子のしぐさで読みとれる。 それに対して小そのが嫌悪感を示さないのは、自分の過去に自信を持っているか、すべてをふっ切っているからだ。
「いまさら、ぶつぶついったってしようがないじゃないのさ」
といった気概である。 自分が見込んだ青年に対する気持ちも、どろどろした生々しい女のものではなく、面倒見のいい先輩といいたくなるような態度に終始している。 過去の自分に縛られることなく、潔く生きているのだ。 この話は、小そのが自作の和歌を送ってきたところで終わっている。
「年々にわが悲しみは深くして いよよ華やぐいのちなりけり」
このような域に到達するまでに、どれだけ彼女は悩んだことだろうか。 傍目から見て、どーんとしている風に見える人ほど、あれこれ細かい事柄に神経を使うものだ。 だからささいなことにも傷つき、おろおろすることも多かったはずだ。 だけどそういったすべてをひっくるめて、小そのは生きている。 老いを本当に目の前にすると、人間は小そののような心境になるのかもしれないが、どれくらい人に憎まれ口を叩き、どれくらい人に不愉快な思いをさせれば、そうなれるのだろうか。」
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岡本かの子「老妓抄」より p41〜
「老い」とつきあう方法
「歳をとると、若い頃は広かった視野が、だんだん狭くなっていく。 たとえば「老妓抄」の主人公、小そののように、歳をとって稽古事が、「新時代の者や知識的なもの」に移って行ってほしいものだ。 それが評価を得るとか得ないとかではなくて、「自分にはこの部分が欠けている」といった、その人自身の認識の問題である。 意欲といいかえてもいいかもしれない。 小そのは、みち子という女の子を養女にして、女学校に通わせていた。 玄人としての生活しか知らない小そのが、みち子を通じて、自分ができなかった普通の生活を体験しようとしていた。
その二人の間に、柚木(ゆき)という青年が入ってきて、口さがない連中は、小そのと柚木の噂をしたりする。 しかし彼女は堂々と、自分のやりたいように、柚木の援助を続けるのだ。 そんななかで微妙な立場にいるのが、みち子である。 彼女は柚木に対して気のあるような、ないような、思わせぶるりな素振りをみせる。 若い男に対するみち子のしぐさは、小そのが若いころに、きっとしたであろう姿と同じだったに違いない。 本心であったときもあるだろうし、職業として割り切ったこともあっただろう。 私からみると玄人の小そのは、みち子のそんな姿を毛嫌いしような感じがするが、小そのは何もいわず、大らかな気持ちでみち子を見守っている。 決して
「みっともないから、おやめ」
などとはいわないのである。
男の気をひいたり、他の女性に焼きもちをやいて、心おだやかでなくなったり、小そのの若いときの姿は、「老妓抄」のなかで、みち子のしぐさで読みとれる。 それに対して小そのが嫌悪感を示さないのは、自分の過去に自信を持っているか、すべてをふっ切っているからだ。
「いまさら、ぶつぶついったってしようがないじゃないのさ」
といった気概である。 自分が見込んだ青年に対する気持ちも、どろどろした生々しい女のものではなく、面倒見のいい先輩といいたくなるような態度に終始している。 過去の自分に縛られることなく、潔く生きているのだ。 この話は、小そのが自作の和歌を送ってきたところで終わっている。
「年々にわが悲しみは深くして いよよ華やぐいのちなりけり」
このような域に到達するまでに、どれだけ彼女は悩んだことだろうか。 傍目から見て、どーんとしている風に見える人ほど、あれこれ細かい事柄に神経を使うものだ。 だからささいなことにも傷つき、おろおろすることも多かったはずだ。 だけどそういったすべてをひっくるめて、小そのは生きている。 老いを本当に目の前にすると、人間は小そののような心境になるのかもしれないが、どれくらい人に憎まれ口を叩き、どれくらい人に不愉快な思いをさせれば、そうなれるのだろうか。」
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posted by Fukutake at 09:26| 日記
からたち(枳殻)
「綺堂随筆 江戸っ子の身の上」 岡本綺堂 河出文庫 2003年
亡びゆく花 p128〜
「「からたち」は普通に枳穀と書くが、大槻博士の言海によるとそれは誤りで、唐橘と書くべきだそうである。 誰も知っている通り、トゲの多い一種の灌木で、生垣などに多く植えられている。 別に風情もない植物で、あまり問題にもならないのであるが、春の末、夏の初めに五弁の白い花を着ける。 暗緑色の葉のあいだにその白い花が夢の如く開いて、春の如くに散る。 人に顧みられない花だけに、なんとなく哀れにも眺められる。
俳句にもからたちの花という題があるが、あまり沢山の作例もなく、名句もないようである。 からたちは木振りといい、葉といい、花と云い、総ての感じが現代的でない。 大東京出現と共にだんだん亡びゆく植物のように思われて、いよいよ哀れに、いよいよ寂しく眺められる。 前に云った場末の屋敷町や、新東京の住宅地などを通行して、その緑の葉が埃を浴びたように白っぽくなっているのを見ると、わたしはなんだか暗いような心持ちになる。 これ等のからたちもやがては抜き去られてトタン塀や煉瓦塀に変わるのであろう。 からたちで有名なのは、本郷龍岡町の祥院である。 彼の春日局の寺で、大きい寺域の周囲が総てからたちの生垣で包まれているので、俗にからたち寺と呼ばれていた。 江戸以来の遺物として、東京市内にこれだけの生垣を見るのは珍しいと云われていたのであるが、明治二十四年の市区改正のために、その生垣の大部分を取除かれ、その後もだんだんに削り去られて、今は殆ど跡方もないようになって仕舞った。
からたちや 春日局の寺の咲く
わたしは昔、こんな句を作ったことがあるが、そのからたも寺も名のみとなった。
からたちや杉の生垣を作るのは、犬や盗賊の侵入を防ぐが為である。 殊にからたちは茨のようなトゲを持っているので、それを掻き分けるのは困難であると見做されていた。 しかも今日のような時代となっては、犬は格別、盗賊はからたちのトゲぐらいを恐れないであろうから、かたがた以てからたちの需用はなくなったわけである。 説教強盗も犬を飼えと教えたが、からたちの垣を作れとは云わなかった。
わたしは昨日、所用あって目黒の奥まで出かけると、そこにからたちの生垣を見出した。 家は古い茅葺家根である。 新東京の目黒区となった以上、此茅葺家根も早晩取払われなければなるまい。 それと同時に、このからたちの運命もどうなるかと、立ちどまって暫く眺めていた。」
(初出不明 『猫やなぎ』収録)
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亡びゆく花 p128〜
「「からたち」は普通に枳穀と書くが、大槻博士の言海によるとそれは誤りで、唐橘と書くべきだそうである。 誰も知っている通り、トゲの多い一種の灌木で、生垣などに多く植えられている。 別に風情もない植物で、あまり問題にもならないのであるが、春の末、夏の初めに五弁の白い花を着ける。 暗緑色の葉のあいだにその白い花が夢の如く開いて、春の如くに散る。 人に顧みられない花だけに、なんとなく哀れにも眺められる。
俳句にもからたちの花という題があるが、あまり沢山の作例もなく、名句もないようである。 からたちは木振りといい、葉といい、花と云い、総ての感じが現代的でない。 大東京出現と共にだんだん亡びゆく植物のように思われて、いよいよ哀れに、いよいよ寂しく眺められる。 前に云った場末の屋敷町や、新東京の住宅地などを通行して、その緑の葉が埃を浴びたように白っぽくなっているのを見ると、わたしはなんだか暗いような心持ちになる。 これ等のからたちもやがては抜き去られてトタン塀や煉瓦塀に変わるのであろう。 からたちで有名なのは、本郷龍岡町の祥院である。 彼の春日局の寺で、大きい寺域の周囲が総てからたちの生垣で包まれているので、俗にからたち寺と呼ばれていた。 江戸以来の遺物として、東京市内にこれだけの生垣を見るのは珍しいと云われていたのであるが、明治二十四年の市区改正のために、その生垣の大部分を取除かれ、その後もだんだんに削り去られて、今は殆ど跡方もないようになって仕舞った。
からたちや 春日局の寺の咲く
わたしは昔、こんな句を作ったことがあるが、そのからたも寺も名のみとなった。
からたちや杉の生垣を作るのは、犬や盗賊の侵入を防ぐが為である。 殊にからたちは茨のようなトゲを持っているので、それを掻き分けるのは困難であると見做されていた。 しかも今日のような時代となっては、犬は格別、盗賊はからたちのトゲぐらいを恐れないであろうから、かたがた以てからたちの需用はなくなったわけである。 説教強盗も犬を飼えと教えたが、からたちの垣を作れとは云わなかった。
わたしは昨日、所用あって目黒の奥まで出かけると、そこにからたちの生垣を見出した。 家は古い茅葺家根である。 新東京の目黒区となった以上、此茅葺家根も早晩取払われなければなるまい。 それと同時に、このからたちの運命もどうなるかと、立ちどまって暫く眺めていた。」
(初出不明 『猫やなぎ』収録)
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posted by Fukutake at 09:22| 日記