「またたび読書録」 群ようこ 新潮文庫 平成十三年
「楢山節考」深沢七郎 より 臨終のお手本 p62〜
「深沢七郎の「楢山節考」は、息子が母親を背負って、山に置いていく話である。 私は本を読むまでは、邪魔になった母親を、息子がむりやり山に置いていく話だと思っていた。 ところが読んでみると、そうではなかった。 山に置き去りにされることを、母親が強く望んでいたのである。
母親であるおりんは、体の丈夫な自分が、年寄りらしくないからと、嫌でたまらない。 貧しく食料の乏しいその村では、孫はともかく曽孫を抱くなどという長生きな年寄りは恥であり、おりんのように丈夫な歯を持っていても、何でも食べそうに思われて、これまた恥なのである。
一人息子の嫁は、去年、栗を拾いに云って谷底に転げ落ちて死んだ。 なんとか後添えをと思っていたが、山の向こうから夫の四十九日を済ませたばかりの、玉やんという女性がやってきた。 簡単に人が消え、また簡単に人が増えるのである。
「おばやんがいい人だから、早く行け」
といわれたと、おりんに話した。 おりんはとってもうれしくなった。
十六歳の孫にも嫁がきた。 嫁といっても何の手続きがあるわけえもなく、勝手にやってきて飯を食い、孫と同じ布団で寝ているうちに、そのように認識されるようになるのであった。 おりんは山へ行くのを楽しみにしていたが、息子と玉やんはそれを悲しがる。
「目のあたりが光っているけど、涙でも出しているんじゃねえらか? そんな気に弱いことじゃ困ったものだ」
そうおりんは思うのだが、内心その気持ちがうれしくもあった。 身内に残念がられて山に行き、自分は新しい筵の上に、きれいな根性で坐っているのだと、おりんは心にしっかり決めていたのである。
おりんは望み通り、からすがたくさんいる山に置いていかれる。 悲しんでいた息子も、家に戻ると気が楽になった。 客観的にみると状況は残酷だが、おりんは望んだとおりの人生の終わりを迎えられて幸せだった。 悲しいなかに明るさがあるのが救いである。
孫や子に看取られて死ぬのが幸せか、一人でぽっくり逝くのが幸せか、それは人それぞれの問題である。 九十六歳といったら、十分といってもいい年齢だが、それでももうちょっと長生きしてくれたらよかったのにと思った。 身内にはどうしてもあきらめきれない気持ちが残る。 当人が望んだとおりになったのだから、それがいちばんよかったのだと、周囲の者は自分たちを慰めるしかない。 誰もが自分が望んだように人生を終えられるわけではない。 それをその通りにしたなんて、それは亡くなった祖母が、残された私たちに対してしてくれた、最高の思いやりだった。」
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日本人は皆家族?
「ホンの本音」 群ようこ 角川文庫 平成五年
日本人て何だ p82〜
「私の知り合いで、カナダ人と結婚した日本人女性がいる。カナダに住居があるのだが、先日彼女の里帰りにつきあって、彼が日本にやってきた。日本語がひとことも話せなかった彼が、来日して一番最初に覚えたことばは「オバタリアン」だった。スーパーマーケットや、電車の中で悶着を起こす『オバタリアン」に彼は異常な興味を示すようになり、毎日、町内を歩き回っている。そして帰ってくると、
「キョウモ、オバタリアンヲミマシタ」
とうれしそうに報告するのだ。ふたりで外出しても、彼女のほうはオバタリアンとはかかわりたくないのに、彼はにこにこしてオバタリアンにすり寄っていくというのである。
このオバタリアンということばは「おばさん」から生まれたものだが、『日本的自我』(岩波新書)によると、自分の親戚でもないのに、知らない年長の男性や女性に対して、「おじいさん」「おじさん」あるいは「おばあさん」「おばさん」などというのは、日本的コミュニケーションのひとつの特徴で、
「未知の人を家族、親族あつかいにするのは、疑似家族的な人間関係を表現するつもりなのだろう」
とある。そしてこれは日本人の社会全体が、疑似家族的な集団としての基本的な性格をになっているからだと述べている。私も無意識のうちに彼女たちを「おばさん」と呼んでいた。しかし端で観察している分には面白いけれど、ああいう人たちとは疑似家族としての意識など何もなかったわけで、自分にもそんな感情が彼女たちに対してあったのかしらと、我が身をふりかえってしまった。その他にも、カラオケ、忘年会、ランキング好き、西欧コンプレックス、日本的マゾヒズムと日本的サディズム、日本では一家心中はよくあるが、西欧にはきわめて少ないとか、日本人を日常生活から考察してある、とても面白い本であった。」
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日本人て何だ p82〜
「私の知り合いで、カナダ人と結婚した日本人女性がいる。カナダに住居があるのだが、先日彼女の里帰りにつきあって、彼が日本にやってきた。日本語がひとことも話せなかった彼が、来日して一番最初に覚えたことばは「オバタリアン」だった。スーパーマーケットや、電車の中で悶着を起こす『オバタリアン」に彼は異常な興味を示すようになり、毎日、町内を歩き回っている。そして帰ってくると、
「キョウモ、オバタリアンヲミマシタ」
とうれしそうに報告するのだ。ふたりで外出しても、彼女のほうはオバタリアンとはかかわりたくないのに、彼はにこにこしてオバタリアンにすり寄っていくというのである。
このオバタリアンということばは「おばさん」から生まれたものだが、『日本的自我』(岩波新書)によると、自分の親戚でもないのに、知らない年長の男性や女性に対して、「おじいさん」「おじさん」あるいは「おばあさん」「おばさん」などというのは、日本的コミュニケーションのひとつの特徴で、
「未知の人を家族、親族あつかいにするのは、疑似家族的な人間関係を表現するつもりなのだろう」
とある。そしてこれは日本人の社会全体が、疑似家族的な集団としての基本的な性格をになっているからだと述べている。私も無意識のうちに彼女たちを「おばさん」と呼んでいた。しかし端で観察している分には面白いけれど、ああいう人たちとは疑似家族としての意識など何もなかったわけで、自分にもそんな感情が彼女たちに対してあったのかしらと、我が身をふりかえってしまった。その他にも、カラオケ、忘年会、ランキング好き、西欧コンプレックス、日本的マゾヒズムと日本的サディズム、日本では一家心中はよくあるが、西欧にはきわめて少ないとか、日本人を日常生活から考察してある、とても面白い本であった。」
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posted by Fukutake at 08:06| 日記
医学は人に何ができるか
「死すべきさだめ」ー死にゆく人に何ができるかー アトゥール・ガワンデ
原井宏明 訳 みすず書房 2016年
厳しい会話 p189〜
「…外国を旅行しているとき、ウガンダから来た二人の医師と南アフリカから来た作家と話した。サラの症例について説明し、彼女に何をすべきだったと思うか、彼らの考えを尋ねた。彼らの視点からすれば、サラに示した選択肢は金の無駄遣いに見える。彼らの国では終末期の患者が病院に来ることはほとんどないと言う。もし来たとしてもー 病気の究極的な結果が火を見るより明らかな場合ー 極端な多剤併用による化学療法や最後の手段としての外科手術、実験的な治療を受けることを期待したり、それも耐えようとすることはない。そして医療システムには費用を賄えるだけの資金がない。
しかし、その後みなが自分自身の経験を語りはじめた。内容はどこかで聞いたことがあるものだったー 本人の意志に反して祖父母が生命維持装置に繋がれた、治療不能の肝がんに侵された親戚が実験的な治療のために病院で亡くなった。末期の脳腫瘍の義兄が化学療法を何クールも受けつづけて、治療成果は上がらず、体を苛むだけだったなど。「新しいクールを繰り返すたび、義兄はその前よりももっと悲惨な状態になった」。南アフリカの作家は語った。
「医学は義兄の肉を喰っているんだ。義兄の子どもたちはいまだにそのときのトラウマを背負っている。義兄はずっと逝かせてもらえなかった。」
「Hard Conversation
Traveling abroad sometime afterward, I fell into a conversation with two doctors from Uganda and a writer from South Africa. I told them about Sara's case and asked what they thought should have been done for her. To their eyes, the choices we offered her seemed extravagant. Most people with terminal illness in their countries would never have come to the hospital, they said. Those who did would neither expect nor tolerate the extremes of multiple chemotherapy regimens, last-ditch surgical procedures, experimental therapies- when the problem's ultimate outcome was so dismally clear. And the health system wouldn't have the money for it.
But then they couldn't help but talk about their own experiences, and their tales sounded familiar: a grandparent put on life support against his wishes, a relative with incurable liver cancer who died in the hospital on an experimental treatment, a brother-in-law with a terminal brain tumor who nonetheless endured endless cycle of chemotherapy that had no effect except to cut him down further and further.
"Each round was more horrible than the last," the South African writer told me. "I saw the medicine eat his flesh. The children are still traumatized. He could never let go."」
(Atul Gawande "BeingMortal" Medicine and what Matters in the End)
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終末患者を虐待する医療
原井宏明 訳 みすず書房 2016年
厳しい会話 p189〜
「…外国を旅行しているとき、ウガンダから来た二人の医師と南アフリカから来た作家と話した。サラの症例について説明し、彼女に何をすべきだったと思うか、彼らの考えを尋ねた。彼らの視点からすれば、サラに示した選択肢は金の無駄遣いに見える。彼らの国では終末期の患者が病院に来ることはほとんどないと言う。もし来たとしてもー 病気の究極的な結果が火を見るより明らかな場合ー 極端な多剤併用による化学療法や最後の手段としての外科手術、実験的な治療を受けることを期待したり、それも耐えようとすることはない。そして医療システムには費用を賄えるだけの資金がない。
しかし、その後みなが自分自身の経験を語りはじめた。内容はどこかで聞いたことがあるものだったー 本人の意志に反して祖父母が生命維持装置に繋がれた、治療不能の肝がんに侵された親戚が実験的な治療のために病院で亡くなった。末期の脳腫瘍の義兄が化学療法を何クールも受けつづけて、治療成果は上がらず、体を苛むだけだったなど。「新しいクールを繰り返すたび、義兄はその前よりももっと悲惨な状態になった」。南アフリカの作家は語った。
「医学は義兄の肉を喰っているんだ。義兄の子どもたちはいまだにそのときのトラウマを背負っている。義兄はずっと逝かせてもらえなかった。」
「Hard Conversation
Traveling abroad sometime afterward, I fell into a conversation with two doctors from Uganda and a writer from South Africa. I told them about Sara's case and asked what they thought should have been done for her. To their eyes, the choices we offered her seemed extravagant. Most people with terminal illness in their countries would never have come to the hospital, they said. Those who did would neither expect nor tolerate the extremes of multiple chemotherapy regimens, last-ditch surgical procedures, experimental therapies- when the problem's ultimate outcome was so dismally clear. And the health system wouldn't have the money for it.
But then they couldn't help but talk about their own experiences, and their tales sounded familiar: a grandparent put on life support against his wishes, a relative with incurable liver cancer who died in the hospital on an experimental treatment, a brother-in-law with a terminal brain tumor who nonetheless endured endless cycle of chemotherapy that had no effect except to cut him down further and further.
"Each round was more horrible than the last," the South African writer told me. "I saw the medicine eat his flesh. The children are still traumatized. He could never let go."」
(Atul Gawande "BeingMortal" Medicine and what Matters in the End)
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終末患者を虐待する医療
posted by Fukutake at 08:01| 日記