2022年09月14日

官僚の自尊心

「オーイ どこ行くの」ー夏彦の写真コラム 山本夏彦 新潮文庫 平成十四年

土壇場でご破産 p121〜

 「活字にはまだ強い力があって、読まないで中身が分かる。 この六月中旬以来陛下のご訪中の記事が出るたびに、一瞥しただけで私はこれはもうきまったことだなと思って読まなかった。 はたしてご訪中は決定していたのである。 党内にも党外にも反対があったのでごまかしたのである。 問いつめられると未定だ、煮つまってからと言を左右にしたが、八月十一日(平成四年)事実上決定したと各新聞は書いた。

 ここに奇妙なのはその直後の八月十七、十八の両日政府が反対者を含む有識者十四人を招いて意見を聞いたことである。 決定したあとで反対論を聞くとは前代未聞である。 初めから怪しいと「文藝春秋」平成四年十月号は反対の大キャンペーンを張っている。 遅すぎやしないか。

 これよりさき七月十七日に産経新聞に一ページ大の反対の意見広告が出た。 二度も出たのに「週刊新潮」以外には反響はなかった。 これまた遅かった。

 いっぽう北方領土の記事なら戦後何十回となく出ている。 いくら出ても返らぬと活字は物語っているから読まない。 再び活字というものには強い力があるのである。 なぜ日本の大新聞はエリツィンいわく「北方領土は返さない。 金は出せ」と大見出しを揚げなかったのだろう。 これなら一ぺんで分かる。果然、大統領はどたん場で訪日を中止した。

 ぎょっとするのは三分間だけとは常に私の言うところである。 わが国民は中止と聞いて驚いたのはつかのまで、あくる日はけろりとしていた。 この九月中旬、私は写真コラム六冊を「世間知らずの高枕」(新潮社)。と題して出した。 まことに高枕である。 中止とはとんでもないというが、それはこれまでなかっただけで、げんに今あったのだからこれからもあることである。

 ここに於いて一案がある。 両陛下のご訪中は十月二十三日から六日間だそうである。 それならどたん場で中止なすってはいかがか。 ご訪中は友好親善のためだというが、両国はそんな仲ではない。 中国はいまだに尖閣諸島は自分のものだと言って憚らない国である。 ご訪中を中止したら中国の機嫌を損じると恐れるなら、エリツィンの中止にわが国も中国と同じくらい機嫌を損じたらどうか。 自尊心のある国民ならそうする。」

(平成四年十月一日号)
----
自尊心など、あったらとっくに…
posted by Fukutake at 11:55| 日記

玄宗と楊貴妃

「宮ア市定全集 1」ー中国史ー 岩波書店 1993年

玄宗と楊貴妃 p229〜

 「玄宗が楊貴妃を寵愛して宴楽に明け暮れると、これに伴って宮中の事務を管掌する宦官が自然に勢力を得、在朝の官僚が将相の位に昇る為には宦官、高力士に斡旋を依頼するのが捷径と称せられた。 不思議なのは高力士は美人を娶って栄華に耽り、金銭財宝を積んで仏寺道観を建築し、国家の力でも及ばぬほどの善美を尽くしたことであった。 
其後、名君と称せられた憲宗は宦官の勢力を抑えようとして反って宦官に殺された。 次の穆宗は在位四年で終わり、子の敬宗は在位二年で宦官に弑せられ、弟の文宗が宦官の力によって擁立された。 併しながら文宗は宦官の専権を喜ばず、宰相李訓等と計って宦官を誅戮しようとしたが、宦官等は近衛兵を掌握していたので反撃に転じ、李訓等朝廷の大臣を悉く捕らえて殺した。 流石に天子に対しては手を出さなかったが、これ以後、政事は悉く宦官の手に帰し、天子も宰相もただ文書に署名するばかり、その天子すらも廃立は宦官の意のままに行われることとなった。 
文宗は宦官の専横に歯ぎしりしながら、遂に対抗措置を見出せずに在位十四年を終わった。 文宗が死ぬと、文宗の意に反して弟武宗が宦官に擁立されて即位した。 

 このような状態であったから、大臣官僚間の党争と言っても、それは政治の本質に関わるほどのことではなく、単なる官僚人事の異動、昇進の遅速を主眼とするものであったことが知られよう。 次の宣宗も亦た宦官によって立てられた。 英明と称せられた宣宗は宦官を誅除する志はあったが、遂にその機を得ないで終わった。 その子懿宗、その子僖宗、その弟昭宗、何も宦官に擁立された天子であって、当時、天子は宦官の門生に過ぎぬと称せられた。 併し朝廷で大臣が派閥争いし、宮中では宦官が天子を愚弄し、天子は自暴自棄となって奢侈宴楽に耽っている間に、社会は天地を驚動するような大事件が進展しつつあったのである。

 黄巣の乱 
 政府が塩を専売とし、高価な塩を人民に売りつけたことは、単に消費者を経済的に苦しめただけに止まらず、さらに大きな副作用を惹き起こさずにはおかなかった。 それは秘密結社の成立である。 すべて統制には闇が付き物であるが、統制価格が高ければ高いほど、闇商売の利益が大きくなる。 これを放任すれば官塩が売れなくなるから、政府は厳重な取締りを加え、闇商人に対し死刑を含む重罪を持って臨む。 すると闇商人の方でも自衛策を講じ、秘密結社を組織して全国的に連絡を取り、最終的には武装して反抗運動に出る準備を整えるのである。 唐の塩専売以後、中国社会は一種の畸形状態に陥り、一方に秘密警察、一方に暴力団があって、人民の生命財産は常に不安に脅かされていた。 以後の中国では平和な時代と称せられていても常に大小の反乱が局部的に起こるのはこの為であるが、その最初の例が唐の僖宗の初年に起こった王仙芝、黄巣の乱である。」

----
常に指導層の悪逆と暴力団に脅かされる中国人民がまともでない、他人には気を配らず、自分本意な性質になるのは、止むを得ないかも。
posted by Fukutake at 11:51| 日記