「肉体百科」 群ようこ 文春文庫 1994年
目 p156〜
「目の調子が悪くなってから、読む本の数がめっきり減ってしまった。書く仕事が第一なので、どうしても時間が取られる。医者からは、
「夜はワープロなんか打っちゃだめ」といわれているのだが、そうもいかないのがつらいところである。ワープロを打つときは、十五分か三十分ごとに休むようにいわれているので、それはおとなしく守っている。目をぐるぐるまわす、目の体操なんかしたりするのだが、それがとても気持ちいい。目の周りの筋肉が、ほぐれていくような気がするのだ。
私はなるべく目の負担を少なくするつもりで、本を読むのは控えようと思っていた。ところがだんだん、本が読みたい病がふつふつと頭をもたげてくる。押さえれば押さえるほど、禁断症状が現れてきた。そういうときは仕事を中断して書店に走る。それも本の数が多い、大きな書店にである。そこで隅から隅まで見て歩き。欲しい本を片っぱしから買っていくと、だんだん興奮してくる。我慢していた反動が、どっと出てしまうのである。
店員さんはそんなことは知らないから。抱えていた本をカウンターに置くと、驚いた顔をする。たとえばおなじジャンルの本ばかりなら、納得できるのだろうが、小説、エッセイ本各数冊と『人倫訓蒙図彙』「きょうの料理』『「たま」の本』。大槻ケンジの詩集。『猿でも描けるまんが教室』と『きものサロン』を一緒くたに買う女なんて、理解できないのかもしれない。
家に帰り、床に本をぶちまけて、手当たりしだいにページをめくっているときが、とっても楽しい。このときは目のことなどころっと忘れている。本を買った日には、原稿をちょっと書いては、本のページをめくる。予定外の行動が入ったから、医者のいいつけは無視して、夜もワープロを打つはめになるのだ。
「こんなことじゃ。目ががたがたになるかもしれない」と思いつつも、目先の快楽に弱いのが私の性格なのである。
原稿書きがひと段落つくと、一時間ほど本を読む。そしてそれが終わるとまた原稿を書き出すのだが、私が思った以上に、目が疲れない。というのも、ワープロの表示は横書きである。自然に目は左右に動く。ところが本は縦組みだから、目は上下に動く。それをまぜこぜにやることによって、自然に目のまわりの筋肉の運動になっているのではないか、というのが持論である。ぶっとおしで原稿を書いているより、ぶっとおしで本を読んでいるよりも、具合がいいようだ。しかしこれは単に私の錯覚で、知らず知らずのうちに、目の疲れが忍びよっているのかもしれない。
「何をやっているんだ」
と医者に怒られるかもしれないけれど、原稿書きと読書のごちゃまぜ方式で、なんとかのりきっているのである。」
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鬼の話
「日本の昔話」 柳田国男 新潮文庫
山父(やまちち)のさとり p55〜
「昔ある所に一人の桶屋がありました。雪の降った朝、外に出て為事(しごと)をしておりますと、山の方から一つ目一本脚の、怖ろしい怪物が遣って来て、働いている桶屋の前に来て立ちました。桶屋はそれを見て慄えながら、これが昔から話に聴いている山父というものだなと思いました。そうするとその怪物は、おい桶屋、おまえはこれが山父というものだろうと思っているなと言いました。これは大変だ、此方の思っていることを、直ぐにああして言い当てると思いますと、おい桶屋、おまえは今思っていることをすぐに覚るから大変だと思ったなと又言いました。それから後も、なんでもかでも思うとじきに覚られるので、桶屋は困ってしまいました。そして仕方なしにぶるぶる慄えながら為事をしていますと、思わず知らずかじかんだ手が滑って、箍(たが)の竹の端が前へ走り、山父の顔をぱちんとう打ちました。山父はこれにはびっくり仰天して、人間というやつは時々思っていないことをするからこわい。ここにいるとどんな目に逢うか知れないと言って、どんどん又山の方へ、遁げて行ってしまったそうであります。」(阿波)
鬼と神力坊 p62〜
「昔阪本八幡の神力坊という山伏の家へ、毎度秩父の山の鬼が遊びに来て、大酒を飲み御馳走をねだり、又色々の無理難題を言いかけて困り抜いていたことがあったそうです。その時に神力坊が工夫をして、なんとかしてもう懲りて来ぬようにしようと思って、村の人たちに頼んで置いて、鬼が遣って来た日には一日の中に、畠の麦を苅ってしまうように支度をしました。そうして酒の肴には白い石を四角に切ったものと、竹の根を輪切りにしたものを用意して、自分には別に豆腐と筍との煮たのを、皿に附けて置きました。そんな事は知らないで、鬼は例の通り大いばりで馳走を食べようとしますと、竹の輪切りでも石でも、みんな堅くって歯が立ちません。それで閉口して見ている前で、亭主の神力坊は本物の豆腐と筍とを平気でむしゃむしゃと食べてしまいました。どうです鬼さん、人間の歯は先ずこの位丈夫に出来ているのだから、噛もうと思えばなんでも噛むことが出来ます。まだそればかりではありませんよ。人間は地面をひっくり返したり、皮を剥いだりすることも出来るのです。まあ出て御覧なさいと言って、神力坊は鬼を案内して家の外に出て見ますと、今朝ほど鬼が来るまでは、一面によく熟して黄いろかった村の麦畠は、いつのまにか残らず苅り取られて、その半分は鋤きかえして、真黒の土になっておりました。鬼はそれを見て成程人間は鬼よりもえらい。鬼にはとても出来ない事ばかりする。うっかり人間の所へ来て、いばり散らすことは出来ないと思って、逃げて還ってしまったかどうか。その点はお話が残っておりません。しかし兎に角にもう余程久しい以前から、山の鬼がこの村へ、来なくなっていることだけは確かであります。」(武蔵秩父郡)
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鬼
山父(やまちち)のさとり p55〜
「昔ある所に一人の桶屋がありました。雪の降った朝、外に出て為事(しごと)をしておりますと、山の方から一つ目一本脚の、怖ろしい怪物が遣って来て、働いている桶屋の前に来て立ちました。桶屋はそれを見て慄えながら、これが昔から話に聴いている山父というものだなと思いました。そうするとその怪物は、おい桶屋、おまえはこれが山父というものだろうと思っているなと言いました。これは大変だ、此方の思っていることを、直ぐにああして言い当てると思いますと、おい桶屋、おまえは今思っていることをすぐに覚るから大変だと思ったなと又言いました。それから後も、なんでもかでも思うとじきに覚られるので、桶屋は困ってしまいました。そして仕方なしにぶるぶる慄えながら為事をしていますと、思わず知らずかじかんだ手が滑って、箍(たが)の竹の端が前へ走り、山父の顔をぱちんとう打ちました。山父はこれにはびっくり仰天して、人間というやつは時々思っていないことをするからこわい。ここにいるとどんな目に逢うか知れないと言って、どんどん又山の方へ、遁げて行ってしまったそうであります。」(阿波)
鬼と神力坊 p62〜
「昔阪本八幡の神力坊という山伏の家へ、毎度秩父の山の鬼が遊びに来て、大酒を飲み御馳走をねだり、又色々の無理難題を言いかけて困り抜いていたことがあったそうです。その時に神力坊が工夫をして、なんとかしてもう懲りて来ぬようにしようと思って、村の人たちに頼んで置いて、鬼が遣って来た日には一日の中に、畠の麦を苅ってしまうように支度をしました。そうして酒の肴には白い石を四角に切ったものと、竹の根を輪切りにしたものを用意して、自分には別に豆腐と筍との煮たのを、皿に附けて置きました。そんな事は知らないで、鬼は例の通り大いばりで馳走を食べようとしますと、竹の輪切りでも石でも、みんな堅くって歯が立ちません。それで閉口して見ている前で、亭主の神力坊は本物の豆腐と筍とを平気でむしゃむしゃと食べてしまいました。どうです鬼さん、人間の歯は先ずこの位丈夫に出来ているのだから、噛もうと思えばなんでも噛むことが出来ます。まだそればかりではありませんよ。人間は地面をひっくり返したり、皮を剥いだりすることも出来るのです。まあ出て御覧なさいと言って、神力坊は鬼を案内して家の外に出て見ますと、今朝ほど鬼が来るまでは、一面によく熟して黄いろかった村の麦畠は、いつのまにか残らず苅り取られて、その半分は鋤きかえして、真黒の土になっておりました。鬼はそれを見て成程人間は鬼よりもえらい。鬼にはとても出来ない事ばかりする。うっかり人間の所へ来て、いばり散らすことは出来ないと思って、逃げて還ってしまったかどうか。その点はお話が残っておりません。しかし兎に角にもう余程久しい以前から、山の鬼がこの村へ、来なくなっていることだけは確かであります。」(武蔵秩父郡)
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鬼
posted by Fukutake at 07:47| 日記